喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

えひめ子どもチャレンジ支援機構 ~田舎へ行こう~

2010-05-14 | 喜久家の情報
「田舎へ行こう!」
 昨年平成21年8月29日・30日、喜久家に
えひめ子どもチャレンジ支援機構が募集した子どもたちがやって来ました。

 平礒で柑橘の摘果作業・五右衛門風呂体験・テント泊・自然観察・
ビーチコーミング・海水浴など全面的に協力しました。

 以下は、参加者の感想です。

 さるの君 より
『みかんを摘んでいると心から清らかになっていくのを感じました。
みかんって緑色なのかなと思い、常識にとらわれてはいけないと思いました。
みかんの摘果作業をしてから、みかんのことが忘れられなくなりました。
 食・触・職、すべて体験できました。』

 まこりょー より
『石垣に興味を持ち、調べました。
また、たたりの木の話を聞いて、自然のたたりは怖いなと思いました。
日本で一番大きな木も見て、平礒にはすばらしい自然が残っているのだと思いました。
この雄大な自然を残している地域の方々の努力を感じました。
僕たちも自然は限りある資源なので、大切に守っていきたいです。
 海にも行きました。
たくさんのゴミを見て、少しでもゴミが減るように、
自分が捨てたものではなくても拾いたい。
平礒へ行くことになって、最初はこれからどうなるのか全くわかりませんでした。
でも活動をとおしてまだすばらしい自然があることに気がつきました。
今まで、やったことのないことが体験できて、とても充実した活動になりました。』

 しゅんすけ より
『喜久家での農業体験は、とても良い体験になりました。
 大きな木や海に囲まれた環境の中での摘果作業は、熱中してしまい、
ほとんどしゃべらず、4時間作業しました。
 へとへとの体で作ったカレーとサラダは、大勢の人といっしょに食べて、
いつもよりおいしい気がしました。
 そして、初めての体験だった五右衛門風呂は大人の方の協力もあって、
気持ちよく入ることができました。
 エストニアのケルトさんとは、緊張してあまりしゃべることができなかったけど、
これからお仕事をがんばってほしいと思いました。
 宿泊の最後に海水浴もできて、とても楽しい農業体験でした。』

 田舎に生まれ、田舎に住んでいる私たちにとっては、
めずらしくもない、あたりまえになっていることが、
実はすごく貴重なものだということに気づかせてもらえました。

 田舎と都市との交流は、とても大切なことです。

 写真は、平礒のフクロイセで、
誰かが、平たい青石をモニュメントとして立てたものです。
なかなかいいですね。

                  岬人(はなんちゅう)

えひめ子どもチャレンジ支援機構を応援

2010-05-13 | 喜久家の情報
 昨年平成21年8月29日・30日、喜久家に
えひめ子どもチャレンジ支援機構が募集した子どもたちがやって来ました。

 ちょうど、北欧エストニアからケルトが3ヶ月の中長期ボランティアとして活動していました。
 平礒で柑橘の摘果作業・五右衛門風呂体験・テント泊・自然観察・
ビーチコーミング・海水浴など全面的に協力しました。

 以下は、参加者の感想です。

『ケルトさんは、日本が好き、田舎が好きという思いで、
はるばる平礒まで来られました。
ケルトさんの実家の写真も見せてもらいましたが、
シルバニアファミリーの赤い屋根の大きなおかしのようにかわいいおうちでした。
 でも平礒の喜久家では、土間があって、五右衛門風呂があるような、
日本の古民家で3ヶ月暮らしています。
 
 文化の違い、したことのない農作業、言葉の違い…。
いろいろな違いの中でとまどうこともあったと思います。
不安もあったと思います。
それでも、明るく過ごしていて、村人の中になじんでいました。
知らないところに行く勇気がすてきだな、と思います。
やりたくないことにチャレンジする姿がすてきです。
 
 海では、多くの海藻、魚、石、ゴミを見つけました。
外国や広島のゴミが流れ着いていました。
このゴミは、海を汚して、環境を悪化させています。
 
 少しでも、ゴミが減るように自分が捨てたのではなくても、
拾ってちゃんと処分したいと思います。』

 ケルトとの出逢いが、とても印象的だったようです。
 人は、同じタイプとの出逢いからは安心を、
ちがうタイプとの出逢いからは成長を手に入れるのだと思います。

              岬人(はなんちゅう)

