こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年1月16日 月曜日 20120116 - シンプルマインズ「至上の愛」'82

2012-01-16 22:05:12 | 音楽帳

シンプル・マインズの存在は、彼らの4枚目1981年作「サンズ&ファシネーション」を雑誌で知るに始まる。
これが国内での初めての発売だったように思う。
ジャケットに映るは、地下駐車場のようなところでの車と人の写真。
それが瞬時を捉えながらブレたピンボケの中、光と像が揺らいでいる様が実に秀逸だった。

そして、中身は、低空飛行する音、地下で奏でられているような感覚がアンダーグラウンド嗜好の人を多いに刺激した。
当時、何かと言うと「ジョイ・ディヴィジョンの影響」「ジョイ・ディヴィジョンの幻影」と語る評論家が多く存在して、音楽をまっすぐ聴く者をジャマしていた。
「サンズ&ファシネーション」は別にジョイ・ディヴィジョンとは無縁で、ヴォーカルのジム・カーを中心に独自の音を創っていた。

このアルバムに拠って目を引くこととなったシンプル・マインズは、翌年1982年に「黄金伝説(ニュー・ゴールド・ドリーム81-82-83-84)」を発表する。
元々持ちえていた独自な浮遊感ある揺れる音、自分のようなヘッドフォン・リスナーへ「おおおっ」と思わせた・微妙なミクロ世界の揺らぎを大事にした姿勢に加えて、そこにポップ感やキラメキをまぶしたこのアルバムは、大ヒットし、シンプル・マインズの存在感を大きくした。
(まあ、この後、スティーヴ・リリィホワイトとの合体により、シンプル・マインズは彼らの独自性であった微細な音世界を壊してしまうのだが・・・。
まあ、「明日は常に新しい明日」を目指していたニュー・ウェイヴ時代の潮流にはやむをえないことだったのかもしれない。)

このアルバムは全曲素晴らしく、1982年のベストアルバム・トップ10に、ピーター・バラカンを筆頭にして多くの音楽評論家は選んだ。
今日は、そのニューウェイヴの輝かしい時代の産物「黄金伝説」より「至上の愛(Somebody Up There Likes You)」を・・・。
この曲は、80年代のクロスオーヴァーイレヴンの選曲での定番だった。
何度もかかったインストゥルメンタルの名曲である。



そういえば、ジム・カーと結婚したプリテンダーズのクリッシー・ハインド。
あの夫婦は、まだ別れずに一緒にいるのだろうか・・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年1月13日 金曜日 20120113 - フィル・コリンズ「この壁のむこうに」'82

2012-01-13 22:51:00 | 音楽帳
13日の金曜日。
何とか、今週も航海を終えて、対岸にたどり着いた。
疲労を感じながらも、金曜日の夜が一番幸福な瞬間なのかもしれない・・・
そんな話しをMZ師としながら。

缶ビールを痛飲しつつ、静かに部屋でたたずんでいる。

***


ボクがジェネシスの存在をミュージックマガジンで知ったときには、既にフィル・コリンズ中心のユニットになっていた。
1980年「デューク」、1981年「アバカブ」・・・ジャケット・デザインは雑誌で何度も見ていたが、当時余り自分の興味を引かなかった。
どちらかというならば、兄の部屋にあったピーター・ゲイブリエル中心だった初代ジェネシスのLPレコード。
FMで聴いた「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイ」。化粧と扮装をしたピーター・ゲイブリエルの映像。そちらの方が自分を引き付けた。


このジェネシスとは別、という扱いで、フィル・コリンズのソロ・アルバムには出会った。
1981年のファーストアルバム「夜のささやき」。
そこからシングルカットされたタイトル曲の良さ。
フィル・コリンズの名前が自分に焼きついたのは、そのときだった。
「実力派ミュージシャンだな」と思った。
「夜のささやき」は多くの人に受け入れられ、フィル・コリンズのセンスの良さは大いに評価された。


そして、その翌年=1982年の秋から冬に掛けて発表された2枚目「心の扉」で劇的にブレイクする。
こっれが、ま~、素晴らしいアルバムだった。

当時自分が聞いた話では、ブライアン・イーノとの共同作業で得たものと思われるが、デモトラックで良い出来のものがあったら、それを24チャンネルのうちの1トラックに入れて、そこに多重録音をしていくという手法を取っていたという。

