内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ネオテニー、あるいは幼形(幼態)成熟 ― ジルベール・シモンドンを読む(76)

2016-05-20 12:30:15 | 哲学

 昨日の記事で見たような異なった個体クラス間関係についての解釈図式を、より一般的に流通している諸概念に近づけて考えるにはどうすればよいか。
 シモンドンは、生物学におけるネオテニーにその手掛かりを見出している。ネオテニーは、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のことである。幼形成熟、幼態成熟ともいう。昆虫や両生類によく見られる現象だが、人間も一種のネオテニーだとする学者もかつてはいた。
 このネオテニー的な関係を異なった個体クラス間にまで一般化し、生物という一つの大きなカテゴリーの中に連続した可能性としてのネオテニー的発達を想定しようとシモンドンは言うわけである。
 つまり、個体の再生器官である性的器官は十分に発達していながら、それ以外の器官においては、まさに未発達・未成熟であるがゆえにこそ、それだけそれらの器官では可塑性が高く、場合によっては適応力もそれだけ大きいと考えるのである。
 他方、このネオテニー的アナロジカル思考によれば、この未発達・未成熟な部分が、その個体クラスより「原始的」な段階にある別の個体クラスの性質・機能を保持すること、あるいはその個体クラスと関係・繋がりを保つことを可能にしてもいる。