えひめ子どもチャレンジ支援機構

2010-05-13 | ブログ
「NPO法人えひめ子どもチャレンジ支援機構」とは、
子どものチャレンジを支える大人の応援団です。

 生きていくうえで大切な3つのキーワードを、
食・職・触(ショク)と表します。
 食べること、作ること、そして喜び。
 自分の未来について考えたり、いろいろな問題について、
たくさんの人と話し合ったり、共鳴したり、
ふれあって自分の糧とします。

 さまざまな体験をとおして
「やりとげる楽しさ」を実感してもらいたいと考えています。
子どもたちが企画し、そして体験します。
チームは、中学生・高校生・大学生のさまざまな仲間と。

 写真は、昨年平成21年度の報告書です。
先日、この報告書をいただきました。
喜久家プロジェクトも深く関わって、応援しています。

 今日とちがう明日を。
ここから始まる 未来への チャレンジ。
みんなでチャレンジ みんなのチャレンジ2009。
 
 少しふりかえってみたいと思います。

                    岬人(はなんちゅう)

日本が大好きなケルト

2010-05-12 | 喜久家ボランティア
 初めての日本。
もちろん、受け入れとしてもエストニアなんて初めてです。

 写真は、昨年の夏喜久家で3ヶ月活動してくれたケルトです。
隣は、姪の白澤百恵、両側は私の双子娘。
 8月14日の平礒盆踊りで撮ったものです。

 子どもたちは、みんなケルトが大好きでした。
イラストが得意なケルトに、絵を描いてもらったり、
エストニアの写真を見せてもらいながら、お話を聞かせてもらったり。

 ある日ケルトが来ていたかわいいシャツを見て、
姪が
「それは、どこのブランド?」と聞きました。
するとケルトは、
「これはとても安く買って、自分でかわいく作りなおしたのよ。」と。

 多くの日本人は、豊かさに埋もれ、
「かわいいものや良いものは、ブランド品」
「ブランド品を持っていれば、どこか誇らしげ」
と、いったところがあります。
 
 でもエストニアのケルトは、
「世界にたった1つしかないものを持っている」
ということがうれしいようです。
だから、自分が思うようにアレンジしたり、手直ししたり。
とっても、物づくりが好きで、得意なのです。


 ケルトに聞くと、
エストニアでは、そんな人が多いらしいです。

 私たち日本(人)は今、
とても大切なことを忘れているのかもしれません。
物づくりは、私たち日本人にとって、
とても楽しみなことであったし、世界に誇る得意なことであったはずです。


 ケルトから届いた手紙を読みながら、
こんなことを思い出しました。

                   岬人(はなんちゅう)
 

北欧エストニアからの絵はがき

2010-05-11 | 喜久家の情報
 北欧エストニア出身のケルトという女性が、喜久家ボランティアとしていました。
昨年の7月から10月までの3ヶ月間。

 とてもかわいい、人なつっこい女性でした。

 そんな彼女から、突然、絵はがきが届きました。
あて名は、双子の娘たちへ。

 こんなことが、書かれていました。

『さやかとひかるへ
 こんにちは、お元気ですか。
私は、元気よ。
あのね、ケルトねえちゃんを覚えていますか?
一緒におばあちゃんの家で遊んでくれてありがとう。
さーちゃんとひーちゃんが来る日をいつも楽しみにしてたよ。

 今、私は専門学校で服を作ることを勉強しています。
いつか、ふたりにも何かかわいいものを作れるかな。
明日は、モデルをします。
すごく楽しみにしてる。
さーちゃんとひーちゃんは、まだ学校で運動が第一ですか。
すごいよ。私より早いよ。
 お兄ちゃんとお母さんとお父さんも毎日楽しいですか。

 別れる日、私にくれた手紙で
「忘れないでね」
と、書いていたね。
ゼッタイ、忘れないよ。
さーちゃんとひーちゃんが大好き。

 いつか、ふたなづ小学校の美術の先生に来たいな。待っててね。

          ケルトねえちゃんより CHU~ 』

 娘たちは、それはそれは大喜び。
「ケルトねえちゃんに手紙を書く」
と、言ってはりきっています。

 北欧エストニアからの手紙が、日本の田舎に届いたのです。
世界は、どこまでもつながっているのですね。
 そして、娘たちは、ケルトねえちゃんと遊んだあの夏休みを、
一生決して忘れることはないでしょう。
もしかしたら、いつかまた再会するかもしれません。
 
 夢は、広がります。
 佐田岬の小さな小さな郷の、
大きな大きな物語がつづきます。

                    岬人(はなんちゅう)