このアルバムには、小林克也さんの「ベストヒットUSA」でMTVをよく見た「恋はあせらず」がまずは入っている。
モータウンのシュープリームスが歌うオリジナルより大好きなカバー曲。
大ヒットした1982年秋〜冬。

ここに「かわいいキューピーさんのようなおぢさん=フィル・コリンズ」像が現れる。
但し、このポップなシングルカットだけに目をやってはいけない。

アルバム全体は、ファーストアルバムに続いて、ポリス「ゴースト・イン・ザ・マシーン」、XTC「イングリッシュ・セツルメント」もプロデュースしたヒュー・パジャムとの共同プロデュース。
繊細でキレイな音の扱い方・処理の仕方をするヒュー・パジャムらしさは、ここでも生きている。
実力派ミュージシャン=フィル・コリンズの卓越したドラミング、そして、温かみのあるヴォーカル、エコー、それらが奥行きある音の空間として素晴らしく音楽的に処理されている。

A面ナマっぽく跳ねるドラムの音からスタートする1曲目「空虚な心」。

4曲目の「心の扉」。
象の鳴き声のようなホーン・拍手・女性の声・・・まるでイーノの「アナザー・グリーン・ワールド」の「ザヴィヌル/ラヴァ」。
それらの音がエコーの遠い背景になりながら、ゴーォー・・・・・と巨大な音になっていき、ドラムが激しくも優しくグルーヴを生み出す。
ギターのカッティングするアクセントと、低い位置を細やかに流れるキーボードもあいまったカッコ良い曲。

■Phil Collins 「Do you know, do you care」■


B面2曲目に入った「この壁のむこうに」は、よくその日の「夜想曲」とした高校時代の夜があった。
歌詞はフィル・コリンズのものでは無いが、この静かな曲はまるで環境音楽のようにココロを穏やかにさせる。
同じカセットにインテリア(細野さんプロデュース)・ペンギンカフェなどが一緒に入っていた。

■Phil Collins 「Thru these walls」■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年1月12日 木曜日 20120112 - 国分寺 1987→2004 ほんやら洞 -

2012-01-12 22:01:46 | 想い出かたちんば
写真を整理していたら、ブログを始める前の2004年に、ハブ噛み師匠と国分寺に行った時の写真が出てきた。

ボクが、中野から向こう側の中央線沿線に降り立つのは、浪人時代に受験に行った大学周辺、そして、大学時代。
1987年4月に初めて降りた国分寺駅は、今の姿では無い古い味のある駅舎。
その入学式に遅れた自分は、天気悪い中、傘を刺して、長い駅からの下り坂を歩いた。

その4月にMZ師に出会い、美術研究会に入り、翌年現れたハブ噛み師匠と出会う。
そこから長い付き合いが始まった。

卒業以降、何度か国分寺には行ったが、独特の背中を丸めた可愛い街は、次第に都市全てが均質化していく流れには従えずに、知っていたお店の多くは無くなり、街を歩く人の層も変わっていく。
レコード「珍屋(めずらしや)」もパスタ「せもりな」もちゃんとあるが、ぶりき館も駅前の三多摩書房も無くなってしまった。

***

当日、駅からの長い坂を下り、喫茶店「ほんやら洞」に入った。
その中で過ごすと、まだこの街だけに流れる・この場所のゆったりした時の流れを感じ、安堵した。



右で背中を向いているのが、店主の中山ラビさん。









***


この電車の高架下を通過して、左にある坂を登れば駅への道。
酒を呑み疲れて、その坂の途中で行き倒れて寝ていた2人・某〇〇さんらが居た想い出。
坂を登れば奇遇にも自分が仕事をすることになったビジネスホテル、その横に並ぶ飲食店。淡淡(たんたん)。。


かつて通った居酒屋は休みだった。







■中山ラビ 「時よおやすみ」■ 

早起きのスズメ 電線に並んでる
体をよせあって 雲をつばむ
たしかめようのない世界
海はどこか 潮風がかすかに流れ
朝まじか にぎやかにしゃべってる

時よおやすみ まぼろしよこんにちは
時よおやすみ あこがれよこんにちは
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年1月11日 水曜日 20120111 - キャプテン・センシブル&トニー・マンスフィールド1982 -

