こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年12月2日 水曜日 「ニューウェイヴ・カセットシリーズ ① 1981年11月10日」

2015-12-02 23:55:18 | 音楽帳

今年、夏以降だろうか?新しいラジカセを買った。
お店で悩み、価格とデザインと機能を検討して買ったラジカセを、「とっても」気に入っている。

ところが、買ったものを買っただけで放置してしまうクセあるじぶん。
ラジオを聞くばかりで、購入主目的だった「カセットテープを聞くこと/mp3化すること」を行えずにきた。

やり方がよく分からず、寝かせていたのだ。
やっと重い腰を上げたのはここ最近。コツコツと1本づつ聞いてはmp3化をやり始めた。
雑誌類にカビが生え出してきたように、カセットテープも安心はならない。
すでにアウトなカセットも多いだろう。

こないだ手始めに、イーノのインタビュー番組を聞きながらmp3化した。
そして、先週からは、1981年から作り出した「ニューウェイヴ」カセットシリーズ(46分か60分テープ)を聴き出した。

このシリーズは主に、渋谷陽一さんのサウンドストリートやクロスオーバーイレブンなどを聴きながらエアチェックした曲で構成されていた。
モノによっては「サウンド・オブ・ポップス」「ジェットストリーム」などなどのラジオ番組で発見した曲、場合によってはLPレコードから落とした曲も入っている。
音楽の「今」を体内に取り入れるための媒体として、勝手にシリーズ化し出した。

それまでに分散して録音したカセットはあったが、時々刻々進む音楽シーンを俯瞰するには。。。と考えた末で「全部好きな曲はその時点で入れ込む」という方法に行き当たった。

最近、とある人が”全てのものを一冊のノートに”といった日記法でカネもうけをしていることを知ったが、そんなことは誰もがやっていること。そういった考えに基づく、じぶんなりの音楽版。
みうらじゅんさんのエロスクラップ・ブックも、同じような想いで始めたものだろう。

いずれ消え去るものへの郷愁。
好きになれた曲を時系列に記録していく、というその一点だけに夜な夜な費やしていた。

2015年今このカセットテープを聴いても、エアチェックした時々はまったく色褪せないし、電波乱れや曲の初めや終わりの余韻の空気の音の感じは記憶と完全一致している。

下記のテープは、そのシリーズのNo.1。
A面は、1981年11月渋谷さんのサウンドストリートから。
この日(たぶん)イギリスのベストバンドはがき募集から、途中歯抜けもあるが、曲が進むに従ってハガキ枚数が多い10位から1位への流れになっていく。それぞれのバンド楽曲から1曲選んだのは渋谷さんと思われる。
いわば当時の”海のこっち側”でのブリティッシュロックTOP10みたいなもの。

入っている曲数は9曲。
60分テープ片面で30分。そこで1曲抜け落ちているのだが、それは渋谷さんの語りをポーズボタンでカットしているうち、出だしを逃がした曲があってのこと。また(たぶん)はがき枚数が多かったクラッシュの曲は、カセットテープの分数をオーバーして途中で切れている。

インデックスカードにはかなり荒い文字。
この荒さに、じぶんが平常書いているよりも興奮している心境が窺える。
渋谷さんが言った曲名を速記で紙に書いて、それを起こしていたので、実際の曲名と違うのもリアルである。

■XTC 「ジェネラル&メジャーズ」1980(4枚目作品「ブラック・シー」より)■
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年12月1日 火曜日 「雑記帳 冬の気配 -日記・11月28日(土)-」

2015-12-02 00:31:40 | 音楽帳

11月28日(土)
10時過ぎ目覚めると首が痛い。暖房つけたまま寝たのだが。夢の中で地震があった。
TBSラジオ・ナイツの放送、五七五川柳「冬が来た からだのかゆみが ボクに言う」
なるほどそれでカラダが最近かゆいんか。

休みの午後。
外に出ると、光は風景にコントラスト強く当たっていた。たぶんこの秋最高潮の日差し。
こういった日は、どこに向けてシャッター切っても絵になる。そこいらじゅうを撮ってはいずり回る。

