こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

雑録:319

2025-03-19 22:20:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

雑録+/

ネコのちる坊が朝方、なあああっと叫んだ。たぶん、トイレだな、「トイレ済んだよー」と叫んでいるのかも。教えてくれているんだ。
ちる坊はいわゆる多頭飼育崩壊の環境から救われた子。
箱型トイレでの排便習慣がないらしく、数か月色んな試みをしたものの、もう大きくてしつけや矯正もできなかった。

ということで、ケージ内に引いたペットシーツの上でしか大小便ができない。
だが、汚れを嫌うのがネコ。さっさと片付けて欲しいとき、あるいは、私にトイレが終わったのを教えるべく、ちるは明け方叫んでいると思っている。

「ああ、わかってるけど・・・(しんどい)。」
38℃手前ギリギリの熱を持ったまま死んだように眠りに就き、普段ちゃんと眠れないじぶんにしてはよく寝ていたのだが、いきなり起きろ!と言われると起きられない。

ちる坊と付き合って1年ちょっと。
叫ぶ声か前足でペットシーツを蹴る馬のような走る音に応じて、至急とっさに飛び起きる実地訓練をしてきた。尊敬する消防士の方々みたいにはいかないが。
・・・ちる坊、すまん。と再度眠りに倒れた。
そうしてしばらくまた寝てしまったようだった。

***

・・・その後どれくらい経ったか?7時40分ごろ、ズバーバババー!!!雷鳴が一発。こんな轟音はきいたことがない、そんなカミナリだった。
やむなく目覚めたものの、それでも布団は出ず、ゆーちゅぶでテレホン人生相談をいくつか聴いた。
その1つ。。。20歳の息子が外に出て一人住まい、たまに掃除に行くというまま(ママ)。そこでゲイ雑誌を見つけてしまったらしい。
同性愛者への理解をアタマではしているつもりだが、我が子と思うと動揺してしてしまっていて、どうしていいかわからない。病気になったらどうしよう。
と意味不明な不安と相談。
この手の相談にありがちなのだが、確認していくと詳細は最初に言っている話と違ってくる。要はままが過干渉、ひまだから事件を創り出している例。
大原先生は怒り、今井先生は笑いながら静かにうなり「私は違うと思うけど・・・もしそうだとしても、あなたがどうこうする話しじゃないでしょ。」
実にもっとも、だ。
こんなコントがスネークマンショーにあった、と急に想い出す。
相談者の奥さんは子供の病気や旦那が不倫では?と心配している。
先生に色んな質問していくうち何でもかんでも治りますかね?ときいたうえで感極まって泣き出すのだが、途中から先生は呆れて「心配ないです」と繰り返しながらご飯を食べ出す。

***

ぼんやりと起き出したのは、雷鳴から1時間近くたってからのこと。
8時台後半。うちじゅうのゴミ箱を集め、ネコたちの糞尿袋をまとめ、大きなゴミ袋に詰めて、ボケボケのアタマで外に出しに行った。
するとふわふわ白いぼた雪が宙を舞っていた。

雪は積もる勢いだったが、1.2時間後急速に弱まり、雨へと変化し、午後しごとに出る頃にはキリ雨へ。そして晴れになっていった。
熱は夜に上昇し、翌朝には落ちて消える、を繰り返す。
春の陽気もカラダも、ちる坊の目のようにめまぐるしく変わっていく。

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写真日和:冬だったり、春だったり

2025-03-18 21:20:00 | 写真日和

日録は数十日書き散らした末、みんな中途半端に思えて、あああ、と全部放り出した。

そうしてもたもたしているあいだに、また数日前から熱が始まり37.9℃。

もう酒は吞んでいないのに、熱で酔っぱらっているようなフラフラ感覚。

そんな状態で夕飯を食い、オータニサアンの出ている野球を見ている。

***

もう春、といっていい感じの野外だが、常に血行不良の自分にはまだまだ寒い。

冬でも春でもいいけれど、自分の中では春分の日までは冬ということにしておこう。

 