こいのぼりまつり

2010-05-11 | ブログ
 9日の日曜日に二名津地区で行われた、
こいのぼりまつりが、愛媛新聞に載りました。

 写真は、じゃんけん大会の様子です。
娘もおっちゃんと楽しそうにじゃんけんしています。
 子どもたちに聞いてみると、
「とっても楽しかった」
とのこと。

 子どもたちは、この二名津地域で、大きな夢を与えていただいています。

 このこいのぼりまつりは、
行政やお金にたよったものではなく、
住民自らが立ちあげた、夢のあるまつりなのです。

                岬人(はなんちゅう)

「筑前琵琶」のしらべ

2010-05-11 | ブログ
「筑前琵琶」の美しい調べをみんなで聞きませんか。

 親戚の「東温市安国寺 浅野泰厳住職」より連絡がありました。
泰厳さまは、自殺者予防や供養の取組を精力的に行っていることで有名です。
安全で豊かな時代になったとはいえ、毎年毎年10年以上も
3万人以上の方が自ら命を絶っているということは、
やはりこの世の中がどこかまちがっているような気がします。

 そのほかも、さまざまな活動を行っていますが、
川村旭芳さんによる、筑前琵琶の調べを企画されています。
 http://www7.ocn.ne.jp/~s-suinet/kyokuho.htm

 川村旭芳さんを少し紹介します。
8歳より母の勧めにより、筑前琵琶日本旭会 総師範、二代柴田旭堂に師事。
箏・尺八・胡弓などの若手演奏家で結成された、和楽器ユニット「おとぎ」代表。
門人会、「筑前琵琶 川村旭芳会」会長。
 独奏の弾き語りを活動の中心にすえつつ、和・洋・民族楽器、朗読、舞踊など他分野との共演にも力を注いでいます。
琵琶語りと朗読・演劇などを組み合わせた<音楽劇>の
創作活動をライフワークとしています。
 1998年より2010年まで、和楽器オーケストラ 邦楽合奏団「鼎」(KANAE)所属。
現代曲においては薩摩琵琶も演奏し、他の楽団などへの助演も数多いようです。

 日時   7/30(金) 18時~
 場所   アグリトピア
 入場料  大人¥1000 高校生以下 ¥500
 主催   佐田岬筑前琵琶を聴く会
 電話   089-966-3647

 以前、浅野泰厳さまより、この筑前琵琶の調べを平礒の神社でもやってみませんか、
という企画をもちかけられました。
 人口50人にも満たない小さな田舎で、
こんなすごい人に来てもらい、演奏会をするなんて想像したこともありませんでした。

 いつか、そんなことができたらいいな、と思っています。
 田舎には、独自の文化がありますが、
そこに味のちがった文化を取りこんでみるということは、実に創造的です。

「違いを、対立ではなく、豊かさに変えていく」
そんな取組を考えています。

                 岬人(はなんちゅう)


佐田岬、春の風物詩

2010-05-10 | ブログ
 佐田岬、春の風物詩。

 1つは、道ばたで写真のような無人売店。
採れたての柑橘を格安で販売しています。
この日は、清見タンゴールを一袋300円で売っていました。
代金は、横に置いてある箱に入れるだけ。
おつりはもちろん出ません。
 そうすると、よこしまな人が心配と思いきや、
みなさんちゃんと代金を払ってくれるようです。 
どこまでも人を信じる気持ちがあるのです。

 もう1つは、ちょうど今です。
佐田岬半島に足を入れると、柑橘の白い花と、
その香りに心も体も魅了されます。
 1年のうちのわずかな時期なので、これを見のがすと、
また来年ということになります。
本当に癒される香りです。

「香りのある風景」というのがあります。
私は、この香りをかぐと、
白い花と香りに包まれたみかん畑を思い出すのです。

 ぜひ、一度来てみませんか。

                  岬人(はなんちゅう)

最大の敵は誰か!