2012-01-11 22:06:12 | 音楽帳
パンク~ニュー・ウェイヴ、YMOファミリーの爆発・そしてロックの解体、第三世界音楽との融合、ニューロマンティクス・・・さまざまな種がまかれた中。
1982年という年は、優れたアルバムがアンダーグラウンドでは無い表面に浮き上がってきた年だった。
豊作の1982年。

ロキシーミュージックの二度と産まれない瞬間の輝きを納めた「アヴァロン(桃源郷)」を筆頭にして。
当時、自分が1983年初めにノートに綴った1982年・年間ベストアルバムは10枚では収まり切らなかった。

デペッシュ・モードの「ア・ブロークン・フレーム」、そこから派生したヤズーのファーストアルバム、シンプルマインズの「黄金伝説」・・・等々。
そんな中の1枚との出会いがキャプテン・センシブルのソロ・アルバム。

とってもとってもポップで癒されて、心が暖かく・心地好くなったアルバム。
キャプテン・センシブルが、パンクバンド「ザ・ダムド」のリーダーだったことを、このアルバムを知ったことで、逆展開で知った。
ジャケットはパロディ。
タイタニック号の沈没ではないが、沈もうとしている船から逃げるボートに乗っているのは「キャプテン」、そして、皇室の方や「レディ・ファースト」。
それ以外は、海に落ちようとしている。

プロデューサーというか、実質音の骨格を全て作っているのは、ユニット「ニュー・ミュージック」の大尊敬するトニー・マンスフィールド師。
キャプテン・センシブルの破天荒で明るいキャラクターと、トニーの繊細かつ温かみのあるメロディアスなシンセ類の音色(おんしょく)が見事な相乗効果を産み、素晴らしいアルバムに仕上がっている。

「ハッピー・トーク」の名カバー、同様にシングルカットされた「ウォット!」も素晴らしいが、曲はよりどりみどり・多様性に満ちていて、A面・B面共に飽きず、アルバム全体が楽しく・時にホロリとナミダが来る、そんなあんばい。

全曲好きだが、特に好きな「マーサ・ザ・マウス」を今夜は掛けながら、寒い夜にほんのりと温かい世界に行きたい。

■Captain Sensible 「Martha the Mouth」■
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年1月10日 火曜日 20120110 - 墨田 冬の旅2 -

2012-01-10 07:23:28 | 写真日和
1月7日は、とても良い天気で、コントラストが付きやすい絶好の写真日和だった。
その冬の旅のパート2。

































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年1月9日 月曜日 20120109 - 墨田 冬の旅1 -

2012-01-09 08:20:51 | 写真日和
23時、過去録音した神保さんの「DIG」を聴きながら眠りに付く。
明け方、鳥の声とざわめきで6:30に寝床で目覚める。しばしぬくぬくするが7:10のアラームに起こされる。
美しい朝焼けが見える。

お湯を湧かし、緑茶を煎れて、7:30からBSでドラマ「カーネーション」を見る。
戦後となり、「パーマネント」と「洋服」の時代になっていく。




緑茶を飲みながら、昨日ゴミ屋敷から引っ張り出してきたFMレコパル1985年7月15〜28日号をパラパラめくる。
細野晴臣さんへの北中正和のインタビューが掲載されている。

83年末YMO散開以降、1984年にノンスタンダード・レーベルを立ち上げ、記念12インチとアルバム「SFX」・・この85年にはなぜか「はっぴいえんど」の再結成、そして映画「銀河鉄道の夜」のサウンドトラックへと向かうさなかの細野さん。
一方、自分かたちんばは、85年4月に素浪人となり、ノイローゼの迷走に入っていく段階。
時代は明らかに「ヤバイ」空気がすでに東京を覆い出した時代だった。
そんな記憶。

****

さてさて、タイムワープ。時代は2012年。
ハブ噛み師匠と1月7日に歩いた墨田の冬の旅。
その写真の一部を、ランダムに掲載す。



































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年1月8日 日曜日 20120108 - リラックスモードへ向けて -

