こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

冬の100曲:Joni Mitchell「Come In From the Cold」1991

2025-03-07 21:20:00 | 音楽帳

迷走雑録+  
年が明け、ぼんやりしているうちに年明け2か月が過ぎてしまった。 色々あったはずだが、色々あったことは思い出せないかわりに、すっ、と黙って”時間”という生き物が勝手に、そして一方的に、時間を早回しした。あくびをして気を抜いていたのが悪かった。そのスキを狙われて、闇バイトの緊縛強盗みたいに、あれよあれよという間に”時間”に押し入られ、押し倒された形。日々の過ごし方、時間の速度感の頃合いを見ないとこんな具合に”時間”にやられてしまう。3月からは何とか彼らのやりたい放題を食い止めたいところ。
***
年が明けても1月、2月と異常な乾燥が続き、不具合があちこちで起きている。岩手の山火事は何とか・・と祈っても、いまだ容易には鎮火し切らず。
年明けからひたすら晴れていた東京も、3月になってやっと初めて長い雨が降り、その雨は雪に変わった。しかしさしたる雪にならずに終わってしまった。

国内外の世間に目を移せば、がたがたとさまざまな事件が年明けから起きている。たった1日で天地がひっくり返るようなことが起き続け、翌日には前の日に起きたことが流れていく。それは例えば某TV局とかアカデミー賞とか某学会員の妊娠といったどうでもいい話しもあれば、似て非なるトランプ就任後の極めて危うい状況だったり。。。

そんな中、今自分にとって切実なことは、そういった広い世界より、その世界で米つぶみたいに小さい存在=自分の片耳が聴こえづらいことや、アタマから顔にかけてひどく痛いこと。あるいはクビや腰の痛み。医師から手術を勧められても、頷けずに漢方やら西洋薬でなんとかならないか、とやりながら、一向に改善しない状況に行き詰まる。
***
ということで、昨日は久しぶりに病院まで出向いて、丸一日を費やすことと相成った。病気はカネも時間も不安も多大にかかる。最近の人に言わせればコスパが悪い。そうそう、確かに、はっきり言って、病気こそが人生においていちばんコスパが悪い。衣食住にかかる費用なんてやり方次第でいくらでも圧縮は出来るが、病気にかかわるものは何ともならない。
今回はさらにタチが悪いのが、せっかく昨日丸一日かけて遠方まで行ったのに、違う方面で別の症状が湧き出してきたこと。一日で済まず、カネも時間も更に掛かることになった。

昨日深夜から、それまであった鼻水・咳に加えて、ノドがヒューヒュー言い出し、明け方呼吸困難で起きるハメになった。昨年肺炎になって以降、炎症を何度もぶり返してきたが、ここまで呼吸が苦しい経験は無く、まだ夜明け前後の薄暗がりの室内で見通しが効かない自分のカラダに恐ろしくなった。
***
今日は午後からリハビリしごとだったが、ガラガラの声で休みの電話を入れ、近場のクリニックに行った。結果は喘息に近い症状で、やっぱりクスリで症状を抑えることになった。2日に渡る診察からクスリは多岐に及び、肝臓に負担かけるが何とかこの苦しい症状緩和を、と仕方なくクスリを服用した。クリニックからフラフラ帰宅→クスリの為の食事→クスリ服用→しばしTV前のカーペットで大の字になった。病気だらけのカラダにもうギブアップ、という気分。
大の字でぼんやりTVを見ていた。
TVに写るはワイドスクランブル。中野信子さん、デイブさんの曜日。懐かしの舛添要一せんせいも出ている。おおしたさんがドラえもんと話している。おおしたさんの着る服はいつも素敵で似合っているなあ。。

脱線脱線。。。
こうしてちまちま考えていると、こんなカラダでこの後どうなっていくんだろうか・・今日のところはココで繰り返し押し寄せる雑念の波を止めた。また別日に話し合おうではないか、と体内のもう一人の自分に向けて言い、そこで対話を切った。

スカイツリーの下では既に河津桜が咲き、ガイジンさんや地方からの遠征組が群がってはスマホでパシャパシャ競い合って撮っている。
しかし寒の戻りはまだあるそうで、東京は明日も雨、10℃以下の予報。自然としての春はもうあと1ミリだけど、人間世界は大きな暗雲がたれこめたままの感じ。
そんな中、愛するジョニ・ミッチェルの好きな曲を聴く。

 

