内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「死なざるが故に已むことを得ず生きてゐる」― 永井荷風『断腸亭日乗』より

2023-06-13 12:00:09 | 読游摘録

 「死なざるが故に已むことを得ず生きてゐる」。永井荷風が『断腸亭日乗』にこう記したのは昭和二十年九月二十二日である。荷風が没したのは昭和三十四年四月三十日であるから、「已むことを得ずに」十四年近く生きたことになる。大正六年九月十六日に始まる『日乗』は死の前日まで書き続けられる。しかし、最晩年は一日一行、あるいは一語という日も続く。『日乗』最後の一週間は以下の通り。

四月二十三日。風雨纔に歇む。小林来る。晴。月夜よし。
四月二十四日。陰。
四月二十五日。晴。
四月二十六日。日曜日。晴。
四月二十七日。陰。また雨。小林来る。
四月二十八日。晴。小林来る。
四月二十九日。祭日。陰。

 「三月から臥床二箇月。医師の来診を受けることも、薬餌に親しんだ形跡もない。療治に関する一切の申し出は、峻拒して取り付く島がなかったという」(佐竹昭広「死なざるが故に」『閑居と乱世 中世文学点描』、平凡社選書、二〇〇五年、86頁)。
 「連日ただ一行しか書かなかった彼の日記は、老い果てて今や滅びんとする余残の日々を記して、一種凄絶な文体効果を挙げている。これは、今日も生きていた、今日も死ななかった、「死なざるが故に已むことを得ず生きてゐる」(『日乗』昭和二十年九月二十二日)、「枯れ果てたる老軀の猶死せざる」(『日乗』昭和二十二年十二月三十一日)己に耐えながら、何時打ち切ってもいい、何時打ち切られても文句を言わない、孤独な老人の虚無的日次記である」(『閑居と乱世』、89頁)。
 「『断腸亭日乗』四十二年分を再読し終えて、何時までも残った余韻は、「物一たび去れば遂にかへつては来ない。短夜の夢ばかりではない」(「雪の日」)、その惻々たる「無常感」であった」(同書、93頁)。
 「東京という都の「人と栖」の幾変転を叙した断腸亭日乗の四十余年は、それ自体、江戸・東京半世紀の点鬼簿であり、壮大な『東京新方丈記』であった」(同書、95頁)。

巴里は再度兵乱に遭つたが依然として恙なく存在してゐる。春ともなればリラの花も薫るであらう。然しわが東京、わが生れた孤島の都市は全く滅びて灰となつた。郷愁は在るものを思慕する情をいふのである。再び見る可からざるものを見やうとする心は、これを名づけてそも何と言ふべき歟。(「草紅葉」昭和二十一年十月草、『葛飾土産』)

 この最後の問いに対して、佐竹昭広は、「私も荷風に答えるべき的確な語を知らない」と言う。確かに、跡形もなく失われた故郷を再び見ようとする心の疼きは「郷愁」ではない。なぜ適語が見つからないのだろう。これは不思議なことではないか。この絶対的な再見不可能性は、古今を問わず、洋の東西を問わず、繰り返し無数の人たちによって生きられてきた経験だったのだから。