2012-01-08 14:10:58 | 写真日和

ハブ噛み師匠が「スカイツリーを撮りたい」と年末言っていたが、12月30・31日の慰労会で行けなかったので、昨日は待ち合わせをして、墨田区周辺を歩いた。

三連休もあって、群衆は相も変わらず愚衆と化してスカイツリーを目指す。
それを回避して、人の少ないスポットへ向かい、スカイツリーに限らず街の写真を撮り歩く。

日が照らないところは寒い日ながらも、良い旅だった。
10800歩。
最後、2人でボウッとコーヒーを飲み別れた。

またもや、足を引きずるくらいに歩いてしまったが、友と語らい歩くのは心地好かった。

昨夜は早々に23時に寝たのだが、起きると11:30。
かなり疲れたのであろう。
大好きな深い濃い緑茶を飲み温まる。これから風呂を沸かす。

***

ずいぶんとこのブログも殺伐としてしまった感がある。
突き詰めてしまった感がある。
明日は、後輩同志の通夜ではあるが。。。。

冬の寒さ・頚椎ヘルニアの痛み・抑鬱もあり、本来の本拠地の1つに舞い戻って、今週はリラックスの週としたい。

***


夜は、毎晩TBSラジオ「DIG」を掛けて寝るのが定番。
昨年10月からシフトが変わって、月曜日〜水曜日は曜日変更はしたが継続して外山恵理さん、木曜日・金曜日に新しく江藤愛さんという人が担当となった。

耳でのみ聴いて来たが、江藤愛さんという人はどんな人なんだろう?
と思うに至り、「DIG」のホームページなどに行ってみたり・調べてみたりした。
そこで分かったのが、菅野美穂さんに似た美形女子。

TBSに入って2年、26歳という若さ。
1985年生まれと知って「ガーンΣ(゜Д゜|||)!」。
まあ、仕事上でも1980年以降の生まれの人に会うたびに「俺が苦悩に面して生きた時代に産まれた」ことにショックを隠せない近年ではあるが。

女子アナのほとんどは、現代の格差社会の中で大枚の給料を貰い、仕事上出会うスポーツや芸能人の嫁になって、極楽生活に入る楽勝人生。
まあ、映像メディアは見た目が全て。当然就職でメディアが社員として取る人は容姿だけが全て。
ただ、あっという間に、仕事で出会った者とデキてしまい去っていく運命とも背中合せ。

とはいえ、別にそれはメディアのみならず、我々も属す一般の労働環境には良くある今の現象。
営業も女子の方が企業には良いのだろう。色とエロがこの世を握っている。
それは、保険外交員の例に漏れず、同じ道を突き進んでいる。

***

そういう現実を述べながらも、今現在の江藤愛さんという人は、そうは出てこない上品な清楚さ・可愛さを湛えている。
ヨメ行くまでのあいだ、楽しませてもらいますか。。。

いずれは自分とは無縁な部類の幸福人生へと向かう人とは理解しつつも、今居る愛ちゃんの姿にリラックスしてしまう自分が居る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年1月7日 土曜日 20120107 - ジョン・フォックス「Sitting At The Edge Of The World」 -

2012-01-07 11:31:57 | 音楽帳
9時過ぎ起きるとうららかな晴れ。雲1つないウィークエンドの始まり。

ありもしないものに向かう群集たちの、謹賀新年だの初詣だの・・そういうノイズ、喧騒も一段落。
というか、そのようなノイジーなものを避けて通る技くらいは、自分は身に付いているが。
基本ネコの性格の自分は、街に居ても不快・不穏な空気を感じると回避する方向に向かう。

***

さくりんさんへ紹介したら、自分自身が久々に聴きたくなったジョン・フォックスの「シッティング・アット・ザ・エッジ・オブ・ザ・ワールド」。
長いタイトルである。

1983年10月に発表された3枚目のソロ・アルバム「ゴールデン・セクション」の中の1曲。
YOUTUBEには、その曲ズバリが無かったが、Maxi Dunnという人?ユニット?がカバーしたものを発見したのでアップ。
ジョン・フォックスの元曲にかなり忠実である。
但しヴォーカルは女性な点は違うが。
また、原曲は黄金色に輝く夕暮れの静かな海辺で流れる音楽であるが、原曲のおだやかさへの敬意は感じるカバー。
世界のいさかい=ノイズがボクらを巻き込んでいこうとも、おだやかたれ。
そういう祈り。

