内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

五月の職務予定

2016-05-01 10:19:47 | 雑感

 今日の記事は、月初めに今月の仕事の予定を整理しておくための私的メモに過ぎない。
 今年度の学内の教育義務としては、学部に関しては、六日金曜日の試験監督およびその直後の採点で終了。追試は五月末から六月半ばにかけて。こちらは受験者も少ないし、大した仕事ではない。
 修士に関しては、指導している学生の修士論文の口頭試問が六月一日に決まり、それまでに論文を読んでおく必要がある。平安期において陰陽道が国家体制の安定化と社会空間の形成とに果たした役割の分析を通じて、「穢れ」「祓え」「禊ぎ」等の概念が日本社会に根深く「制度的に」組み込まれていく過程を、主に当時の貴族たちの日記の記述を丹念辿りながら考察した、きわめて興味深い論文。総頁数は優に二百頁を超える。議論の詰めはまだまだ甘いところもあるけれど、規模的にはもう博士論文に近い。本人はもちろん博士課程へ進学するつもり(だから審査する方も真剣勝負)。すでにほぼ完成している章については、本人に順次送らせてあり、それに対するコメントも返信してある。
 大学外での教育関連の仕事としては、五月下旬の二日間、バカロレアの日本語の口頭試問がコルマールのリセで行われる。昨年初めて担当した。とても面白い経験だった。今年は、当初の日程では学内の重要な仕事と重なってしまい、最初は断ったのだが、時期をずらすから引き受けてくれとストラスブールのアカデミーから懇願され、今年も引き受けた。リセで三年間日本語を第三外国語として勉強してきた高校生たちが受験生。その中には本当に優秀な子たちがいる(ほとんど女子です)。残念なことだが、そういう子たちにかぎって日本学科には来ない。法学部、経済学部、商学部など、彼らの将来の職業生活により有利な専攻を選ぶからだ。彼らのためには妥当な選択だと言わざるを得ない。
 そして、いよいよ准教授の新ポストの審査委員会である。九日が書類審査。十九日が書類審査を通過した候補者たちとの最終面接。委員長というのは、その二回の審査当日の司会進行を行い、審査後の最終報告書を書くだけではなく、自分以外の十一人審査員と常時連絡を取り合い、事前審査レポートを依頼し、質問があればそれに答え、さらには審査当日の昼食の手配とか、要するに雑用係である。で、あれこれけっこう気を使う。まあ、何年に一回しかポストはできないから、たまにしかお鉢が回ってこない責務だし、一度は経験はしておいたほうがいいかというくらいの気持ちで引き受けた。今年は全国で三つしか日本学関係の准教授のポストがなく、それだけ応募者も多い。したがって、審査にも時間がかかる。
 その三つのうちのもう一つであるイナルコのポストについては、外部審査員を引き受けている。こちらは十三日が書類審査。五人の候補者について事前審査レポートを十日までに書いて送らなくてはならない。審査当日は、朝一のTGVでパリに向かい、最終でストラスブールに戻る。文字通り丸一日拘束される。外部審査委員は過去に十回ほど引き受けているので、要領はわかっている。
 肝心なその審査そのもののことだが、過去にはまあ「出来レース」みたいなのもあったことは事実で、そういうときは外部審査員のレポートなんてあんまり意味がないよなと空しく思ったこともある。しかし、数年前、まだ前任校に勤務していた頃、「本命」が最終面接のプレゼンテーションで「こけ」て、危うく「ダークホース」に「さされ」かけたことが一度あった。そのときの面接後の審査では、「本命」を必死で推す内部審査員とそれに「物言い」を付けた外部審査員と間に緊張が走り、スリリングではあった。最後は審査員全員の投票で「本命」に軍配があがったけれど、僅差であった。
 これらの必ずしも楽しくはない職業的義務とは別に、自分の専門分野に関わる研究教育活動予定も六月以降にいくつかあるが、それについては明日書く。