内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

忠誠論(七)太平の世の武士の「戦場」として選び取られた舞台としての「奉公」

2022-01-11 23:59:59 | 哲学

 昨日の記事の最後に立てた問いに対する答えは『葉隠』の次の一節に端的に示されている。

 聖君・賢君と申は、諫言を聞召ばかり也。其時御家中力を出し、「何事がな申上、何事がな御用に可立」と思ふ故、御家治る也。士は諸傍輩に頼もしく寄合、中にも智恵有人に、我身の上の異見を頼み、我非を知りて一生道を探捉するものは、御国の宝と成候成。(一ノ一四七)

 (聖君とか賢君というのは家臣からの諫言をよくお聞き入れになる方のことである。そういう御主君であれば、家中の者たちもはりきって「どんなことを申し上げようか、どんな御用に立とうか」と思うから御家はよく治まるのである。また武士が同僚たちと信頼し合い、とりわけ知恵のある人に自分への意見をたのみ、自分の欠点を心得ながら一生のあいだ道をもとめて努めるならば彼は御国の宝となるものである。)

 ここに小池氏は、「開放的で積極的な『諫言』を介して、主君と家臣の双方をともに『御家』共同体の強化維持に不可欠の成員としてとりこむ建設的で意欲的な構図」を見て取っている。
 御家への奉公とは、主君に対する盲目的な絶対的忠誠でもなく、主君が家臣に暴力的に強制する義務でもない。主君家臣ともに「御家」のために「建設的な組織人」であること、それが奉公の論理の大原則だという思想が『葉隠』の「聞書」一・二を貫いている。
 そこから「兼好・西行などは、腰抜・すくたれ者」と喝破し、隠遁と漂泊への傾向性を封印しおおせる覚悟も生まれてくる。
 常朝は、行住坐臥、「奉公人」としての倫理的向上をみずからに課していた。常朝が武士として自らの「戦場」として選び取ったのは「奉公」という舞台だった。