こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年8月20日 月曜日  「トウキョウソナタ」

2012-08-20 21:23:25 | スケッチブック
好きな写真をダウンロードして保存する。
それも「わたし」の趣味の1つ。

・・・とある日にとあるサイトに訪問。
そこには、詩的なCDジャケットが並んでいた。

だが、画像が小さくて、その時にはただ「キレイ」と思い、「見る」だけで終わっていた。
それで満足していた。

この休みに写真を整理しているうちに、何年かぶりに、このCDジャケットの4cm角程度の写真を見た。

一体誰のなんというアルバムなのだろうか?

そうして、拡大してみるが、大きくすると共に画像は荒々しくなり、かすかに記された文字はあやふやに消えてしまう。
眼を細くしてすがめてみたりして、なんとなく浮かび上がった英語の文字。
それで検索をかけてみる。

自分が思うものではない結果が出る。
それを何度か繰り返していく間に、やっとたどり着いたのが「TOKYO SONATA」。
便利な世の中。



どうやら自分が好きだと保存していたジャケット写真は、映画のサウンドトラックだった。

そこから色々と調べると、2008年に公開された映画であり、(アイドル時代は別とした「今」)女優として愛している小泉今日子さんが出演している。

サウンドトラックの創り手は、橋本和昌(かずまさ)さんという方。
その次は試聴が出来ないものか?
とYOUTUBEで検索をかける。
すると、素敵なテーマ曲と動画に出会った。

■橋本和昌 「トウキョウソナタ」テーマ曲 '08■


「東京」と言って想起するは、小津安二郎さんの「東京物語」であり、永井荷風の「日和下駄」がよぎり、
その二人に影響を受けた荒木経惟さんの一連の写真が浮かぶ。

また、渋谷まで観に行った、1984年段階の教授の孤独な日々のドキュメント映画「TOKYO MELODY」、
1985年=80年代中盤「あおむけに狂っていく(如月小春「アイランド」)」東京の中で描かれた
土屋昌巳の「東京バレエ」へと。。。

「わたし」の脳のシナプスは信号を伝達していく。

まだ映画「TOKYO SONATA」は観ていない。
それでも、テーマ音楽とジャケットの雰囲気だけですら、すでに心がそそられてしまっている自分が居る。
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2012年8月15日 水曜日 「Upon This Earth」

2012-08-15 14:15:27 | スケッチブック

終戦の日。
晴れ。

先日ラジオで伊集院さんが語っていた、好んで作るおそばの付け汁の話し。
それをそうめんでやってみる。

ミョウガをしげしげ眺める。
自然が産み出す形と色合いがなんとも上品で美しい。
香りも含めてミョウガは実に上品な植物。

山芋をすったとろろに、細かく刻んだミョウガを入れる。
そこにだし汁を混ぜて完成。

見た目はともかく、味わい・風味のあるおつゆ。

***

今年の終戦の日も暑いものの、穏やかで静か。
つい、三島由紀夫のことを思い出してしまう。
三島は疎開先で玉音放送を聞く。
なぜ、全てが終わろうとしているのに、ちゃぶ台があり、周囲には親族がおり、庭では夏の日差しを浴びた緑が輝いているのか?
それがとても不思議な光景に映った。

短編「海と夕焼」に描かれる「なぜ神風は吹かなかったのか?」という主題にも重なる。

三島の描く風景描写の持つエロティシズム。
本人も語るように、それは単なる風景描写ではなく、書く三島にとって、官能的であり郷愁を誘う、魂の源泉。

仮面の告白、豊穣の海第四部等々、いくたびも出てくるギラつく日差し・反射する光・輝く緑といった描写に込められたもの。

***

よく自分は昔から、調子が悪く横になる度によぎる念。
死後などあるか/無いかは、死なねば分からないが、彼岸に逝った人は此岸に居る我々に、それを事実として伝えるすべはない。
ジョージ・オーウェルという方が言ったように、キミの骨も乾かぬうちに、キミのことなんかすぐ忘れてしまう。

問題は、それでも想いを続けてくれる糸で繋がった身近な誰かが居るか/居ないかだけだ。
しかし、その人とて、間もなく彼岸に逝ってしまう。
糸がどこまで途絶えないかだけだ。