2010-05-09 | ブログ
 不十分な準備でしたが、気をとりなおして試合に臨みました。

 4ペアすべてにおいて見られたことですが、良いプレーが出てきます。
なかなか順調よく試合が流れていきます。
問題は、ミスが出た後どう切りかえ、のりきっていくかです。

 1本の簡単な自分たちのミス。
そこから流れが徐々に変わっていきます。
 波をさらわれないよう、前向きな声と態度を出していかなければならないときです。
自分を信じて、迷いなくプレーしていかなければならないときです。
心の強さが試される場面です。

 結果は、4ペアとも先攻していながら、
ミスから立て直すことができず、悔しい負け。本当に悔しい負け。
最大の敵は、相手ではなく、自分だったのです。

 心の弱さは、さらに続きます。
今こそこのくやしさをバネにし、次へのスタートをきらなければならない時なのです。
ところが、食事後、他の試合を見て学ぼうという、チーム全体の雰囲気にはならず、
多くの者が、無駄な時間を過ごしていたのです。
 
 この自分の甘さに気づかせなければいけません。
成功をつかむには、自分が変わるしかないのです。
そのことを厳しく伝え、今日の自分をノートにふりかえさせました。

 最後のミーティングでは、自分としっかりと向き合い、
感じたことをみんなの前でお互いに語り合うことをしました。
泣きながら語る者。
聴きながら涙する者。
そこには、くやしさがいっぱいつまっていました。
 みんなで涙しあい、少しスッキリとしたようです。
自分のもやもやを涙が少し洗い流してくれたようです。

「失敗」と書いて、「けいけん」と読む、
と教えてくれた人がいます。
 佐田岬の田舎の子どもたちは、この苦い経験をバネに、
成功するまであきらめず、挑戦し続けるつもりです。

 この子どもたちが、すばらしい家庭や地域、そして未来を創っていくのです。

                   岬人(はなんちゅう)



 



松下幸之助の名言

2010-05-09 | ブログ
 「成功の要諦(ポイント)とは、成功するまであきらめないこと」
これは、私が尊敬する一人、松下電器の創業者、故松下幸之助さんの名言です。

 今日の第44回三瓶町ソフトテニス大会は、
この言葉を胸に刻みこむような大会となりました。

 朝、6時45分に出発し、8時前に到着。
それから試合前の練習をしたのですが、声が出てない、動きが遅いなど
この後、試合に臨む雰囲気ではありませんでした。
 集合をかけ、活を入れます。

「試合前の様子を見れば、試合が予想できる。
試合に向け心と体の準備をしなければならない大切な今、
こんな様子であるなら、今日の試合は思ったような結果にはならない。
 ただし、あきらめるわけにはいかない。
この大きな遅れをどれだけ取り戻せるかわからないが、気合いを入れて、ふんばれ!」と。

 別な考え方をすると、800メートル走で、
一番早くもない者が、スタートで転んで出遅れたということです。
とびっきりのコンディションで臨んで、もしかしたら勝てるかもしれないという、
きわどいレベルなのに、スタートでつまずいたら、
勝つ可能性はほとんどないということです。
それほど、試合前の心と体の準備は大切だということを意識して、取り組んできたのですが。 

 その後、子どもたちは、いつもの自分を取り戻そうとがんばります。
どこまでくらいついていけるのでしょうか。

 そして、いよいよ試合が始まりました。

三瓶町ソフトテニス大会

2010-05-09 | ブログ
 今日は、三瓶町ソフトテニス大会に参加します。
何と44回目の開催。
よく、ここまで続いたものです。
関係者の方々に心から感謝したいと思います。
 小さな田舎の歴史あるイベントです。

             岬人

二名津地区のこいのぼりまつり

2010-05-08 | ブログ
 何のへんてつもないこの二名津地区。
ところが、「地域力は人なり」。

 私の大好きな田村菓子補の三代目もここの生まれ。
そしてまだまだすごい人たちが、たくさんいるのです。
 その中心が「ごんべクラブ」という、
おっちゃん集団とその奥さま方。
平均年齢は、65歳くらいでしょうか。
祭りや地区行事、奉仕活動にいたるまで、しっかりとした自治意識が根づいています。
「ごんべクラブ」なしでは、成り立っていきません。

 そして手がけたのが、「こいのぼりまつり」。
統合でなくなってしまった二名津中学校あとを使い、おもしろい行事を考えたのです。
各家庭で日の目を見なくなった、こいのぼりや幟をさしだしてもらい、
運動場や体育館の中にかかげるというもの。
持ち主にとっても、見る人にとってもうれしいことです。

 明日は、その下でもち投げや運動会が開かれます。
詳しくは、三代目日記に書かれていますので、ごらんください。

 http://blog.unimannya.com/

 あまりお金をかけず、
田舎ではこんなにも心の通いあう「こいのぼりまつり」があります。

           岬人(はなんちゅう)

若松進一さん

2010-05-08 | ブログ
 愛媛県双海町の「若松進一さん」は、Wikipedia(ウィキペディア)にのってもいいくらいのすごい方です。
 行政や社会教育の分野では、知らない人はもぐりかもしれません。
まだ知らない方は、ぜひこのブログのブックマークからのぞいてみてください。

