
ブルーナイルをひさびさに聴いたのは、コ口ナ後遺症を抱えてへろへろになりつつ、湯治へと向かう高速の中だった。イヤホンで聴いていたのは、ピーター・バラカンさんの「バラカンビート」。ラジコのタイムフリーから不意に流れた「ティンセルタウン・イン・ザ・レイン」は、流れゆく窓からの景色、交互に出ては消えていく森と短いトンネルを縫って流れていった。刻んでくるリズムが疲れた脳に小気味よく響いた。
まだ梅雨時期の六月だったが、すでに猛暑を予感させる感覚。病み上がりから時間が経ったというのに、だるさは取れず、少し何かをやるとすぐにねっちょりした汗をかいて、ぐったりしてしまう。そんな頃合いだった。
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ブルーナイルの存在を初めて知ったのは、それこそ1986年頃?のピーター・バラカンさんのラジオ(全英ポップス情報)で、鈴木さえ子ちゃんとの会話の中に出てきたときだった。その会話で話されていたのは、「ティンセルタウン・・」を含んだデビューLP「A Walk Across The Rooftops」のことだったが、自分は当時聴くことなく通り過ぎてしまっていた。
ブルーナイルはこの40数年で4枚のアルバムしか出していないが、自分が持っている作品は1989年発表の2枚目「ハッツ(HATS)」というLPだけ。想い入れがある曲「ダウンタウン・ライツ」が入ったアルバムである。残り3枚の作品はジャケットや広告だけで、中身は全く未知の領域。
通り過ぎた時間をさかのぼれば、80年代とはニューウェイヴを追いかけてきた時代だったが、そんな流れも80年代中盤には失速してしまった。そういう自分には80年代中盤以降は「より前に進んだ音楽」との出会いはめっきり少なくなり、出会いがしら一撃をくらうような音楽など無くなり、なだらかに終息へと向かっていく印象だった。1989年のブルーナイル「ハッツ(HATS)」も当時は「少し変わった音楽」としか捉えられなかった。
聴き過ぎたカセットテープが伸びてしまって、うねうねと音をくねらせるみたいな奇妙な時間感覚。ブルーナイルを聴くたびに、そう感じる。それはひょっとすると、ずっとへろへろでぎりぎりやってきた自分の心身のせいか?というとそれだけでもない。ゆったりした楽曲の展開、決してうまくはないけど味のあるヴォーカル、ファンクをにおわせる部分があったかと思えば、やけに流暢な部分があったりする、奇異な音の組み立て方、不思議な色合いの音楽。
そんなブルーナイルの音楽が変わって聴こえだしたのは、どんな音楽にも言えることだけれども、聴き込んだ上のこと。2枚目の「ハッツ(HATS)」の楽曲も、2023年初めて出会った曲「ティンセルタウン・イン・ザ・レイン」も、聴いていくとスルメみたいに味わいが出てくる。デビューアルバム制作に2年近くかけていたように、また、40数年に4枚しか作品を出していないように、ポール・ブキャナン(ブルーナイル)は時代の空気とかには全く無頓着で音楽に向かい合っている。その結果、長い時間を経て、いくつかの時代を経ても、忘れがたい曲になって人の心に残る。
音楽の在り方がムーンライダーズを思わせる、と思って昔の雑誌をめくっていたら、デビューLPのアルバムレビューを鈴木博文さんが書いていた。
■The Blue Nile「Tinseltown in the Rain」1983(国内では1986年発売)■
スルメのように繰り返し聴いているうち、8月も終わりに近づいてしまった。