大学時代という青二才の頃にアルバイトをしながら、外側から社会という車輪が駆動する様を見て、その念を強くした。
自分が死のうがどうしようが、毎朝、新聞や牛乳が配達され朝が始まり、人々の足音や声のざわめきに次第に街は包まれ、夜に向かって収束していく。
自分という死体があろうとなかろうと、その横では何事もなく空は晴れ・雲は漂い・緑は輝くだろう。
地球がある限り。

■David Sylvian&Robert Fripp 「Upon This Earth」
('86年・セカンドアルバム「遥かなる大地へ(Gone To Earth)」より)■

〔画像-アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」より〕










英霊たちの魂に合掌。
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2012年7月8日 日曜日 「テクノチウム・リミックス」'02

2012-07-08 15:47:31 | スケッチブック




2002年に、MZ師がベニア板にパステルやクレヨンで書いた「テクノチウム」という絵を写真に撮って、メールでもらった。
その「テクノチウム」という絵を元に画面上でいじくり回して「テクノチウム・リミックス」が出来上がった。
言わば、MZ師との共作。

10年前に描いたものだが、太陽にスペル星人が描かれている。
2012年になって振り返って、こんなものを描いてしまっていたのだなと思う。

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2012年6月16日 土曜日 「Where Are You Standing?」

2012-06-16 20:41:47 | スケッチブック
ヒトそれぞれの認識は多様だから、それぞれが一番良いように捉えれば済む話だが、自分の認識では・・・
「週」とは月曜日に始まり→日曜日に閉じる。

そうして、月曜に曳航に出た何百回かの繰り返しの中、サメに食べられず・ことなきを得て、無事に金曜日の晩、港に戻ってきた。



今週の土曜日も雨なのである。
ただし、今週は梅雨入りをしたので、当然のことなのだが。
最近、毎週土曜日が雨、というのも因果。
万年床に寝て、ブライアン・イーノを聴きながら、サンダーボルトを背面に入れ、背中・頭・腰をぐりぐりぐりぐりマッサージする。



雨が幸いなのは、うるさいコドモの声、スカイツリー&ソラマチを目指してバラバラバラバラ羽の音をさせて中空を飛ぶへりこぷたあの音が聞こえないこと。



白ごはんはそれだけで御馳走だが、色ごはんも好きな自分は、今日は色ごはんを食べる。
シングルマイライフでは、ソース・ケチャップ・マヨネーズはそれだけでも贅沢なおかず。
目で見える色があざやかであるのもあるが、ごはん・おかずがそれぞれに在る食事とはおもむきが変わって、ごはんとおかずが一体化したものは・同時並行的に食べることが出来る別の形態。
食べた満足は睡魔を誘い、気が付けば再度夢の中に逝っている。



擬似絆・擬似ECOを声高々に言えるだけの知識や正義心が無いダメな自分は、今まで東北を植民地化させて・そこで電気を作らせて・都市で自由気ままに使用してきたことへの気まずさにうろうろはっきりしない気分の中にいる。
ただ、電気代が上がることは貧乏生活の死活問題に直結する。
ゆえに、電源を切りまくり、灯りを出来るだけ使用せず、夜は暗い灯りで過ごす。
映画のように、暗闇でパソコンを見る。
本当はパソコンそのものが電気を一番必要とするのだろうが。



シングル人間は、そのような経済的観点からすればカネ食い虫である。
多くのヒトが共同生活した方が、ECO。
お風呂や料理に始まり、あらゆるものにロスがある。
効率が悪いのだ。
しかし、カネ経済の側から見れば、そのほうが儲かる。

このところ、数人で共同生活をするヒトが増えているが、それは正しいのだろう。
一番の理由は経済的なさいふの中身なのだろうが、それに限らずコミュニケーションや精神衛生上も良いことなのだろう。

ところがどっこい、幼児から今に至るまで、親を始めとして、学校・社会、あらゆる場面で異端扱いされる自分は、共同生活をしても村八部になる。
こちらは当たり前のことをしているつもりでも、マニアック・偏屈・キチガイとみなされる。
なかなか住みにくい世の中では、いくら当たり前のことと思ったところでも窮屈になり、そこから追い出されて孤となるのがスジとなる。
今日も、けもの道を歩く。





ということで、今日もヒトに迷惑をかけずに、部屋で過ごす。
こちらもそのほうが窮屈さを感じない。
お互いそれで良いのだ。
ハブ噛み師匠からメールあり、街に出ようと誘いはあったが、疲弊激しい中では寝ることを選ぶ。



