kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

前者・後者の話②

2016年01月20日 18時49分11秒 | 心屋学(心屋から学んだ事)

心屋仁之助「★これが後者。後者は、後者らしく生きると幸せ。後者よ、これが悪意だ。」
2015年12月22日(火) 14時29分36秒


これ見てると、私、仕事では前者、家事・育児では後者かなって思う。
その時によって変わったり、人との関係性におって変わるなら。

仕事では、自分で言うとおこがましいけど、仕事できる人やったし。
営業で転職する言うた時、久々に再会した大学の同級生に「えー、○○が。なんか騙されそう」って言われた事ある。
そう、元々はおっとりした子というイメージなんだと思う。

でも、やればできるのです。

お母さんも、私が独身時代、風邪とかで休むのに電話した時、後輩にやっててほしい仕事を頼む時、「早口でびっくりした」と言ってた。いつもの私のイメージと違ったんやろね。

でも、仕事を取る、売上を上げるという意味では、私は私の力やと思ってない。
数字はね、比較的簡単に取れた。というか、目の前に来る仕事を誠意を持ってやってたら、売上が上がったというか。それは、インドのビジネスだからだと思う。

インドから輸入してる会社ってあんまり多くなく、大手商社でも手出したけど、小回りがきかなくて撤退してるとこ多いらしくて、中国と貿易してる会社から比べたら、そもそもうちみたいなメーカー(輸入する会社)が少なかった。だから、うちに頼らざるを得ないというか。

私はルールは守らないといけないと思う性質だから、会社が言う利益率を維持してたし、売上額はあんまり気にしてなかったけど、来る仕事誠実に引き受けてたら、だいたい言われた売上になってた。売上が届かなくても利益額は達成してたり。

そういう中で、私は自分の得意先で、某アパレルの仕事が嫌だった。入社して10ヵ月位して、部長ががんになった時に、同じ会社のデザイナーがその得意先を引き継ぐ事になったのだが、そこの仕事が嫌になったデザイナーの仕事を私が手伝ううちに、そこの仕事が振られて来て、しまいには部長が退院して仕事復帰してからも私の仕事として定着してしまったのだ。

そこの仕事を何年もしてた。
別支社のある同僚が、自分が1年くらいやったある得意先を辞めたいと言った話を社長から聞かされた。
そこは某大手チェーンスーパーだが、基準が厳しくて嫌になったらしい。
そこで、私はムカついた。私こそ6年くらい某アパレルを担当してたから、「それだったら、私も担当辞めたい」と言った。1年位で音を上げるなんて。

私は、「努力すれば、誰でもできる」と言ったと思う。
でも、今から考えると、誰でもできる訳じゃないって社長は分かってたんだろうな。
その努力ができん。皆嫌だったら辞めるんだ、と気付いたのはそれから何年も後の去年くらいだった。

話が逸れた。

仕事ではこんな感じ。
ちなみにインドは、納期遅れ、品質不良と、オーダーした物の3分の2がトラブルあった。
要は私達の仕事は、売上を稼ぐというより、如何に細かく誠実にインドの仕事をフォローできるか、言うたら、いかに赤ちゃんのお世話ができるかだった。
求められるのは営業力というより、フォロー力。

問題起こった時の問題解決は、部長に助けられてた。問題解決能力はないの、私。
クレーム処理とかめっちゃ嫌い。

インドが信用できんし、同僚にも助けを求められへんから、「仕事では、誰も信用できひん」って思ってたな。
あ、部長は助けてくれるんだけど、ここぞってとこにならないと、1人の持ち分が多くて広いから、普段からは頼れないから。

それが、だんなさんと出会って、初めて、家族以外の人で頼っていいんやーと思えた。
自分の弱いとこ見せても嫌わないというか。

で、家事とか。実際だんなさんの方がよくできる。手早い。
どっか出かけて帰って来ても、私は取り合えずゆっくり、と思うけど、だんなさんは家に帰って来たら、晩ご飯の支度したりてきぱき。(あ、私の名誉のために言うと毎日じゃないですよ。休みの日とかの事。)

家ではだんなさんの方が前者に感じる。

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