内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

六月下旬の二つの研究発表について ― メルロ=ポンティ・谷崎潤一郎/西田幾多郎・瀧澤克己

2023-06-03 15:17:08 | 哲学

 今月二三日と二四日にパリで二つの異なった発表をする。
 前者はパンテオン・ソルボンヌの若手現象学研究者たちのアトリエで「陰翳の現象学」について話す。過去に何度か日本語とフランス語で発表したことがあるテーマだが、メルロ=ポンティの『眼と精神』に示された存在論の例解を谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の記述の中に読み取り、それを通じてメルロ=ポンティの存在論の射程を拡張することがその狙いである。アトリエの主催者から、日本の哲学と現象学との関わりについて何か話してくれないかという依頼を今年の一月に受けて、提案したのが上記のテーマである。
 後者は IFRAE(Institut français de recherches sur l’Asie de l’Est)の日本哲学研究会で瀧澤克己が西田哲学について書いた最初の論文について話す。この三月にやはり IFRAE で田辺元の哲学についての研究集会が開催され、そのときは瀧澤の田辺哲学批判について話したので、今回がフランスにおける瀧澤克己についての最初の研究発表ということにはならないが、両者あわせてフランスにおける最初の紹介ということにはなるだろう。
 前者については、すでに出来上がっている原稿を今の発表のためにアレンジするだけで済むので準備には数日あれば足りる。現象学の専門家たちが相手なので、「陰翳」が現象学にとって興味深いテーマになりうることを強調するためにいささか論考を補強しておきたいと思っている。
 後者については、瀧澤がフランスではまだほとんど知られていないこともあり、最初の論文「一般概念と個物」(法蔵館の『瀧澤克己著作集』第一巻に収録されている二十頁ほどの論文)に対象を限定し、その精読を通じて、当時六十三歳の西田が二十四歳の無名の哲学徒瀧澤に論文発表後直ちに書簡を認め、そのなかで「これまでこれくらいよく私の考えをつかんでくれた人がないので大なる喜びを感じました。はじめて一知己を得た様に思いました」というきわめて例外的な賛辞を送ることから始まる両者の哲学的交流の出発点が那辺にあるのかを示す。
 それぞれまったく独立に構想された発表内容で、思想史的な関心からも両者に重なるところはないのだが、奇しくも、『陰翳礼讃』の前半が雑誌『経済往来』に発表されたのも瀧澤の上掲論文が岩波書店の雑誌『思想』に発表されたのも同じ一九三三年(昭和八年)であることにさきほど気づいた。前者が十二月、後者が八月である。同年三月に日本は国際連盟を脱退している。だからどうということもないのだが、当時の時代の空気をもう少し探ってみるのも面白いかも知れないとは思った。