光舜堂を開いて、半年がたちます。
予想を超えて、沢山の方にご来店いただけたのではないかと思う反面、
意外と、御来店しにくい場所?日にち?なのかなとも思います。
今まで(今でも)彫刻や、家具など作って生活してきています。
しかし、私にとっては、結果としてでしかないかな?
ふと、思うことが多くなりました。
ホントにありがたいことに、次にあれ作って、これを準備して、
そろそろ、次の材料手配して、
この、お店は、この形、
この展覧会には、そうそう、これ作ってみよう。
そんな勢いで生きてきてしまった私としては、
二胡作って、大きな壁に当たったのかなと、思います。
お店にしろ、展覧会にしろ、
とにかく来ていただける、或いは、散歩の途中、お買い物のついで。
様々な形があるにせよ、
多い時には一日1000人を超えるような展覧会も開いてきています。
とにかく、大勢の方に見てもらいたい。
と言う事を、物つくりは願います。
田中一村と言う画家をご存知でしょうか?
50才過ぎてから、沖縄に移り、ビンガタと言う気物の絵付けの仕事をしながら、
鮮烈な、日本画を書いていた人です。
一人で誰に見せるわけでもなく。
しかし亡くなる前、10数本の絵を持って、生まれ故郷の千葉?に帰って、
親戚と村の一同にその絵を披露し、また沖縄に、戻っていきました。
このこと凄く解ります。
見てほしいのです。
物作りとはそういう物だとおもいます。
また人は、自分以外の人に知ってもらって、初めて、自分を認めるというところもあると思います。
みなさんも、上手い下手と言うのは置いておいて、気持ちとしては、人に御自分の演奏聞いてほしくは無いですか?
この気持ち誰にでもあるものだと思います。
自己表現。ですね。
自分が認められることで、初めて自分を納得させ、生きている実感と言うのを、得ることができるのではないでしょうか?
二胡作りは、そういう意味では、弾いてほしいのです。
とにかく、大勢の方に弾いてほしいのです。
ですから、光舜堂に来られた方は、無理やりにでも、私に、新作を、手渡されてしまいますね。
それとどこへ行くにも、二胡持っていきます。仕上がってもいなくても、
音が出さえするようになれば、持っていきます。
それでほぉさんに、「ちゃんと商品化したもの持っていって下さい。」と怒られます。
商品化?
そうその考えが、私には抜けていますね、
普段工芸、彫刻と言う、見せるもの、仕上げの美しさを追いかけている仕事であるのに、
二胡に関しては、音、だけなのです、
このデザイン良いでしょとは、想いもしません。
自分なりの音色を追求してきた結果できあがった形ですから、
形を追い求めたわけではありませんから、
何か人ごとのような気がします。
売れるとか、売れないとかいうのは、2の次3の次なのです。
弾いてもらうことが、全てなのです。
その時のみなさんの弾く音、
その時のみなさんの気持ち良さそうなお顔、
もちろんその時に、批判も来るでしょう、悪評もあるでしょう。
でもその時は、その批判来てムッとしたとしても、
それは一つの、評価なのだと、受け入れるでしょう、
むしろそれがあるからこそ、次の作品作る意欲もわいてくるのだと思います、
よーし、次は、、、、、
二胡作りは、そういう意味では、弾いてもらえなければ、意味の無い物だと思います。
ならば、弾いてもらえる事、弾いてもらえるかもしれない方法考えよう。
いまは、こんなこと考えています。
三越の展覧会にも、もちろん、シャム柿、コウキの二胡出します。
インテリアの展覧会に、二胡かい?と最初は、仲間内にも、笑われました。
でも、そこは主催者の権限、(ちょっと、いやなやつですかね)
でもそれは東京だけ、もっと広く弾いていただける機会作ろうと思っています、
どんな方法があるだろうか?
日々考えています。
今日は雨だし、皮張れないし。
西野和宏
予想を超えて、沢山の方にご来店いただけたのではないかと思う反面、
意外と、御来店しにくい場所?日にち?なのかなとも思います。
今まで(今でも)彫刻や、家具など作って生活してきています。
しかし、私にとっては、結果としてでしかないかな?