おのぼりさんたちは、サクラを撮るためにあちこちに行列を成して通行人の道をふさぎ出した昨今。

春休みだの異動だのとやたら野外に人が這い出してきて、人アレルギーの自分には困るばかり。

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冬の100曲:Joan Bibiloni「Born」1989

2025-03-10 10:30:00 | 音楽帳

3月9日(日)
土曜のひと雨が過ぎて、日曜を迎えた。
荒天後、青空の朝。まだぜんそく気味だが、クスリをのんで少しづつよくなっている。

たまには、と朝ごはんを用意するのをサボり、早めにうちを出てマックで食べた。その後は久々に、その足でam時間帯にさんぽ。
令和の今用な暮らし方が腑に落ちない自分にしては、まるで一般庶民みたいな、ずいぶんとこなれたような、amの流れだった。
太陽はサンサンだが、空気には冷気を感じる。その太陽と空気を浴びる。

12時台一度うちに戻ると、疲れて少しヨコになった。病み上がる途中なのに張り切って歩き過ぎた。
ヨコになってきくジョアン・ビビローニが気持ちいい。彼の1989年の作品「ボーン」、コロナ禍のさなか偶然出逢った一枚。

何の情報も無い状態で出会った曲「Sa Fosca」が最初の新鮮な一撃だった。聴いてすぐ好きになった。クリアーでクロスオーバーな音の感触にパット・メセニーを思い出した。みずみずしい滑らかな表現、音からヨーロッパ、そして地中海の風景が見えた。
実際知るとジョアン・ビビローニは、スペイン領である地中海に浮かぶマジョルカ島出身のギタリスト兼作曲家。そんな情報を得なくても誰でも聴いたらすぐに、陽光に満ち、青を基調とした海の風景と風の匂いを感じるだろう。アルバム全体繰り返し聴いていると、次第にカラダは透き通ったブルーの水に満たされ、純化していく。



 

■Joan Bibiloni「Sa Fosca」1989■

コメント (2)
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冬の100曲:Joni Mitchell「Come In From the Cold」1991

2025-03-07 21:20:00 | 音楽帳

迷走雑録+  
年が明け、ぼんやりしているうちに年明け2か月が過ぎてしまった。 色々あったはずだが、色々あったことは思い出せないかわりに、すっ、と黙って”時間”という生き物が勝手に、そして一方的に、時間を早回しした。あくびをして気を抜いていたのが悪かった。そのスキを狙われて、闇バイトの緊縛強盗みたいに、あれよあれよという間に”時間”に押し入られ、押し倒された形。日々の過ごし方、時間の速度感の頃合いを見ないとこんな具合に”時間”にやられてしまう。3月からは何とか彼らのやりたい放題を食い止めたいところ。
***
年が明けても1月、2月と異常な乾燥が続き、不具合があちこちで起きている。岩手の山火事は何とか・・と祈っても、いまだ容易には鎮火し切らず。
年明けからひたすら晴れていた東京も、3月になってやっと初めて長い雨が降り、その雨は雪に変わった。しかしさしたる雪にならずに終わってしまった。

国内外の世間に目を移せば、がたがたとさまざまな事件が年明けから起きている。たった1日で天地がひっくり返るようなことが起き続け、翌日には前の日に起きたことが流れていく。それは例えば某TV局とかアカデミー賞とか某学会員の妊娠といったどうでもいい話しもあれば、似て非なるトランプ就任後の極めて危うい状況だったり。。。

そんな中、今自分にとって切実なことは、そういった広い世界より、その世界で米つぶみたいに小さい存在=自分の片耳が聴こえづらいことや、アタマから顔にかけてひどく痛いこと。あるいはクビや腰の痛み。医師から手術を勧められても、頷けずに漢方やら西洋薬でなんとかならないか、とやりながら、一向に改善しない状況に行き詰まる。
***
ということで、昨日は久しぶりに病院まで出向いて、丸一日を費やすことと相成った。病気はカネも時間も不安も多大にかかる。最近の人に言わせればコスパが悪い。そうそう、確かに、はっきり言って、病気こそが人生においていちばんコスパが悪い。衣食住にかかる費用なんてやり方次第でいくらでも圧縮は出来るが、病気にかかわるものは何ともならない。
今回はさらにタチが悪いのが、せっかく昨日丸一日かけて遠方まで行ったのに、違う方面で別の症状が湧き出してきたこと。一日で済まず、カネも時間も更に掛かることになった。