ゴミ屋敷を探索すると、スケッチブックの1ページのコラージュを発見する。1995年9月とある。
街で拾った、すくいとったチラシを、手でちぎって、ヤマト糊で貼り付けて、そこに修正ペンでぐりぐり適当にして放置されたもの。
「Where Are You Standing?」とある。
YOUは自分に向けて指すコトバでもあり、誰かYOUに向けたものでもある。



■パブリック・イメージ・リミテッド「キャリアリング」(1979年「メタル・ボックス」より)■


中学生のころ、この「キャリアリング」を使用したCMがあった。
硬質で低空飛行する闇世界の音として、メタル・ボックスの中でも印象深い曲である。
ロックは死んだ、と言って、セックス・ピストルズを終わらせたジョニー・ロットン。
ロックでなければ何でもいい、と言ったジョン・ライドン。

形骸化させようとする笑顔の働きかけにNONと表明し、その外側に向かうこと。

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2012年5月28日 月曜日 「1987年4月2日の夜」

2012-05-28 22:12:19 | スケッチブック



上は、1987年4月2日のノートに書かれた色鉛筆・万年筆・マジックでの絵である。
自分の横に寝ているのは、当時の愛猫・茶介くん。
実のところは、現実には寝るのが怖くて、こんな大の字で寝てなどいられない状態だった。

***

中学、高校、素浪人・・・と歳を経るごとに精神的に追い詰められて行った結果、1986年に自死に失敗しつつ、周囲が迫ってくる幻覚・眠れない恐怖と戦っていたが、その理由はその後、ユングに出会い・心理学・精神医学の本を読み、次第に「自覚」に至っていく。

・・・・かんたんに言ってしまえば、追い詰められた現実が、受け入れる容器(心身)からあふれ出ての破綻。
抑圧とねじりや迷走が絡み合って、どうにもならなくなった状態の最果て。
耐えに耐えてきた抑圧の中、何とか崩壊しようとする自我のほころびを縫いつつ、生き耐えて行こうと細い糸を繋ぎながらも、限界値を超えた。

当時、精神的な破綻は、自分にとって忌避すべきことであり、悟られまいとした。
狂気も精神破綻も認める訳にはいかなかった。
しかし、結局、志半ばで折れた。
そして、医者も薬も嫌っていたのに、薬のドランカー状態にハマっていく。

何とか、精神のことは精神でカタを付けねばならない、と思っていた信念は、ここで終わる。
未だに痛み止めを飲まない主義である、と語る人を見ると敬意を抱く。
自分が、越えられなかった危機を、この人は多分、何かに依存せずに超えてきたのだ、と思う。

***

自我の危機的状況の中、自分がすがったのは、ノートへの走り書きメモ・物語・夢的なイラスト描き。
そこに自分を逃げ込ませようとしていた。
今思えば、これは明らかなる精神後退現象だったかもしれない。
ただ、そこに没入している時だけ、少しだけ安心があった。

上のような絵を毎日毎日、描いていた。

***


そこから距離を置いた今言えるのは、当時はやむを得なかったのであろうが、あらゆるプレッシャーから、逃げに逃げた結果、現実を正視出来ず、自己肯定を出来なくなっていた。
というか、とてもではないが、もう逃げ場の無い地点で、構造的に成立出来ない自我になってしまっていた。

薬とは、当時、自分にとって、暴れる精神患者がモルヒネ注射を打たれて、鎮圧させられるような感覚だった。
しかし、とりあえずの代替えの自我を作るべく、一旦、精神を後退させたまま、ひたすら絵とメモを続けるしか手は無かった。

***

自分は、そこで一度目の人生が終わったと思っている。
一旦、後退した状態から、改めて多くの本や音楽や生き物や友人と出会いながら、ゆるやかに、社会への軌道に入って行った。
一生廃人の牢獄だけは回避した。

まあ、この二度目の人生も変わらない部分は、やっぱり変わりは無い。
でも、あの地獄よりもマシなのだろう。

今もたまーに、いたずら描きなどはする。
見た目は、似たもの。
しかし、自分自身には似て非なるものである。
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2012年1月25日 水曜日 20120125 - 作品「Chaotic Dream」'02 -

