このところ本をまとめるべく、様々に調べていました。
調べるというのは、もちろん二胡そのもの事です。
ネットなどの知識でなく、自分で楽器をいろいろ調整し、
鳴らし変えて、右手も、弦にあたる左の指も変えて見まして、
驚いたのは、どんな形であれ、二胡は鳴ることです。
例えばヴァイオリン、左手の指を変えるといっても、
指の腹で押さえても弦がずれてしまい音になりません。
でも二胡の場合、指先でも指の腹でもあるいは握るように指の第一関節で押さえても、
それはそれで、ちゃんと音になります。
むしろ、その変化がとても楽しめます。
かなり、完成度の高いピアノにしろヴァイオリンにしろ
演奏者が変われば、音色も少しは響きも変わります。
しかしその変わり方は擦弦楽器の比ではありあません。
中でも、二胡は本当によくその音色を変えます。
それは駒や弦を変えたりすることではなく、弾き方を変えることですし、
音楽の感じ方を変えることでもあります。
皆さん集まった時にでも同じ楽器を皆さんで交代で弾いてみてください。
是非楽しみにやってみてください。
反対に、鳴尾牧子さんや、北川浩子さんたちがいろいろな楽器を弾いてみても、
多少の変化はあれ、「あぁ!これは鳴尾さんの音色、これも北川さんの音」とかなり明確に分かりもします。
このことはたぶん演奏力がしっかりしているために、曲としてのニアンスが変わらないからかもしれませんし、
弓の毛の持ち方が、一定の形に作られているのでしょう。
更に、金沢の孟さん。
彼女が中国の曲を弾くと、そのリズムと強弱、そして同じ楽器なのに、これが二胡の音だなと感じさせるのですし、
楽器は変わらないのに、日本の二胡の音色と皆さんが感じられる音色に鳴ったりもします。
そしてチェンミンさん、曲が変わり楽器を変えて、弾き方も変わります。
次々と曲が変わって音楽が変わると、もうそこにはチェンミンさんは、いません。
ただその音楽が流れていきます。
皆さんも、頑張らずに、楽しく良い音色、強い音色たおやかな音色、さまざま試してみてください。
二胡の楽しみ方がさらに広がります。
、
調べるというのは、もちろん二胡そのもの事です。
ネットなどの知識でなく、自分で楽器をいろいろ調整し、
鳴らし変えて、右手も、弦にあたる左の指も変えて見まして、
驚いたのは、どんな形であれ、二胡は鳴ることです。
例えばヴァイオリン、左手の指を変えるといっても、
指の腹で押さえても弦がずれてしまい音になりません。
でも二胡の場合、指先でも指の腹でもあるいは握るように指の第一関節で押さえても、
それはそれで、ちゃんと音になります。
むしろ、その変化がとても楽しめます。
かなり、完成度の高いピアノにしろヴァイオリンにしろ
演奏者が変われば、音色も少しは響きも変わります。
しかしその変わり方は擦弦楽器の比ではありあません。
中でも、二胡は本当によくその音色を変えます。
それは駒や弦を変えたりすることではなく、弾き方を変えることですし、
音楽の感じ方を変えることでもあります。
皆さん集まった時にでも同じ楽器を皆さんで交代で弾いてみてください。
是非楽しみにやってみてください。
反対に、鳴尾牧子さんや、北川浩子さんたちがいろいろな楽器を弾いてみても、
多少の変化はあれ、「あぁ!これは鳴尾さんの音色、これも北川さんの音」とかなり明確に分かりもします。
このことはたぶん演奏力がしっかりしているために、曲としてのニアンスが変わらないからかもしれませんし、
弓の毛の持ち方が、一定の形に作られているのでしょう。
更に、金沢の孟さん。
彼女が中国の曲を弾くと、そのリズムと強弱、そして同じ楽器なのに、これが二胡の音だなと感じさせるのですし、
楽器は変わらないのに、日本の二胡の音色と皆さんが感じられる音色に鳴ったりもします。
そしてチェンミンさん、曲が変わり楽器を変えて、弾き方も変わります。
次々と曲が変わって音楽が変わると、もうそこにはチェンミンさんは、いません。
ただその音楽が流れていきます。
皆さんも、頑張らずに、楽しく良い音色、強い音色たおやかな音色、さまざま試してみてください。
二胡の楽しみ方がさらに広がります。
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