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『嵐が丘』を初めて読んだのは、確か小学校高学年の頃だった。
学校の図書室にあった、「少年少女世界名作全集」を全て読破しようと
大それた望みを持って、『小公子』や『小公女』、『アルプスの少女ハイジ』
『秘密の花園』『若草物語』など、空想世界を彷徨いながら読み進んだが
この『嵐が丘』は、少し違った。複雑な人間関係とストーリーの特異性が、
12歳の子供には理解できなかったのだろう。
長い年月を掛けて復讐を果たす筋書きは、『岩窟王』と共通していたが
単純明快なエドモン・ダンテスの復讐劇『岩窟王』に比べて、『嵐が丘』は、
非常に人間関係がドロドロしており、ただ恐怖心だけが記憶に残った。
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再び『嵐が丘』に出会ったのは、1939年製作のアメリカ映画をテレビで観て…。
主人公ヒースクリフを、ローレンス・オリヴィエが演じていた。まだ若い32歳の
オリヴィエが野性的で偏狂なヒースクリフを好演し、そのドラマ性を高めていた。
1848年に30歳で亡くなった若い女性が書いた『嵐が丘』とは、このような愛憎の
ドラマだったのかと、改めて原作者エミリー・ブロンテの才能に驚いた。
映像から荒涼たるヒースの丘や吹き付ける暴風を実感、復讐に燃える主人公
ヒースクリフの愛憎の激しさに心打たれた。
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1992年に製作された映画でヒースクリフを演じたのは、レイフ・ファインズ。
オリヴィエと同じくシェークスピア劇の舞台俳優で、『嵐が丘』出演時は30歳。
ヒースクリフの哀しみを湛えた激情が画面から伝わってきて、オリヴィエとは
また違った複雑な人間像を演じた。
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『嵐が丘』の舞台は、イギリス北部のヒースが生い茂る荒地。
19世紀半ば、小説の作者E・ブロンテが実際に生きたのもヒースが広がる
荒涼たる大地。執筆にどのような背景があったのか分からないが、160年も
以前に、このようなドラマを考え出した稀有な才能には、感嘆あるのみ。
『嵐が丘』ただ一作を残して、E・ブロンテは1848年12月19日に逝った。