内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

メディアが自壊した日本社会の現在 ― ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』にふれて

2022-01-28 23:59:59 | 講義の余白から

 先週始まった後期のメディア・リテラシーの授業で西垣通氏の本を読んでいる。一回の授業で一冊、四回で以下の四冊を出版年順に紹介する ―『こころの情報学』(ちくま新書 1999年)、『ネットとリアルのあいだ ― 生きるための情報学 ―』(ちくまプリマー新書 2009年)、『集合知とは何か ― ネット時代の「知」のゆくえ』(中公新書 2013年)、『ネット社会の「正義」とは何か 集合知と新しい民主主義』(角川選書 2014年)。
 西垣氏の多数の著作の中から特に日本語として読みやすい文章を選んだ。氏の文章はいずれもとても明快で読みやすいが、扱っている問題自体が難しいところはやはりそうすらすらとは読めない。それに、いくら私自身が関心のある問題を扱っている文章でも、メディア・リテラシーからあまり離れてもいけない。その上、せいぜい中級程度の日本語学習者たちに読ませるという条件が加わるから、選択可能な範囲はおのずと狭まる。そのような制約はあるが、できるだけ面白いところを読ませたい。あるいは、面白く読ませたい。
 読むといっても、ほんの一部だけであり、ちょっと難しいところや補足的な説明は私が簡単にまとめて、基本概念の定義、重要な問題提起、それに対する著者の回答、興味深い論点・事例などに読む箇所を限定する。
 今日の授業では『ネットとリアルのあいだ』の第3章「未来のネット」の一部を読んだ。その中にジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』(原題は The origin of consciousness in the breakdown of the bicameral mind)に依拠した箇所がある。ジェインズのいう「右脳から聞こえてくる神々の声」に言及しつつ、西垣氏は「大規模コミュニティの身体」と題された節をこうまとめている。

 声はしかるべき人物の右脳からお告げ(幻聴)として聞こえてくるだろう。霊媒者の右脳は、一種の「身体」からのメッセージをうけとっているのだ。その「身体」とは、人々が共感でつながった大コミュニティの「共同体幻想としての身体」にほかならない。

 引用の中の霊媒者はジェインズの原文では medium である。つまり、霊媒者は一つの共同体においてその成員たちが繋がり、結ばれ、その(幻想の)共同体への帰属意識をもつためのメディアとして機能していたということである。
 そして、次節「近代的個人の出現」をマスメディアについて以下のように述べて結んでいる。

 人々は新聞、ラジオ、テレビなどのマスメディアを通じて、一種の国家的共同性を感じることができた(政治学者ベネディクト・アンダーソンはこれを「想像のコミュニティ」とよんだ)。第二次大戦後の日本では露骨な国家主義は嫌われたが、そのかわりに「会社」が昔の村落のようなコミュニティの役割をはたしてきたのである。
 個人はそれほど分断されたわけではなかったのだ。

 霊媒者(メディア)を失った近現代社会では、その代わりとしてマスメディアが国家への帰属意識の形成する機能を果たしてきた。日本に関して言えば、戦後、高度成長期には、終身雇用を原則とした「会社」が社縁を形成し、社員及びその家族に会社への帰属意識をもたらしていた。
 ところが、現代日本は、メディアにそのような機能は期待できないし、「会社」の社縁形成機能もほぼ失われている。神々が沈黙し、共同体幻想を支えてきた「会社」が消失し、メディアが自壊した現代日本では、多数の人が、繋がりを求めて得られず、群れを成すこともできず、ノマドにもなれず、行き場、いや、生きる場所さえ失っているように見える。罪のない他人を道連れにする凶悪な殺人事件(これを「拡大自殺」と呼ぶことに私は強く反対する)もそのような無縁社会がその発生の温床になっているに違いない。
 「メディアとは何か。自分たち自身の問題として、今一度真剣に考えてみてほしい。」こう授業を締め括った。