イヤホンで久米さんの放送を聞きながら放浪していたが、14時台のゲストが面白くない日は浮気をする。今年知った文化放送の番組に変えると、いきなり世良(公則)さんの声、あんたのバラード。

曲が掛かるだけでなく、当人がゲスト出演。
インタビューで語る世良さんのコトバの歯切れよさ、そこに惹き込まれる。
「50代なんてまだまだ」という言葉のチカラ強さ。説得力。じぶんに照らして言うのではない言葉である。それはこないだ爆笑問題のラジオにゲスト出演した際にも思ったこと。

ストーンズや多くの先達たちが現役で未だ走り続け格闘している中、へたっている場合じゃない、世良さんはそう言い切る。言っている内容ではない。肉声の強さがもたらすもの。

何ら変わらずアグレッシヴな姿、そこに情動を掻き立てられ、鳥肌が立つ。
世良さんの最近の言行一致の姿は何一つブレがない。たぶんこの人には、ウソや作為というものが存在しないんだろう。

みうら(じゅん)さんが西城秀樹を語った際、「なんでこの人は、大げさな手振り身振りをするんだろうか?」と考えた末、そうかこれがロックなんだな、と気付くくだりがあった。
同じ疑問をじぶんも70年代抱いていたが、世良さんのありさまにも同じ”わけのわからなさ”を「ザ・ベストテン」を視ながら思っていた。
それは、誰も見ない深夜テレビで初めてRCサクセションを見たことにも言える。
こたつに入りながら、見るつもりもなく見てしまったRCのハデハデの衣装に「まるで、チンドン屋だな」と独り思った夜に繋がる。その夜が、その後に繋がるとは思いもしなかった。

当時、サザンの桑田さんが「オールナイトニッポン」で、半ば酔っぱらいながらジョン・レノン等々の音楽を掛けていた裏、文化放送「セイ・ヤング」ではふとがね金太(ツイストのドラマー)がDJをやっていた。小学生の夜の楽しみだったTBSラジオ「一慶・美雄の夜はともだち」から一拍後、この2つの番組を深夜・交互に聞いていた。

”ロック”という言葉を忌避してきた80年代以降の曲折。
いったいロックとはなんぞや?という疑問は未だ晴れないが、今の世良さんの姿には惹かれる。当時観て・聴いた「あんたのバラード」は、今違う響きをしてくる。

爆笑問題の日曜サンデー『ここは赤坂応接間(世良公則)』(6月7日)
https://www.youtube.com/watch?v=WuoSq1S5nRI


光と影、冬をめぐる歩き旅は、生地三ノ輪、王子経由で池袋方面へ。
ラジオは久米さんから宮川さんへ移ろい、陽はあっという間に赤く傾く。
駒込で立ち食いそばを喰らい、裏道街道を伝っていく。
夜、見舞い。三日前よりはるかに調子良い。
病室のテレビチャンネルを回す、BSで松下奈緒さんがモネを紹介する番組を見る。
モネの好きな絵が50代に描かれたことを知る。

交通網に頼りながら、最後は亀戸に辿り付き、そこから島まで歩いた。
やっと辿り付いた深夜、伊藤政則さんの「パワー・ロック・トゥデイ」を聴く。
ピンクフロイドの「ザ・ウォール」をめぐるあたりの話しとインタビュー。

■ピンク・フロイド 「幻の翼」1987(アルバム『鬱』より)■
1987年当時、同じ病を持つ人から「今度のフロイドは良いよ」とさかんに言われた。
それを流して耳をふさいでいたじぶんが作品「鬱」の良さを理解したのは、3・11があった2011年の暮れのこと。

今年、酒を飲みながら兄と音楽談義をする機会に多く恵まれた。
ここ数年フロイドを聴いているじぶんに『どのへんを聴いているの?』と聞きながら、作品タイトルでは分からない兄に、このジャケットのこの曲という伝え方をしては「ああ、あれね」とやっと理解される具合で話は進行した。
作品「鬱」全体が好きではあるが、お互い一致したのが「幻の翼」だった。

過去の栄光を持つ者は、決してドサ回りやナツメロに堕ちるなかれ。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする