こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば徒然日記 : 脳がカラッポの日本警察の晴れ姿

2011-01-26 23:42:26 | 雑記帳
2011年1月某日。

日本のほとんどのマスメディアが、裏の利権争奪を繰り広げるだけの馬鹿集団なのは、公然の事実。

そこに、警察庁も負けねえぞぉと、想定通りの馬鹿集団を見事に演じていたようだ。

『馬鹿と馬鹿とのコラボレーション実現!』

場所は、秋葉原。
ときは、先週末のウィークエンド。

全ては想定内。
だから、私は秋葉原に行かなかった。

仕事場でも「ホコ天行ったの?」とニヤつく馬鹿に「バ~カ。行くかよ。」

私は、秋葉原に幼い頃からオーディオ、レコード等を求め歩いて35年近く、街の変遷を見てきた。

車で集団に突っ込み殺人事件が起きた場所が、秋葉原の歩行者天国だったのは事実。

しかし、そこからが大笑いだが、歩行者天国禁止→厳戒体勢下での歩行者天国再開。

TBSラジオ「DIG」でも、その馬鹿丸出しぶりを揶揄しているが、脳が単純構造のマスゴミと警察。
もはや「天国」は名ばかりなり。
天国という名の檻と化したアキバに自由は無い。
渋谷,池袋,新宿…幾らでも突っ込む可能性ある地は山程。
街というのには猥雑さがあることが、それぞれを魅力的な街にしているが、過去を大事にしない再開発と浄化運動が、馬鹿な正義感が、街の魅力を踏みにじってゆく…。

そんな一方では、迷宮入り事件は山盛。
警察は、何一つ仕事をしていない。

所詮は、低脳体育会系人間が考える次元の低さ。

役割任務果たさぬクセして、平気な顔して、税金でメシ喰う警察も民営化すべきである。

さかのぼれば、近世の魔女刈り、911事件に於ける証拠無き戦争突入、そして、今進行する世界的タバコ刈り・全廃キャンペーンに於ける詭弁と扇動…
この系譜に秋葉原歩行者天国再開も位置付けられる。

時代は変われど、同じ過ちにはまっていく。
直感的にそう思う。

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私のレコード棚から ③ 富沢聖子 「コロニアル・ホテルの出来事」'84.07.20発売

2011-01-26 12:00:00 | 音楽帳
マーブル・ディスクでシングル盤(EPレコード)を探している中で、聴いたことは一切無いが、気になったものがあったので買った。

それが、この曲。
何が、買う要因だったかというと、日本航空のキャンペーンソングだったという点に限る。



聴いてみると、八神純子さんのような声の色・曲調はボサボヴァ風、オーケストリングにつまびくヴァイオリン、刻むサックス。。。

脳裏に浮かんだのは、荒井由美の「青春の後姿を、人はみな忘れてしまう。。。」のあの曲。
とても曲調は似ている。

全体に穏やかでムーディー。



歌詞をじっくりと読みながら聴く。

日本航空のキャンペーンソングということで、夏の避暑地への独り旅の模様。
そのホテルでワインを飲みながら、異国のギャルソンに「身をゆだねたのよ」らしい。

【ここからは、みうらじゅん先生譲りの口調になってしまうが】曲調に乗せてしら~っと聴いているとついうっかりしてしまうが、隠語で語りながらも、かなり過激な内容となっている。
日本航空は、こういう「パラダイスでの誘惑」などと言い換えながらも、異国に脱出することでオープンになってSEXしてしまう女を煽動しているのか?
などと個人的に、ふと想った。



「焼けた肌のコントラストを くちづけでたどる あなたらしい愛し方に 目を閉じた私」
実になまめかしい。

そうして、日本に戻って来ているクセをして、忘れられない・帰りたいと言う。

さかんに「愛」と言葉には出るが、この相手に合う為に帰りたいのではなく、全体としては、そうなってしまう雰囲気をかもし出す「その国」にまた行って同じ目に会いたいという総括となる。

こういう曲が、キャンペーンソングというのも、非常に面白いことである。



このレコードは、1984年7月20日発売とのこと。

私は、夏の暑い盛りを、高校2年生で、御茶ノ水の某予備校の夏期講習に行きたくも無いのに行かせられていた頃となる。
もしくは、右翼高校の排球部の学校での合宿で血を吐く想いでシゴかれていた頃。

既に、生きることの意味に哲学的迷走に入り、抑鬱でもあった。

当時の思い浮かぶシーンは、エアコンを入れた部屋で、土日の休みに、大きな窓のカーテンを全開にして、イスに座って特製のカセットをかけながら、蒼い空を移動していく入道雲を何時間も鑑賞し、心身ともに疲れ切った状態を癒していた。

具体的には、
・マーク・ノップラー(ダイア・ストレイツ)の映画「CAL」のサントラで、牧歌的にギター中心に奏でられたケルト民族色強い「ザ・ロング・ロード」という切なくも美しい曲。
・ドゥルティ・コラムの「キャサリン」「フェイバリット・ペインティング」「フランチェスカ」
・さくりんさんも好きなフェルトの「ニューイングランドの説教師」
・ミカドの「パラザール」

などなどを聴いていたように想う。
この土曜の時間をとても愛し、日没までの自然が織りなすショーを大事にしていた。

***

当時、この曲を聴いていたら、この女への嫉妬から気が狂っていたかもしれない。
(というより、既に、気は狂っていたが)

いかに同時代に共存しながらも、この曲と童貞青年の自分がかけ離れていたかを、26年半後の今、認識した。

■書いているうちに、タイトル・テーマである「レコード」から逸脱してしまった。
まあ、こういうのが、分裂症患者特有の事象で、仕方の無いことだが。。。。

コメント (1)
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