2012-01-25 22:15:33 | スケッチブック


仕事が始まって以降、なかなか絵を描くことがままならなくなった。
そういう延長線上で、90年代の終わり頃に手に入れたパソコン。
2000年代には、片方では相変わらずたまーにいたづら描きをしたり、スクラップをしては色を塗り・液をかぶせ・・する中、もう片方ではパソコンの中で絵を描くことに熱中した時期があった。

アナログとデジタルの違い。
音楽で言えば、パソコンという新しい道具の進化がエレクトロニカなどに繋がっていったようにして、自分は画面上で様々な画像をスクラッチさせる遊びを発見した。

パソコン上で作られた絵「カオティック・ドリーム」。
夢というのは、たまに記憶に残っていたりするが、ほとんどは起きたら忘れてしまう。

MZ師は、寝床のまくら元にペンと紙を置いて、起きたら見た夢の断片を走り書きでポイントだけ記し、あとで夢日記に仕上げている。

夢の不思議さは、理屈の上では決して起きないようなことが、夢の中では成立してしまっていること。
周囲を囲む人が、自分が別の年代に会った人なのに同じ場面に同席して仲間だったり、実現不可能な超常現象に近いことが起きていたり。。。。
空を飛んでいたり・・・ビルがぐにゃぐにゃだったり(シャブはやってません)・・・。
本来は、異質な「時」と「空間」に置かれていたはずのものが、それを跳躍して組み合わさると、夢ならではの奇妙な別世界のリアリティが生まれる。
まさに「カオス」の象徴が夢である。

画面上での組み合わせの遊びも、そんな亜空間に繋がるような気がする。
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2012年1月22日 日曜日 20120122 - 作品「鳩びっこの夢」 -

2012-01-22 08:37:53 | スケッチブック
90年代後半、愚にもつかないスケッチブックへのいたずら書きを再開した。
と、いっても遅々として進まず、描いたり、そのへんにあるものをノリで貼り込んだり・・・ああ、やっぱりダメだ・・・
と放置しては数箇月後に眺めて、色を塗ったり、線を書いたり・・・
アクリル絵の具やら、溶かした液をぶっかけたり、塗りつぶしたり・・・
ひっかいたり、こすったり・・・

出来上がる、とも、出来上がらない、とも、どっちつかずの状態のスケッチブックの中のページ、ページ。

相当な時間を経て、そんなものを引っくり返して、スキャナーで取り込んだ。
それは2000年以降。

その一部を載せる。

これは、MZ師が見た夢が元となっている。
夢の中に、びっこのハトが出てきた、という話しを聞いて描き出した「鳩びっこの夢」。

これとは別に、スクラップで貼り込んだものに、アクリルで着色して、そこに外壁に使うスプレーペンキを買ってきて吹き付けした「鳩びっこの夢・2」。



「ところで、ご趣味は?」とたずねる常套会話しかできないヤツと話さざるを得ないときが、人付き合い上、避けられない。
そんな際に、話しを進める中で、音楽と言えば「どんなジャンルを?」。
アートと言えば「油絵ですか?水彩ですか?」。

「はああぁ・・・」と、ついためいきを付いてしまう。
こういう人に何かを言ってもムダなのは分かっているのだが。

とどめは「何が絵を描かせる衝動なんですかねえ?」という質問。
「そんなこと分かるかいな!」ココロの中でツッコミを入れたくなる。
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2011年12月2日 金曜日 一筋の希望 - ドラマ「カーネーション」 -

2011-12-02 23:31:52 | スケッチブック
地上波テレビを見ない、NHKはうんぬんかんぬん・・・そう言いながら。

NHKの持つある部分の力は理解しつつも、公共放送・受信料必須という姿勢に反感を抱く一方。
ただ、両親が次第に八十代を迎える中、実家でたまたま見た朝の連続ドラマ。

十月から始まった「カーネーション」。
それに惹かれてやまなかった。
これには、お金を払っても良いと思っている。


一体、なんなのだろう。この気持ち。

***

昨年「ゲゲゲの女房」にお袋さんがハマり、毎日、BS・地上波朝、昼と三回視る中、家族で集まった際に、兄がお袋さんへの贈り物に、総集編をDVDに収めてプレゼントした。
それを五人で囲みながら見た日。
水木しげるの実話を題材にしたドラマ。