■Maxi Dunn 「Sitting At The Edge Of The World」■


これとは別に、コルグのシンセサイザーで一般のファンがカバーしたと思われるものも在ったので、これもアップ。



***

ブライアン・イーノがオーバープロデュースしたに始まるウルトラヴォックス。
その中心人物がジョン・フォックスだった。ジョン・フォックスは、テクノの発展において欠くことならないキーマンである。
その後、ジョン・フォックスは中心人物であったにも関わらず、そのウルトラヴォックスを脱退してしまい、その後ウルトラヴォックスはミッジ・ユーロを招き入れ第二期の隆盛を極める。

脱退して独立したジョン・フォックスは、ソロ・アルバム「メタマティック」を出す。「錆びた地下道」などテクノの名曲が並ぶアルバム。
ウルトラヴォックス時代に「アイ・ウォント・トゥ・ビー・マシーン」と語った延長線上に、この「メタマティック」は在った。
彼の冷徹な表情と眼光、そしてすらりと伸びた背の高いまるで彫刻物そのもののような美しい立ち姿と共にマシーンそのものを体現していた。
そのカッコ良さに憧れた。
同じく彼に憧れて音楽を始めた1人がゲイリー・ニューマンだった。

変化が現れるのが、2枚目のアルバム「ザ・ガーデン」。
ここで、自然を語るジョン・フォックスが現れる。
次第に、青い血が流れていたジョン・フォックスに赤い血が流れ出す。
素晴らしい2枚のアルバム。レコードを何度かけただろうか。

・・・そして3枚目の「ゴールデン・セクション」。

【シングル「エンドレスリー」。12インチ・シングルは持っているが、7インチは持っていない。
ジャケットのコラージュは、いつもジョン・フォックス自身が創ったもの。やっぱり才能がある。】
シングル「エンドレスリー」は、ダンサブルなテクノで相変わらずのカッコ良さだったが、アルバム全体は、2枚目に現れ出した「マシーン→血の通う人間へ」をさらに推し進めたもので、凡庸で出来の悪い曲が散見されたアルバムとなってしまった。

とはいえ、とあきらめの悪い自分は「それでも」と聞き込む。
そこで発見した名曲がこの「シッティング・アット・ザ・エッジ・オブ・ザ・ワールド」だった。
自分のニュー・ウェイヴ・セレクションのテープにも収録した。
当時、このアルバムには、みんなテクノ・ファンはがっかりしたものだが、「シッティング・・」は、そんな微妙なバランスの上で生み出された、人間らしくなったジョン・フォックスのおおらかな曲だった。

***

世界の辺境に座って、友と話している
彼女の目の中に映っている太陽を見る
ボクらは、お互いに同じ言葉を話すことを分かっている
・・・そして、ボクは目を閉じて、漂う・・・

世界のへりに座って、友と話している
太陽がボクらより低いところへと丸くなっていくのを見ている
空が吠える声が聞こえる
ボクらが同じ世界で暮らせることを祈る
・・・そして、ボクは目を閉じて、漂う・・・

ボクの鼻がへし折られて・・眠れなくなって・・すべての楽しみが粉砕されて・・・
でも、そんなことはたいしたことじゃない
だって、ボクは世界の辺境に座っているんだから
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年1月4日 水曜日 20120104 - ピンク・フロイド「タイム」 -

2012-01-04 14:32:41 | 音楽帳
過去の深夜のアダルトお色気番組の宣伝CMに、ピンク・フロイドの「タイム」の女性ヴォーカル部分だけが使われて、つい笑ってしまったことがあった。

性的情動だけにまみれる、という「人間らしい」隠れられる場所/シェルターで一生を過ごせれば幸福だろう。
このCMに「タイム」を選曲したスタッフの意図に、背景を知って入れたかどうかは不明だが。
かつて読んだ渋澤龍彦の「快楽主義の哲学」を思い出す。



***

1981年中学3年に兄から借りたLP「狂気(ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン)」。1973年作品。
LPからカセットテープに録音して聴いた。
インデックスカードに曲名をボールペンで書いたものの、アルバム全体、曲と曲は繋がれて、1つの物語となっていた。
次々と立ち現れる音、そしてSE・・・。
それまで「ザ・ウォール」とベスト盤「時空の舞踏」、そしてバラバラにかかったFMからエアチェックした曲を中心に聴いてきた自分には、この「狂気」は不思議な静けさを覚えた。
ロックでも無い。当時深く聴いていたタンジェリン・ドリームとも底では繋がる部分もある。
兄が教えてくれた。
「原題は、月の裏側。アポロの月面着陸の場面から来ている。」

