こころとからだがかたちんば

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冬の100曲:石井明美「バラード」1997

2025-02-11 23:40:00 | 音楽帳

雑録+   90年代は高橋真梨子さんのヒットが続いていたけれど、果たしてどこで自分が「ごめんね」を聴いたのか?記憶に定かでなかった。しかし、言われてみれば確かに「ごめんね」は火曜サスペンスで一番多く繰り返し刷り込みされていたのかもしれない。今は亡き母親がサスペンス好きで、火曜夜はテレビからこの曲が流れていた。「ごめんね」が流れる中、仕事帰りのごはんをよく食べていたような気がする。
「ごめんね」がヒットした90年代後半はもうCD時代だったが、そのCD等々を自分は持っていない。ただ高橋真梨子さんのCDなら母親の遺品で自宅にあったような気がするが、自宅丸ごともうなくなってしまったのでゆくえは不明。今回CDで聴きたいなあ、と思ったタイミングに、図書館でこんな2枚組CDがあることを知り 借りて聴いている。この2枚組CDを見ると、あれもこれも火曜サスペンスのテーマ曲だったんだな、と改めて知る。この中で自分が好きでよく聴く曲のひとつは、石井明美さんの「バラード」。

彼女のヒット曲と言えば「CHA-CHA-CHA(チャチャチャ)」。自分はそれくらいしか知らなかったが、これが掛かっていた時代も、掛かっていた流行りのドラマも、こんな浮かれた曲も、それをもろて挙げて喜んで見聞きしていたアーパーでにぎやかな連中も、そんな安っぽい世界全体が自分は〇き気がするほど嫌いだった。苦々しい思いで耳を塞ぎ、鼻をつまみ、そんな時代をやり過ごした記憶が強い。
そんな背景を持つ自分が、家人に付き合って平野ノラとかその手の芸人が出る音楽番組を最近いくつか見てしまった。悪しき腐臭放つバブル時代のありていな側面をまるで美しい時代であったかのように振り返る番組構成が実にうそくさかった。その中でもう還暦の石井明美さんが若作りした当時のまんまの姿で踊り、「CHA-CHA-CHA」を歌っていた。

自分の人生と無縁な反対側の世界にある歌と歌い手。。。石井明美さんが居た世界を陽としたら、彼らと無縁な反対側の世界で過ごしてきた自分。そして、あれから数十年後、昔の火曜サスペンス再放送で「バラード」を聴いた。良い曲だなあ、と思ってクレジットを確認して、その曲を歌っているのが石井明美さんだと初めて知った。
正直、石井明美さんがこんな良い歌を歌える歌唱力があるなんて想定外だった。ひょっとして「CHA-CHA-CHA」が売れてしまったが為にランバダのカバー曲など「そんな路線」を行かざるを得なくなったのだろうか?。TVメディア中心の世の中だった過去、生き残るには歌手には”この一曲!”が必要で、彼女にとって「CHA-CHA-CHA」はそんな必殺の切り札だったのだろう。
「バラード」を聴いて、『そんな路線ではない石井明美さんの曲』が聴いてみたくなった。ただ「CHA-CHA-CHA」が「そんな路線」であるように、『2時間サスペンスのテーマ曲』もそれはそれで一つの路線。岩崎宏美の最初のヒットが生まれてから2つ目3つ目の「柳の下のどじょう」を探し続けた路線上に「バラード」はある。
そんなことを悶々とぐるぐる思ったすえに、一周して、何者にもなっていない自分の身に意識は戻ってきた。
「バラード」は、リーマンをやめてからのこの4~5年、よく聴いている。

■石井明美「バラード」1997■

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