自分が、かつて営業していた武蔵野の自然と匂い残る調布。
実家の中は、ゲゲゲの鬼太郎のグッズであふれかえっていた。

***

そして、今回の「カーネーション」は、コシノジュンコら妖怪ベム三姉妹、ではなく、その産みの母の苦労を描いた大正から昭和への岸和田が舞台。
その母を演じるは、「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子。
彼女の芝居は、別段上手では無いし、決して美人ではないのだが、三十にも関わらず初々しさの残る好感を持つ雰囲気を湛えている。
時にユーモラスに、時には可愛く・美しい。

周囲を囲む人々と小さな街のざわめきへの温かみ。


自分が大阪時代の五年のうちの最後の五年目は、それまでコテコテの大阪市内の渦に居た所から一変して、南大阪地区、つまり堺市から細長く下る岬町までの広範囲の営業エリアへと移された。
それはまたもや未知の世界であったが、四年目に結婚破局・大失恋と阪神淡路大震災を経験した自分には、今思えば何の導きか?分からないが、あえて想い出多き市内から引き離した。
そこで出会った自然や風景、市内とは異なった人々の異なった暮らしと言葉と世界に惹かれた。
ずいぶんとぶきっちょだけども、今思えば優しい人々との出会いがあった。
まるで開拓者の如く営業車を縦横に走らせながら、PLの塔が見える場所で風景に浸ったり、海岸線で海を見たり・・・。
そんな中で偶然、岸和田の無骨な織り元の社長と偶然の出会いをして「お店を出したい」という希望を二十代の自分が聞き、一緒に悩み・設計士でも無いのにお店のパース・絵を描き・店員に育つ同世代の人に自分なりの知る知識を教えながら、数箇月を経て、そのお店はオープンした。
まるで自分の店のように喜び、写真を撮り、自然と自分の仕事の商品も沢山売れた。

四年目の絶望は心の底に大きなキズを残していたが、それでも救いがあった。
そういう流れが、まさか一年で終わり、東京に戻らねばならないとは、その時には思いもしなかった。
社長の行く岸和田の海沿いの小料理屋で、よくほかの協力会社の営業仲間と漁で上がったシャコや刺身をたんまりごちそうになった。
大酒をくらい・沸かした湯であげたてのシャコをみんなでハサミを入れながら食べた記憶。
(今では御法度だが)酔いながら、梅田近くのマンションまでたらたらと運転をして帰った夜の路。

***

朝の連続ドラマというのは、よく(兄曰く)学芸会みたいなもの・・
その程度の芝居なのかもしれない。
また、昭和の過去からやめる訳にも行かずに続いている面がある。

ただ「ゲゲゲの女房」が大ヒットを飛ばして、「まさかの」水木しげるブームとなったように、また、実家では再度「カーネーション」ブームが起きたように・・
これらは、過去あったものをなで返しているだけのものとも違うように思える。

個人的な体験・経験で惹かれているのは当然だが、どうやらそれだけではない。

映画「三丁目の夕日」がヒットしたように、行き先に希望が見えない「今」という時代に、ゲゲゲの女房もカーネーションも似たような「過去の」暗い時代や苦労や貧しさがあるにも関わらず、その先にほんのりと「明日が視える」、そういう過ぎ去った時代のあかりに自分を照らそうとしているのだ、そう自分は解釈する。



***

またもや一日三回「カーネーション」を見るお袋さんは『むかし、ミシンを踏んで洋裁をやっていた頃の懐かしさがこみ上げる』と言っていた。
思えば、自分が幼児の頃、毎晩、近隣の嫁入り前のお姉さんたちに「先生」と呼ばれながら、仕事場で服をみんなに教え・縫っていた母の姿。
夜も寝ずに徹夜でラジオを聴きながら、翌朝までに仕上げなければならない服に、ミシンを踏んでいた音と姿が甦る。
洋裁学校に通い、ファッションの世界に生きようとしていたのも知らず、そこに夢中だったがゆえに、相手にされず・あずけられた周囲の育ての親にダダをこねていた幼児の自分。

ドラマ「カーネーション」の世界・岸和田には、それぞれの想い出が交錯する。

PS:いまやネットでもMEGAVIDEOで「カーネーション」が見られる。
昼休みの職場でもこれを見ている。
大正から昭和へのとある岸和田で・先進を作ったとあるド偉い母の物語に、微笑みながら見ることが、今の自分の少ない希望でもある。
椎名林檎が歌うテーマ曲と、冒頭のミシンと人形の映像がまた泣ける。
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2011年11月22日 火曜日 山椒魚の夜間飛行 とある弍夜