■Joni Mitchell「Come In From the Cold」1991■

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冬の100曲:YUNDI「Nocturne No. 14 in F-Sharp Minor, Op. 48 No. 2」2010

2025-02-27 22:30:00 | 音楽帳

(もうすみだ川端のモクレンが咲きそう。残り1.2日という感じ。)

今日もリハビリへ、、チャリンコ走らせる。

終わった後、我が家のネコさんのあれこれ用事すませに向かう。
カラダ動かした分、小腹がぐぅぐぅー鳴るので、コンビニのイートインはやめ、今日は贅沢して好きな純喫茶へ。

最近できた作為だらけのカフェではない純喫茶。
”作為の無い”懐かしいそのままの内装も”ごまかしのない”美味しいコーヒーもうれしい。

人生色々深い絶望感に包まれることが多いが。。
下町で生まれ育ったものの、あっちだこっちだ・・と途中振り回され長い長い年月 迷走させられたものの、
再びそんな下町での暮らしに戻れたことは、自分が自力で奪回できた数少ない些細なよろこびだろう。

コーヒーを飲みながら、今日はこんな音楽を聴いた。
昔からの自分に戻るひとときを過ごす。

・マウリツィオ・ポリーニ 「ショパン:24の前奏曲」より
「Chopin: 24 Préludes, Op. 28: No. 15 in D-Flat Major "Raindrop Prelude" 」
・ユンディ・リ 「ショパン:ノクターンズ」より
「Nocturne No. 14 in F-Sharp Minor, Op. 48 No. 2」
・ユンディ・リ 「ショパン&リスト:ピアノ協奏曲第1番」より
「Piano Concerto No. 1 in E minor, Op. 11 - 2. Romance (Larghetto)」

 

■YUNDI「Nocturne No. 14 in F-Sharp Minor, Op. 48 No. 2」2010■

すきな名画パーフェクトデイズをおもいだす。

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写真日和:三連休

2025-02-25 23:00:00 | 写真日和

たまには写真でも。。。

もうリーマンではないので、世間的な三連休とは関係がないのだが、この数日の振り返り。

三連休、というタイトルなのに、21日/金曜日の写真。

河津桜のつぼみがほころんだ。

もうここから数日経ったので、今日はもっと花開いているだろう。

春は花も自然も美しいが、そこに群がるうるさい人間も一緒に湧いて出てくるのが難。

22日/土曜日は、町屋にお茶を飲みに行く。

日差しの美しい日だった。

お店のネコちゃんには会えたが、あまりに寒くて毛布から出て来ず、いっしょに遊べなかった。

23日/日曜日は、いつも通りリハビリへ。

24日/月曜日、数少ない知り合いのマッサージを受けに、浅草橋まで行く。

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冬の100曲:広瀬豊「Nova」1986

2025-02-20 21:30:00 | 音楽帳

日誌+ 今日は休みで、遅く起きては、いつも以上にアタマが回らない。起こされたとき、数年前に潰された実家まわりの夢を見ていた。
男まさりの亡き母親がメシ喰いに行こうと言うから、引越し荷物の片付け途中で現場から離れる。ゴミが山積みの玄関を抜け、先に歩く母親と縁切近くなった兄弟の後を追った。自分は家を離れ、振り向きざま、数枚カメラのシャッターを切った。よく見る機会もなかった実家。数メートル離れて全体がフレームに入るようにしながら、その家をじっと見た。こんなカタチをしていたんだな、と数十年目にして初めて知る。
そこで声を掛けられて、夢は中断した。

回らないアタマで昼過ぎまで身の回りにある本やCD等雑多なモノにまみれ、PC内の未整理のファイル、それにアタマの中にあるごちゃ混ぜの考え、これらとない混ぜになって、鉛のような重さが脳内を満たし始めた。こんな膠着状態で室内に幽閉されていくと、大抵は何もかもが未解決で片付かないまんま、どんよりした一日になる。
今日はそのパターンに気付き、家人に「少し出てくる」と適当な誤魔化しをして外に脱出した。
出る時のTV画面で、根岸季衣さんが細い目で渋い顔をしていた。(2時間サスペンス最後まで見られず。)