ふと、思うことが多くなりました。
ホントにありがたいことに、次にあれ作って、これを準備して、
そろそろ、次の材料手配して、
この、お店は、この形、
この展覧会には、そうそう、これ作ってみよう。
そんな勢いで生きてきてしまった私としては、
二胡作って、大きな壁に当たったのかなと、思います。
お店にしろ、展覧会にしろ、
とにかく来ていただける、或いは、散歩の途中、お買い物のついで。
様々な形があるにせよ、
多い時には一日1000人を超えるような展覧会も開いてきています。
とにかく、大勢の方に見てもらいたい。
と言う事を、物つくりは願います。
田中一村と言う画家をご存知でしょうか?
50才過ぎてから、沖縄に移り、ビンガタと言う気物の絵付けの仕事をしながら、
鮮烈な、日本画を書いていた人です。
一人で誰に見せるわけでもなく。
しかし亡くなる前、10数本の絵を持って、生まれ故郷の千葉?に帰って、
親戚と村の一同にその絵を披露し、また沖縄に、戻っていきました。
このこと凄く解ります。
見てほしいのです。
物作りとはそういう物だとおもいます。
また人は、自分以外の人に知ってもらって、初めて、自分を認めるというところもあると思います。
みなさんも、上手い下手と言うのは置いておいて、気持ちとしては、人に御自分の演奏聞いてほしくは無いですか?
この気持ち誰にでもあるものだと思います。
自己表現。ですね。
自分が認められることで、初めて自分を納得させ、生きている実感と言うのを、得ることができるのではないでしょうか?
二胡作りは、そういう意味では、弾いてほしいのです。
とにかく、大勢の方に弾いてほしいのです。
ですから、光舜堂に来られた方は、無理やりにでも、私に、新作を、手渡されてしまいますね。
それとどこへ行くにも、二胡持っていきます。仕上がってもいなくても、
音が出さえするようになれば、持っていきます。
それでほぉさんに、「ちゃんと商品化したもの持っていって下さい。」と怒られます。
商品化?
そうその考えが、私には抜けていますね、
普段工芸、彫刻と言う、見せるもの、仕上げの美しさを追いかけている仕事であるのに、
二胡に関しては、音、だけなのです、
このデザイン良いでしょとは、想いもしません。
自分なりの音色を追求してきた結果できあがった形ですから、
形を追い求めたわけではありませんから、
何か人ごとのような気がします。
売れるとか、売れないとかいうのは、2の次3の次なのです。
弾いてもらうことが、全てなのです。
その時のみなさんの弾く音、
その時のみなさんの気持ち良さそうなお顔、
もちろんその時に、批判も来るでしょう、悪評もあるでしょう。
でもその時は、その批判来てムッとしたとしても、
それは一つの、評価なのだと、受け入れるでしょう、
むしろそれがあるからこそ、次の作品作る意欲もわいてくるのだと思います、
よーし、次は、、、、、
二胡作りは、そういう意味では、弾いてもらえなければ、意味の無い物だと思います。
ならば、弾いてもらえる事、弾いてもらえるかもしれない方法考えよう。
いまは、こんなこと考えています。
三越の展覧会にも、もちろん、シャム柿、コウキの二胡出します。
インテリアの展覧会に、二胡かい?と最初は、仲間内にも、笑われました。
でも、そこは主催者の権限、(ちょっと、いやなやつですかね)
でもそれは東京だけ、もっと広く弾いていただける機会作ろうと思っています、
どんな方法があるだろうか?
日々考えています。
今日は雨だし、皮張れないし。
西野和宏
大変すぎますかね(笑
うん、広めるためには良いですよね?
ただ、壮大な展望の裏には慎重な歩みも必要なんだ・・・ってことも今日のお話で分かりました。
PS:R・M・Gさん【→一応、イニシャルにしてみました】のCD、家にあるのですが改めてすごいなって思います。この人、マエストロですね。そして西野さんも・・・おっと、ひとまずはこのあたりのコメントに留めておこうっと(笑)。
桐子ちゃん偉いね、あの雨の中、
二胡二胡しながら、遠巻きの聴衆にもかかわらず。
なかなか大物、(天然)?
内緒、ないしょ。
タイミングも大切です。ね。
また遊びに来て下さい。
シャム柿の威力は如何でしたでしょうか。大雨というハンデはあったと思いますが、キリちゃんの実力ならば、楽器の凄さを出し切ったのではないかと期待していたのですが。
展覧会は大変ですよね、やっぱり(笑
では二胡だけの展示会はどうでしょう。
あッ!大阪と同じですね(笑