昨日の授業では、映画『おくりびと』と青木新門の『納棺夫日記』(文春文庫、増補改訂版、1996年)を取り上げ、両者の間にある重要な差異を話題にした。
『納棺夫日記』を『おくりびと』の原作と紹介することは、作者の青木新門自身の意志からしてできない。なぜ青木は原作者としてクレジットされることを拒否したのか。その理由は青木自身が『新潮45 eBooklet 教養編9』(2010年、初出『新潮45』二〇〇九年四月号)のなかで詳しく説明している。
ついに、『おくりびと』の制作が決まった時、脚本が送られてきました。これを読んで、私は原作者から私の名前を外すよう頼みました。映画『おくりびと』と私の著書『納棺夫日記』との間に一線を画すべきだと考えたからです。
その妥協できない一線を説明するために、恵心僧都源信の母が源信に送ったとされる和歌「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき」を青木は引く。この和歌は、『恵心僧都物語』の次のような説話のなかに出てくる。源信は弱冠十五歳の頃、当時の村上天皇の前で仏法を説く講師に選ばれ、下賜された褒美の品を、一人故郷で暮らす母親に送ったところ、母は、上掲の和歌に「まことの求道者となり給へ」と一言添え、下賜された褒美を源信に送り返し、諌めたという。
私は「後の世を渡す橋」の一助になればと『納棺夫日記』を著しました。しかし、映画『おくりびと』では、主人公が「世渡る」納棺夫として描かれていたからです。つまり、職業としての「納棺夫」の側面しか伝えきれていないと感じたのです。映画では、宗教や永遠について考えた第3章にあたる部分がまったく触れられていませんでした。
死者をどこへ送るのか。その行き先がわからなければ、安心は得られません。この世を安心して生きるには、後の世も安心であることが絶対条件なのです。
『納棺夫日記』と『おくりびと』は着地点が違っていました。だから、映画から原作者の名前を外してもらったのです。
だからといって、青木は映画『おくりびと』を否定しているわけでも、批判しているわけでもない。むしろ次のように高く評価している。
『おくりびと』は、滝田洋二郎監督が名伯楽となり、役者たちの力を引きだし、風景も美しく、ヒューマニズムに満ちた良い映画だと思います。
『おくりびと』が世界から認められ、そこに描かれた日本の「死」が癒しとして受け入れられたのは、この映画が、現代人が忘却していた人と人との絆、家族の絆、死者と生者のつながりという当たり前のことの重要さを気づかせてくれたからではないでしょうか。
そして、この文章を次のように結んでいる。
死者との応接はどうすべきなのか? この問いは、世界のどこに生きていても課題となる普遍性のある問いなのです。