2011-11-22 22:31:43 | スケッチブック

誰かになにかを伝えたい人。音楽が好きな人。とにかく誰でもいいです。
旅と音楽を愛するわたしと友達になってください。とにかく、誰でもいいので手紙ください。ずっと、手紙待ってます。
切手入りだと嬉しいです。(A市 HG 15歳男)

メディアを通してでしか、自分の存在を確認することができません。不安です。
いっしょに考えてくださる方、お手紙ください。(B市 チエ 18歳女)

最近、空虚なものが心の中に広がり続け、何もかもが無に思える自分ですが、友達が欲しいです。
きたない飲み屋に連れていってくれるお兄さん的な人、手紙ください。(C市 E子 21歳女)

精神の臓器があると思っている人、手紙ください。
哲学、宗教、革命、どんな類でもいいですが、かしこい人はいやです。(D府 座敷子 25歳)

***

こんな「文通」の通信欄。
古いと笑う人が居られたら、キミは安心。ボクは不安。
今はネットで瞬時にコミット出来るが、求めていることは同じ。
目的は様々。
ただヤリたいという下ココロ、淋しい中での同志を求めるもの、同じ趣味嗜好を持つ人へのサイン、宗教団体の勧誘の一端・・・。

自分は、小学校時代以降もらった年賀状や手紙をほとんど捨てずに持っている。
そんな中に混じって、自分もこういう文通通信欄に載せた相手からもらった手紙が残っていたりする。
今では情報要素が電子媒体で見分けが付きやすいが、当時は砂漠のように繋ぐ媒体が少ない中であったので、もらった手紙は逆に自分に突き付けた。
「自分と同じ趣味嗜好なんて持つ人など居ない」のだと。

ナンパなり出会い系と呼ばれるものを笑えないのが、実は肉欲こそが他人とコミットしやすい一番早い手段かもしれないこと。
精神という見えないものでコミットするのが如何に難しいか。その距離の遠さ。
らもさんが「セックスで始まる恋」で言わんとしたことのように、まずは肉体で確かめて、そこから始めれば良いというのは、ある種真実かもしれない。

***


人間には一人になりたい時と、一人では居られない時がある。
但し、一人ではこの世では生きてはいけない。
社会に取り込まれながらも、如何にして居心地の良い日々の配置と他人との距離感を獲得するか。
それが課題。


孤独は時に心地好く、時に悲惨になる。気まぐれだが、そんなものだ。
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2011年11月21日 月曜日 山椒魚の夜間飛行 とある壱夜

2011-11-21 22:02:27 | スケッチブック

何かとてつもないワナにはまっていた。

過去のインディーズ、サブカルチャー。
大きな流れの流通に呑み込まれるのを拒否した記憶はいずこ?

本流の流れに従順に飼い慣らされるのを否定・無視すると言いつつ。
生まれたインターネット世界ですらも、こんにちでは、1つの流れがその中に出来てしまった。
そういう中に、自分も呑み込まれていた。

どうやら、今の自分に大事なのは、ケータイをいじることでもなく、情報にめざとくなることでもない。
誰も見向きもしない神保町の片隅で眠っている本を開いてみたり。
ゴミ屋敷の残骸の中に見つけたモノをムシメガネで、しげしげと眺めて何かを発見したり。
そんな類のことのようだ。

といいつつも、時間の多くは社会に掌握されている。
拘束から逸脱することには矛盾がある。

とりあえず出来うることは、権力闘争に明け暮れる人々を冷視しつつ、自分を進むこと。
分担分のことはちゃっちゃと、文句インネン付けられないよう、はようやって・・
イノチまで取られないようにせえへんとな。

男気だの・・熱意だの・・マインドだの・・
よくわからんうんちくゴネる、笑っちゃうアホが居るが、笑うしかない。
そこ、まで言うなら、あなたイノチ掛けるんですね?
そう尋ねれば、彼らの語る芝居は用意周到。
しょせんは芝居で、酒飲んでバクチして仲間でつるんでいるだけ。

そういう近くの毒を笑って流せ。


山椒魚は水辺に住むが、夜になると、ジャマの居ない夜間飛行に出る。
飛行だから空という訳でもない。夜の闇の波間に漂うだけ。

刻の流れは早いもの。
YMOの「テクノデリック」が発売されてから、今日で30年目の夜を向かえた。


■YMO 「灯」(Light in darkness)
1981年11月21日発売「テクノデリック」より■
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