昨日深夜から、それまであった鼻水・咳に加えて、ノドがヒューヒュー言い出し、明け方呼吸困難で起きるハメになった。昨年肺炎になって以降、炎症を何度もぶり返してきたが、ここまで呼吸が苦しい経験は無く、まだ夜明け前後の薄暗がりの室内で見通しが効かない自分のカラダに恐ろしくなった。
***
今日は午後からリハビリしごとだったが、ガラガラの声で休みの電話を入れ、近場のクリニックに行った。結果は喘息に近い症状で、やっぱりクスリで症状を抑えることになった。2日に渡る診察からクスリは多岐に及び、肝臓に負担かけるが何とかこの苦しい症状緩和を、と仕方なくクスリを服用した。クリニックからフラフラ帰宅→クスリの為の食事→クスリ服用→しばしTV前のカーペットで大の字になった。病気だらけのカラダにもうギブアップ、という気分。
大の字でぼんやりTVを見ていた。
TVに写るはワイドスクランブル。中野信子さん、デイブさんの曜日。懐かしの舛添要一せんせいも出ている。おおしたさんがドラえもんと話している。おおしたさんの着る服はいつも素敵で似合っているなあ。。

脱線脱線。。。
こうしてちまちま考えていると、こんなカラダでこの後どうなっていくんだろうか・・今日のところはココで繰り返し押し寄せる雑念の波を止めた。また別日に話し合おうではないか、と体内のもう一人の自分に向けて言い、そこで対話を切った。

スカイツリーの下では既に河津桜が咲き、ガイジンさんや地方からの遠征組が群がってはスマホでパシャパシャ競い合って撮っている。
しかし寒の戻りはまだあるそうで、東京は明日も雨、10℃以下の予報。自然としての春はもうあと1ミリだけど、人間世界は大きな暗雲がたれこめたままの感じ。
そんな中、愛するジョニ・ミッチェルの好きな曲を聴く。

 

■Joni Mitchell「Come In From the Cold」1991■

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冬の100曲:YUNDI「Nocturne No. 14 in F-Sharp Minor, Op. 48 No. 2」2010

2025-02-27 22:30:00 | 音楽帳

(もうすみだ川端のモクレンが咲きそう。残り1.2日という感じ。)

今日もリハビリへ、、チャリンコ走らせる。

終わった後、我が家のネコさんのあれこれ用事すませに向かう。
カラダ動かした分、小腹がぐぅぐぅー鳴るので、コンビニのイートインはやめ、今日は贅沢して好きな純喫茶へ。

最近できた作為だらけのカフェではない純喫茶。
”作為の無い”懐かしいそのままの内装も”ごまかしのない”美味しいコーヒーもうれしい。

人生色々深い絶望感に包まれることが多いが。。
下町で生まれ育ったものの、あっちだこっちだ・・と途中振り回され長い長い年月 迷走させられたものの、
再びそんな下町での暮らしに戻れたことは、自分が自力で奪回できた数少ない些細なよろこびだろう。

コーヒーを飲みながら、今日はこんな音楽を聴いた。
昔からの自分に戻るひとときを過ごす。

・マウリツィオ・ポリーニ 「ショパン:24の前奏曲」より
「Chopin: 24 Préludes, Op. 28: No. 15 in D-Flat Major "Raindrop Prelude" 」
・ユンディ・リ 「ショパン:ノクターンズ」より
「Nocturne No. 14 in F-Sharp Minor, Op. 48 No. 2」
・ユンディ・リ 「ショパン&リスト:ピアノ協奏曲第1番」より
「Piano Concerto No. 1 in E minor, Op. 11 - 2. Romance (Larghetto)」

 

■YUNDI「Nocturne No. 14 in F-Sharp Minor, Op. 48 No. 2」2010■

すきな名画パーフェクトデイズをおもいだす。

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