寒い中、チャリンコを走らせ、雑念吹き飛ばす。使い捨てカイロをギュギュっと握りしめる。

ひどく寒い。それもそうで、日本海側は再びの大雪。東京も今年一番の冷え込み。
しかし、外の陽気に春の訪れを感じる。それはたぶん日差しの光線の色合いや青空の色味、空気の肌会いによるものだろうか?。
冬が持つ不思議は、冷え込み厳しい1.2月に、冬至を離れて日照時間がどんどんと長くなっていく、という相反するバランスにある。
そんな今日、チャリンコで走る片方だけのイヤホンから流れるのは広瀬豊さんの「Nova」、1986年作のアンビエント。自然に流れる音に混じり、水音、鳥や虫、生き物たちのざわめきが絡んでくる。カイロを握りしめ青空に風を切りながら、しばらく時を忘れて、春の音世界に漂う。

 

■広瀬豊「Nova」1986■

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冬の100曲:Marianne Faithfull「Times Square」「Morning Come」1983

2025-02-19 21:30:00 | 音楽帳

先日、マリアンヌ・フェイスフルが亡くなった。

自分が彼女の存在を知ったのは、1982年4月。これまた当時購入していた雑誌「ミュージックマガジン」でのことだった。この雑誌広告に、アイランドレコード創立20周年を記念して 過去の作品を一律2,000円で販売するキャンペーン広告があり、対象レコードのジャケット一覧がのっていた。その中の一枚がマリアンヌ・フェイスフルの「ブロークン・イングリッシュ」だった。ジャケットでは、タバコを持つ手が目のあたりにかぶさり、その陰影で彼女がどんなまなざしか?わからない。まるでまぶしいみたいにひさしにした手。裏の写真ではその手を外し、こちらに睨みを利かせて、メンチ切ってる。その姐御のモノクロポートレートがすごく印象的だった。その後も1982年には「愛の戯れ」が日本国内発売になり、興味をかきたてられたが、おこづかいと優先順位の兼ね合いで聴く機会を逸したまま時が過ぎた。

そんなマリアンヌ・フェイスフル の実際の音楽にやっと触れたのは、翌1983年10月秋だった。深夜23時、クロスオーバーイレブンにて選曲された曲をエアチェックすることになり、1983年の新譜「聖少女」から2曲。「タイムズスクエアの彷徨」「朝来たりても・・・」を聴いた。

80年代当時、彼女は“元ミック・ジャガーの恋人“ということと”元はアイドルのような声だったが・・”という2点がよく語られた。妖精のようだった彼女が数年経ったら、全く違う姿で皆の前に現れた。その激変ぶりがかなりショックだったことは、話す方々の文面からよく伝わってきた。

自分はそんな先輩たちが経験した可憐な姿を知らず、「聖少女」で彼女に出会った。精神の病、それにアルコールとドラッグ中毒を経て死の淵から戻ってきた彼女のしわがれて潰れた声にすごく優しさを覚えた。自分は当時まだ17歳だったが、親や荒廃した家庭、学校やそれを取り巻く社会に振り回されて、既に痛みと苦しみでぼろぼろに疲弊し切っていた。そんな自分にとって彼女の声と歌は同類の仲間と感じさせた。随分と一方的な想いだが、似ていると思った。こういった感覚は理屈ではない。音楽というものは、発語したたった一つのせりふだけで、その声の背後にあるその人の魂のありかみたいなものがわかってしまうから。

***

1983年10月25日出会ったのは2曲だったが、聴いて瞬時にその声に同じ匂いを感じ、どうやって生きていけばいいのかわからず、立ち往生している自分のココロに響いた。

そこから長い時間か流れたが、いまだにどう生きればいいか全くわからない。10代から解消できぬまま抱えた抑うつや倦怠感を引きずって、50代の下り坂を転がっていく。そんな道の途中で、自分のありかを探して彼女のアルバムを取り出して聴くことが未だにある。(ここ一二週はチャリで走らせながら「シークレット・ライフ」を聴いている。)

あの1983年に聴いた2曲は、あれから40余年経った今でも自分のココロを震わせる。昨年ブログに書いたハロルド・バッド同様、マリアンヌ・フェイスフルにも長くに渡ってお世話になってきた恩義がある。底に居る安定感とでも言うのか、彼女の音楽に漂う倦怠感は優しく自分には響く。他人にとってどうかは分からないが、“売れる”音楽、“高尚な”音楽よりもはるかに、自分にとって魂の支えや救いになる音楽だと思っている。

 

■マリアンヌ・フェイスフル「タイムズスクエアの彷徨」1983■

ひそかに聴くアルバムたち

 

PS:

20250219梅はとうに咲いている

20250219河津桜もあと数日だろうか

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