内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

授業を入れ替える

2025-02-04 23:59:59 | 講義の余白から

 今週は、毎年二月の第一週に行われる日仏合同ゼミが木金とあり、そのために木曜日の担当授業が行えない。
 たいていの年は、一回くらい休講にしても一週間先送りにすれば学期末までに全回終了できるように学年暦が組んである。ところが、今年はそれがきわめて難しい。
 というのは、今年は五月の五回の木曜日のうち三回が祝日だからである。一日が Fête du Travail(労働祝祭日、メーデー)、八日が Fête de la Victoire de 1945(戦勝記念日)、二十九日がAscension(昇天祭)なのだ。このうち一日と八日は固定祝日で、毎年いずれかの曜日がニ週連続で祝日となる。昇天祭は復活祭と連動する移動祝日で、復活祭から四十日後の木曜日であり、今年はそれが五月二十九日というわけ。
 五月はちょうど学年末にあたり、多くの試験がその月のうちに行われる。六月に試験を行ってはいけないわけではないが、学生たちはひどく難色を示すのが普通である。六月から連日バイトする学生もいるし、旅行を予定している学生も少なくないからである。
 というわけで、六月に試験を遅らせることなしに担当授業のプログラムを終わらせなくてはならない。
 解決策として、木曜以外に学部ニ年生の授業を担当している同僚にお願いして、今週に限り、その授業と私の木曜日の授業とを入れ替えてもらった。こうすれば学生にとっては二つの授業が入れ替わっただけで、通常の時間割の時間帯にも教室にも変更がないから、一番簡単な解決法だからである。過去にも同じ手を使ったことがある。これでなんとか五月中に木曜日の授業も終えられる。
 それで今日「現代文学」の第二回目を行った。戦後の「老大家の復活」がテーマ。主に谷崎潤一郎の『細雪』の刊行までの経緯を説明し、内容を概観し、最後に中公文庫版『細雪(全)』(本文だけで九二〇頁超)から僅か半ページだけだが原文を読んだ。Pléiade 版の仏訳と比較し、仏訳がどのような工夫をして、主語が示されていない動詞句を訳しているかを若干説明したところで時間になる。
 来週は、もう少し同箇所の文体分析をした後、川端康成の『山の音』を読む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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