内的自己対話-川の畔のささめごと

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獄中において、ほとんど希望を失いながらなお陽気さを持ちつづけたらしい」― マルゼルブ最後の日々

2023-06-10 08:42:50 | 読游摘録

 木崎喜代治氏の『マルゼルブ フランス一八世紀の一貴族の肖像』のなかでマルゼルブの最後の日々を叙述している箇所はことのほか美しくかつ感動的だ。かなり長くなるが、そこから二回に分けて摘録しておきたい。

マルゼルブたちがパリへ連行されたさい、村人たちは護送車を追いかけて悲しみの声をあげたといわれる。そして、マルゼルブ村の役員たちは、次のような証明書を作成し、村の議事録に記載し、村役場の玄関に貼付した。
 「ロワレ県
  ピチヴィ郡
  マルゼルブ村
 郡庁所在地であるマルゼルブ村の下記に署名した村長、村議会議員は、下記に名を記した市民の書状によってなされた要求にそって、次のことを証明する。
 市民クレチアン‐ギヨーム・ド・ラモワニョンはつねに人民の権利のもっとも熱心な擁護者であったこと。同人は、革命以来、同人の逮捕の日である霜月三〇日まで、この村においてつねに良き共和主義者として行動したこと。同人は、あらゆる場合において、公民精神を持つことを証したこと。同人は、法律に服することをやめなかったこと。同人は、率先して祖国の防衛者たる市民に援助を与えたこと。同人は、革命の方向に沿わぬいかなる見解もいかなる原理も表明したことはなかったこと。また、同人は、そのもっとも素朴な気質ともっとも非難の余地なき行為によって、つねにこの村の敬意を受けるにふさわしかったこと。」
( « Certifions et attestons que le citoyen Chrétien-Guillaume de Lamoignon s’est montré dans tous les temps le plus zélé défenseur des droits du peuple ; que depuis la Révolution, il s’est toujours comporté dans cette commune en bon républicain jusqu’au 30 Frimaire dernier, jours de son arrestation ; qu’il a donné des preuves de civisme dans toutes les circonstances qui se sont présentées ; qu’il n’a jamais cessé d’être soumis aux lois ; qu’il s’est empressé de fournir des secours à ses concitoyens défenseurs de la patrie ; qu’il n’a jamais manifesté aucune opinion, aucuns principes qui ne fussent dans le sens de la Révolution et qu’enfin il a constamment mérité l’estime de cette commune par les mœurs les plus simples et la conduite la plus irréprochable. » : Jean des Cars, Malesherbes. Gentilhomme des Lumières, Perrin, collection « tempus », 2012, p. 475.)  
 しかし、大革命は、このような一片の紙片に注意を払う時間を持ってはいなかった。マルゼルブたち一同がパリのポール‐リーブル(現在のポール‐ロワイヤル)監獄に送られてきたときの事情について、別の一囚人が語っている。
 「わたしは、一か月まえからポール‐リーブルにいた。わたしは貧しかったので、大事に扱われていたし、老齢なので敬われていた。ある日の夕刻、われわれは興味深い会話でうまく気分をまぎらわせていた。そのとき、突然、マルゼルブが到着したという声がした。もはや、だれも、自分の運命に確信が持てるものはいなかった。マルゼルブの徳をもってしても、自分もその家族をも救うことはできないのだ、と考えたのである。マルゼルブが入ってきた。そして、驚きと悲しみの広がるなかで、われわれのなしたことは、マルゼルブに一番良い場所を空けることであった。かれが冷静なのをわたしは見た。「わたしに空けてくださったこの場所はあのお年寄りの方にあげてください。わたしよりも年をとっていらっしゃると思います。」マルゼルブが指しているのはわたしのことであった。われわれは涙にくれた。そして、マルゼルブ自身も、われわれの感動ゆえにあふれる涙をおさえることができなかった。」
 マルゼルブは、獄中においても、ほとんど希望を失いながらなお陽気さを持ちつづけたらしい。古くからの友人にむかって、「監獄に入れられるなんて、悪い臣民になったものだ」といったと伝えられる。そして、刑場にむかうためにコンシエルジュリから出るとき、眼の悪い七二歳のこの老人はつまずいて倒れそうになった。「悪い前兆だ。ローマ人だったら引き返すのに。」(« Mauvais présage. Un Romain ne serait pas allé plus avant. », Jean des Cars, op. cit., p. 480 )これがわれわれに伝えられているマルゼルブのさいごのことばである。(339‐340頁)