 ところが不思議なことに学校教育の分野では、知らない方が多いのです。
愛媛の教育は、もっともっと幅広く連携していかなければなりません。 
という私も5年前、「国立青年の家」に勤務するまでは知らなかったのです。

 若松進一さんの考え方や経験を知れば知るほど引きこまれ、
私の日課は、ブログを毎日見ること、
ついて行けるところがあれば、どこにでもついて行く、
といったまちがえたらストーカーのようになっていました。
 それくらい学ばせていただくことが多いのです。
これほどまでにふるさとが大切に思えるようになったのも、
そのおかげなのです。

 その若松進一さんから、書きこみがありましたので紹介します。
思わず、ふきだしてしまうような。

『あんたとこは田舎ですねえ (shin-1さんの日記)

 お元気でお過ごしのことと思います。
「えっ、ヘビ!」あんたとこは田舎ですねえ。(笑い)
人のことを言える柄ではありません。
私も同じようなド田舎に住んでいるのですから・・・。
 
 でも私は田舎に住めて幸せだと思います。
多少不便でも田舎は、やり方しだいでとてつもなく楽しいものです。
これからは田舎を見せびらかせて生きていきましょう。
「文句があるなら田舎に住んでみろ」・・・と。
 でも正直な話ヘビは余り好きではありません。
 
               人間牧場主 若松進一』

 何とも若松さんらしい発想です。
 都会に比べ、ないと思えば、ないものしか見えてきません。
でもあると思えば、あるものがどんどん見えてくるのです。

 全国の田舎者のみなさん。
ぜひ、田舎を見せびらかせながら生きていきましょう。

                  岬人(はなんちゅう)

長渕剛

2010-05-08 | ブログ
 戦死した祖父金太郎のブログに関して、多くの方から
感激の言葉をいただきました。
 
 太平洋戦争の戦没者(兵士として亡くなった人)が、240万人ともいわれ、
空襲や沖縄戦・原爆などそれ以外の民間人の方が80万人亡くなったと言われています。

 その中のたった一人に、これだけの物語があるのですから、
戦争というものがどれほど悲惨なものかを感じる機会になりました。

 祖父の写真をスライドショーで写しながら、
映画「男たちの大和」の主題歌にもなった
長渕剛さんの「CLOSE YOUR EYES ~瞳を閉じて~」を流した理由がもう1つあります。

 長渕剛さんは、鹿児島県生まれでふるさとをすごく大切にされています。
桜島で行われたオールナイトライブは、7万5千人が集まり伝説にもなっています。
 人はそれぞれの理由があり、ふるさとを出て行く場合も多いのですが、
ふるさとへの想いだけはいつも大切に持ち続けているのでしょう。

 長渕剛さんの妻は、元女優の志穂美悦子さん。
私の母方のいとこのお嫁さんが、塩見悦子(本名)さんといとこにあたります。
そのいとこの結婚式の時には、長渕剛さんが曲を贈られました。

 私の妻ともそうであったように、人と人とは思わぬところでつながっているようです。
人との出逢いとつながりを大切にしていきたいと思っています。

                     岬人(はなんちゅう)


風薫る5月

2010-05-07 | ブログ
 5月に入り、一気に風が変わってきました。
田舎にいると、そんな空気を敏感に感じるのですから、おもしろいです。

 佐田岬は、「鳥の岬」と言ってもいいくらい、鳥が多いところです。
毎朝、裏山からの鳥の鳴き声で目が覚めます。
ウグイスだけはわかるのですが、少なくとも6羽くらいが鳴きあっているのです。
「私の鳴き声は、どう?」
と言わんばかりに。
その他の鳥もいますから、それはそれはにぎやかなのです。
 今までそんな様子を気にもとめていなかったのですが、
気にして聞いてみると、これほどの鳥がいるということは、
実にすごいことです。

 また、雨もようの夜は、カエルの合唱が始まりました。
これもすごい。

 そしてついにこの暖かさにつられ、
ヘビもお目見えし始めました。
この日は、平礒への道を運転中に2度も見ました。
写真は、よく見るアオダイショウで、体長1.5メートルほどでした。

 こうみると、やはりとてつもなく田舎です。
でもこれがとても貴重なのかもしれません。

 例年よりも遅れていますが、
間もなくみかんの白い花が咲き、その甘酸っぱい香りで包まれる頃です。

 みかんの香りを感じに来られませんか。

                  岬人(はなんちゅう)