当時「タイム」の歌詞は知らなかった。
それを教わったのはMZ師からだった。「こんな人生の御法度な歌詞とは・・・」と確認した。

***

「時は金なり」という名言があるが、まさに生き物には時間という制約がある。
これは人間だけでも無く、この世の側に生まれ堕ちた瞬間とは、死へのスタート。
ピンク・フロイドの「タイム」は、その残酷な事実をありのまま記している。
それを知って、非常に痛かったと同時に、それ以降自分はその意図を汲んで、無駄なモノに付き合っているヒマは無いという体制に入った。

若い若いと思い、まだまだ人生はこれからさ・・・とノンビリしていると、あっという間に時が過ぎて「いつの間にこんな年が経ったのか?」と気付くがもう遅い。
そう「君はスタートを告げるピストルの音を聞き逃したんだよ」。
フロイドの歌詞は核心を突き過ぎている。
さらに追い打ちを掛けるように、フロイドはこう言う。

それを挽回しようと必死になるが、既に手遅れで、背後から死はやってきて君が亡くなったあとに残るは、書きなぐられた予定表。

***

そう。まさにその通り。
ゆえに・・・と自分が結論めいたところにたどり着いたのは、今を生きる、ということ。当たり前かもしれないが。
手遅れなど思っているヒマは無いし、そう卑下しても意味が無い。
時間への悩みは、中島義道さんの本を読んで影響を受けた部分も大きい。
「いつかやろう」などと人はよく思うことがあるが、そういうことを後に「やる」ケースは少ない。
今があるだけで「いつか」なんか、ありはしないのだ。

最後に「救い」を言うならば、肉体は確実に時がダメージを与えていくものだが、スピリッツは「タイム」から放たれており自由自在にタイムワープ出来る。

その1つの貴重な道具が音楽。
これは理念では無い。まぎれもない事実である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年1月3日 火曜日 20120103 - ピンク・フロイド「鬱」1987→2012 -

2012-01-03 18:27:50 | 音楽帳

昨日は近所に買い物に出た以外は外に居なかった。
1日に兄との会話。
兄「初詣は、浅草に行ったか?」
自分「いや。行っていない。」

今日も窓からの天気は良かった。
お風呂に長く浸かって、すじこと数の子でご飯を食べて、緑茶をすすっていた。
すじこと数の子=「コレステロール異常値の人は喰ってはいけない食べ物リストトップ」。
そんな食べ物を・甘美な毒を・摂取し、悦楽にひたりながら。

お風呂から上がって外出しようとも思ったが、疲れと嫌気で引きこもる。
わざわざ休める日に、群衆の中にまみれ行く必要性が無いと思うならば、せいぜい「孤」と「個」に浸ろう。
他人以上の意味の無い、やたらと意味なく群れる者の中を歩きたくは無い。

今日は、昼からひたすらピンク・フロイドの1987年作品「鬱(うつ)」を繰り返して聴いていた。
そして、今も聴いている。
何度聴いても飽きない。
実に珍しいことである。
音楽が優れている証しか?もしくはリアルな今の自分とシンクロしているか?
そのいずれかであろう。或いは両方。

***


「鬱」が発表された頃、自分は既に大学1年生だった。
1986年の自己崩壊を経て、何の偶然か引っかかった大学。
そこで医者に貰ったメンタル薬を飲み・絵を描き・ラリったまま、廃人は黙って人々が行き交う外の風景を見ていた。

そんな中、ピンク・フロイドの発表した作品のタイトル「鬱」は「シャレにならない」と思っていた。
ランDMC&エアロスミスのヒット曲を聴いて、自分が70年代後半から脈々と聴いてきた音楽への思い入れへの限界を感じ「新しい音楽はもう生まれない」と、日々スモッグの如く「排出」される音楽を追いかけることをやめた1986年末。
そして、年を越えた1987年。

当時、自分と同じように精神を病んだ友人と出会った。
よく彼と、国分寺の喫茶店で、一杯のコーヒーで粘った。いきつけのオシャレな喫茶店だった。
ぼそぼそと間隔を開けてはしゃべる彼と、長いことその喫茶店で語った。

