内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ブログで三つの「あわい」を楽しむ

2025-01-05 01:11:05 | ブログ

 ブログのアカウントへのアクセスが完全復旧するまで、軽い内容の記事を早めにアップしておくことにします。私の側に記事をアップできない事態が発生したのでもなく、ブログをやめたのでもないということを手っ取り早くお知らせするためです。
 振り返って数えてみれば、アクセス不能になった元旦夜からアクセス方法を見つけるまでの間、40時間ほどアクセスできなかっただけのことなのですが、毎日ブログの記事を投稿するという12年余り続いている毎日の習慣が自分の意思とはまったく関わりなく中断させられたことで、やはりかなり居心地の悪い思いをしました。他方、これほど簡単にそのような心理状態に陥るということはそれだけブログに依存しているということでもあります。自分とブログとの関係を見直す良い機会かも知れません。
 ブログの何が気に入っているかといえば、現実性と虚構性とのあわいという曖昧な空間が心地よいということがまずあると思います。記事を読んでくださっている方がいることは現実ですが(いつもありがとうございます)、そのほとんどの方とは面識がなく、どこのどなたかも存じ上げません。ですから、読んでくださる方々を想像しながら書いているとき、それは私の想像に過ぎないのですから、虚構の世界に一歩足を踏み入れているとも言えます。
 次には、公開性と親密性とのあわいという空間性も居心地がよいのだと思います。自分の考えをもっぱら自分のために書きつけるだけならば、ブログは必要ないし、実際、Kindle scribe を12月半ばに購入してからは、毎日それにいろいろな思考の断片を書きつけていて、これはこれでなかなか便利で、気に入っています(もう少し使い方に熟練してから、レポートしたいと思います)。ブログの記事を不特定多数の方に公開する以上は、読んでくださる方を傷つけるような内容・表現は避けるという倫理的な原則は守りつつ、自分の書きたいことを好きなように書く。それを読んでくださったかたが喜んでくださればそれはそれで嬉しい。そんな感じです。
 もう一つ加えれば、さきごろ何回か話題にしたことでもありますが、「おのずから」と「みずから」とのあわいに遊ぶ心地よさもあると思います。毎日書くのは「みずから」のアクションですが、そのアクションのなかで「おのずから」生まれてくる言葉と思考があり、それは私自身にとっては小さな発見であり、その発見の喜びが「みずから」続ける動機になっている。この生成の循環がブログを書き続けることを単なる戯れ(divertissement)以上のものにしてくれていると思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ブログ依存 (Damsel)
2025-01-05 09:54:24
初めまして、Damselと申します。
私もブログに依存しております。
朝に書くことが習慣となっており、何らかの事情で書けないと
憂鬱で仕方ない程です。
どういう方々が読んで下さっているのか分からない不思議さと、
コメントが全く入らない奇妙な孤独感に襲われます。
いずれにしても
生きているということを無駄なく味わうことの意味を噛みしめております。
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コメントありがとうございます (kmomoji1010)
2025-01-05 15:06:56
>Damsel さんへ
>ブログ依存... への返信
コメントありがとうございます。同じような思いをいただかれている方がいらっしゃって、心強く思います。坦々と続けてまいりましょう。
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