晴れがずいぶんと続いていた。まっさおな青空が美しく、そこに映える紅葉も美しい日々が続いた。しかし、その紅葉ははらはらと散り終えつつある。落ち葉は乾いて、カラカラと木枯らしのなか舞っている。陽の長さは日に日に短くなり、あと一週間程度の冬至に向かって傾いていく。
金曜は長らく続いた連続晴天から一転して、真っ白い曇り空になった。もう冬だろう。その日に感じた。
そして、金曜曇りを挟み、昨日も今日もまた絶好の晴れとなった。
こんな日々が続く中、朝の布団を離れるのは9時から10時のあいだ、という具合。別に寒いからじゃない。晴れた日はせっかくの日光なのにと思うのだが、半世紀以上朝は苦手。立ち上がりの悪さやふらふら感は変わりない。
長らく「はぐれ刑事純情派」の再放送(今は1994年第7シリーズ)を9時から見ることを楽しみにしてきたが、昨年以降2巡目に入り気力落ちた為に9時前に起きる必死さが無い。理由はほかにもあるが、TVは無理矢理な動機付けには格好の材料だが。。
歯磨き、湯沸かし等々の雑事終わってTV付ける頃にはじゅん散歩〜おおしたさんの番組の流れになる。
別に寝坊でも何でも無い。ネコのことなら彼らの要望に応じて、深夜から明け方も含め24時間対応はしている。外用事は午後から済ませるだけのことだ。
この12月某日で、ドクターストップがかかってから丸5年をむかえた。まさか、と思う。驚くべき時間の速さ、人生の短さを痛感する。
この5年のあいだに、コロナ禍を通過、仕事は休職を経てがたがたやり合いの末に時間切れの形になった。その後、一生に一回の転期と考えた。カネの為に身を削り、我慢辛抱して奴隷として働くという日本人的労働観を捨て、残る時間はそれまでと違う新しい生き方をしようと決めた。
しかし、そうは言ってもやはりカネが一文無しでは生きていけない。四苦八苦しながらさまざまな取り組みをしている。
だが、つくづく今の日本社会は、会社員中心に出来ていて、社会的手続きや所属員への優遇など、会社に属している人のメリットだらけ←/→社畜的奴隷制度から脱してもデメリットだらけ。それでも、もうカネだけのために生きる無様な生き方はしたくないので、この病んだサークルの外側にいま私は居る。
かつて会社に寄生してはチューチューチューチューあらゆるカネ目のものを吸い取り、社内外に毒をまき、依存的生き方をしていた連中の、愚劣でえげつない化け物顔がときおり浮かぶ。。。彼らはたんまりカネを得て、さぞご満悦だろう。
***
何はともあれ、かつて居た場所を離れ、自分は見知らぬ飛び出た場所にいる。私は新しい生き方、新しい道の上にいる。もう後ろに戻る道は無いし、戻らない。それは格好つけてるわけでも突っ張ってるわけでもなく、事実なのである。
ココロには中学三年生15歳の自分が、暴風の中新しい道へ歩き出したときの姿が浮かぶ。決してその後の道がハッピーエンドに向かったわけではない。むしろその反対だが、それでもなんとか難局を超えて生きていくことを選んできた。
15歳の頃、すり減る程に聴き込んだJAPANのアルバム「孤独な影」。孤独な中、周りのしがらみに翻弄され腐りながらも、自らが思う道を歩こうとするデヴィッド・シルヴィアンの姿が自分を後押ししていた。全曲あり得ない完璧さをもっているが、最近またこの曲(マイ・ニュー・キャリア)を聴いている。
このアルバムとの出会いから約43年。心の深い深いところに届く数少ないこのアルバムから、多くの励ましを得てきた。 JAPANは私にとって唯一無二の存在。特にこのアルバムは、この後も一生を通じて聴くことになるだろう。
■Japan「My New Career」1980 (Old Grey Whistle Test, Dec. 1980)■
ひとりきりになりたいなんて
思ったことはなかったくせに
とにかく僕はそっと家を抜け出して
ここまで来てしまったんだ
南に住む人々は
些細な人生の浮き沈みを繰り返しながら
まっすぐ前を向いて歩いてる
確かな足どりで
彼等が僕たちの唄をうたってる
外の人々には何も聞こえないけれど
彼等が僕たちのうたをうたってる
僕の新しい人生のはじまりに
やっと気づいたんだ
違う生き方もあるということに
船が港に着くたびに
出発の時はやってくるのだから
南へ行けと彼等は言うよ
太陽は僕の町には沈まない
僕を物憂い気分にさせるのは
この熱風の中の疾走
僕は誰ひとり傷つけたりしていない
ことに 君を傷つけるような真似は