その喫茶店はもう今は無い。
そこの音楽好きの店長は、さまざまなレコードを聴かせてくれた。
たくさん棚に収まったレコードを取り替えながら、様々な音楽を流していた。

とある日に、自分らの会話の中から、ボクが「クリス・レアは良いねえ」というのを聴き逃さなかった店長は、ボクが店に現れるたびに、そのとき掛かっていたレコードを外し、クリス・レアにレコードを変えて掛けた。
遠くでコップを拭く店長と目が合って、ニヤリとしたのを覚えている。

友人は、よくうつむき加減になるクセがあった。
それから言葉を選ぶようにして、少しづつ語る、そういう人だった。
彼は、ピンク・フロイドのファンだった。

彼「こないだ出た『鬱』は知っているかい?」
ボク「出たのは知っているが、聴いたことは無い。」
彼「あれは良いよ。」
そういう会話が、あの喫茶店で在った。

自分はピンク・フロイドが『鬱』という名のアルバムを出すこと自体、確信犯に思えた。
また、80年代のピンク・フロイドが時代遅れで古ぼけて感じられていたのは、リアルタイムの事実だった。
何か思わせぶりだったり大仰だったり・・・そんな芝居をして、過去を繰り返しているだけに、当時のボクの目には見えていた。

よって80年代以降のフロイドの新譜は、うさんくささを感じて、聴いていなかった。
なぜ80年代にピンク・フロイド?
時代の中で浮いた感があり「ピンク・フロイド」彼ら自身がこのユニット名に縛られ・執着しているように思えた。
「既に終わったんだよ」と誰かが声を掛けねば、夢から醒めないのかもしれない・・・そんな風に当時のボクは思っていた。

1983年の「ファイナル・カット」は、渋谷陽一さんの「サウンド・ストリート」で特集が組まれて聴いたのだが、心には響かなかった。
そして、1987年、もはやボクが音楽をあきらめ、音楽が遠い所に行ってしまった感覚の中、発表された「鬱」。

彼の話には合わせて「よく、聴いてみるよ」と言いながら、FMから新譜「鬱」が流れるのを流れるがままに流して・・・。
引っ掛かりを失ったまんま、深く聴くことはなかった。

***


そこから24年数箇月後の今日。

今日の無駄な外出をやめて、音楽に浸ろうと、取り出した「鬱」。
自分の悪いクセ。
たんまりレコードやCDがありながらも、聴き込んでいないものがうず高く積まれている。
お店で探して買うだけで満足してしまい、「いつか聴こう」と言い聞かせながら、結果ちゃんと向き合えていないアルバムの渦。
そんな中の1枚。
「いつか」などという日が、永遠におとずれはしないことを知りながら、膨大なストックは増えるだけ。

ずっと「鬱」は難解でややこしいアルバムだろう・・・そう思い込んでいた。
それは、ピンク・フロイドがコンセプト・アルバムを目指し、常こだわっていたせいだった。
それがすり込まれていたせいであった。
ジャケットには砂漠の中に並んだ、たくさんのベッド。ベッドという墓場。
精神的病いを表現したベッドの写真はあまりに自分には重すぎた。

しかし、今日このアルバムは、すーっとおだやかに自分の中に難なく入ってくる。
非常にわかりやすい。
全体の流れにも無理は無いし、ポップな面もあり、カラフルな七変化が楽しめる。
自分が四半世紀勘違いをし、思い込みを抱きすぎていたのだろうか?
もしくは、四半世紀たって、やっと聴く耳が出来たのか?
何はともあれ、不思議な再会。

本来は、じっくりアルバム全体を、何度も何度も繰り返し聴くことで、深い深いところに行くことをオススメするが、1曲を選んでみる。

B面の中盤に入っている「末梢神経の凍結」。
デイヴ・ギルモアの狂気を彷彿させるギター、そしてポップなメロディを奏でるピアノ、そしてオーボエ・・・。このアルバム「鬱」の中でも特にポップで聴きやすいナンバー。
個人的には、若干ティアーズ・フォー・フィアーズを思わせるようなところがある。

■Pink Floyd 「Terminal Frost」■

「くさっても鯛(たい)」では無いが「くさってもフロイド」。
80年代以降のピンク・フロイドをナメ過ぎていた自分に反省すると共に、新たな発見のあった日であった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする