楽器屋の役割。
特に自分にとって、二胡屋をやるということは?
この文章、これは現状の二胡の世界で、(業界で)私が二胡屋をやる意味と言うのがどういうことなのか考えていくと言うことなのです。
8決して、今有る他の二胡屋を批判するものでも、けなす物でも有りません、)
正直言って、このことに自分では答えが出せません。
こんな事を考えるようになったのは、最近のことです。
作り始めた最初の頃は、これはもう,ただ面白くて、面白くて、
ひたすらほぉさんいわく、塵を(シガイ)作り続けました。
これなら、かなり鳴るな、と、思ってもまたそれに手を入れて、ついにはどうしようもない状態にまで、削り込んだりしました。
おかげで分かったのは、二胡の胴の部分の役割です。
胴の筒は皮が張ってある部分から始め、花窓のところまで、音域や倍音にそれぞれ影響があるのでと言うことだったのです。
例えば、花窓取ってしまっても音には影響が無いのには、驚きました。
重低音は、皮の張ってある部分の厚みによって変わりますし、
その後ろの、棹との間に十分な木の厚みが無いと、高音での雑音になります。
でもここが必要十分な薄さでなければ、高音が出ません。
皮を張ってある、口の部分の木の削りの角度でもボリュームや高音の出方が変わります。
内部は平らに削ってある、北京系と、内部を削りだして有る、蘇州系と、
それぞれ、厚みは同じなのだけれども、内部の形によって、外形も変わって来る等々、
この3年、100個以上をごみにしてしまいました。
タダタダ、面白くて、それをまたみんなに弾いてもらいたくて、
また、悪いことに(?) j さんのように興味深く聞いてもらえる人が傍にいたものですから、
更に調子に乗って、ついに、シャム柿などのように、今まで二胡に使われていなかった材料を使ったり、
12角形等作りだしてしまったのです。
多分来るところまで来てしまったからなのかもしれませんが、
夢中になってやっていた頃には聞こえてこなかった、様々な光舜堂に対する噂や、悪口などが、なんとなく耳に入って来るようになりました。
ホントはそんなことを、聴いても今までの(今も)業界では聞く耳を持たなかったのですが、
この二胡業界での自分の立場と言うのは、今までインテリアや、工芸の世界で、好きに作れていたのとは、わけが違います。
あるいは、このようなブログを書いているようになったせいか、様々批判などが聴こえてくるようになりました。
多分、元が、二胡と言う物そのものが、中国の民族楽器と言う形で日本に入って来て、いまだに、中国人の先生の、主導というのが大きい役目を果たしているからかもしれませんが、かなり風あたりの大きいのは事実ですね。
むしろ中国人の先生より、その周りの方々から、あるいは、中国の二胡大好きという方々からかもしれません。
困ったことに直接的に来ないので、何とも歯がゆいのも事実です。
しかし、この辺でちゃんと考えてみたいのです。(こんなことにお付き合いいただいてすみません)
今、二胡と言うのは、特に日本の中で、中国の民族楽器としてだけなのでしょうか?
例えばインドのシタール、あるいはバリのガムラン。
これらは明らかに、民族楽器です。
良い音です。40年前に始めて聞いて、欲しと散々探したのを思い出しました。
その頃はシタールを知っている人など、ほぼいませんでしたから。
今は違います、知っている方も大変多いと思います。
でもこれを演奏しようという方が、どのくらいいるでしょうか?
二胡はもうすでに違います。
ピアノやバイオリンとまでは行かないけれど、三味線などくらいには広がりを見せています。
それも、主婦層が多いというのも、大変驚くことです。
ましてや、今までに楽器に触ったことも無い方が、その大半を占めているというのは、凄いことです。
ミクシー等の、コミュに入って、色々活動している方は実は、全体の10分の一もいないのです。
なんとなくこうやってネット上で、様々なブログを見たり、書いたりしている方は、全体の五分の一もいないのではないでしょうか。
むしろ多いのは、そんなネット上のことには、見向きもしない、人生の最後を楽器を弾いて楽しもうという方たちなのではないでしょうか?
しかもその方達に、二胡は確実に広がっています。
自分にも弾けそう。
この音がとても癒しになる。
二胡の音大好き。
この人たちに気にいられるというのは、単に中国の一民族楽器としてではないと思えるようになってきました。
もうひとつ、この人たちに、こんな不完全と承知で売るような商売は、止めてほしいということです。
それから思うのは、楽器に対して、日本人と、中国人では、感覚が違うのではないかという疑問も。
これは、ホントにまだ考え始めたばかりのことなのですが、これらのこと、少しまとめていかなければいけないのではないでしょうか。
折角二胡に携わってきたのですから。
この項続く
特に自分にとって、二胡屋をやるということは?
この文章、これは現状の二胡の世界で、(業界で)私が二胡屋をやる意味と言うのがどういうことなのか考えていくと言うことなのです。
8決して、今有る他の二胡屋を批判するものでも、けなす物でも有りません、)
正直言って、このことに自分では答えが出せません。
こんな事を考えるようになったのは、最近のことです。
作り始めた最初の頃は、これはもう,ただ面白くて、面白くて、
ひたすらほぉさんいわく、塵を(シガイ)作り続けました。
これなら、かなり鳴るな、と、思ってもまたそれに手を入れて、ついにはどうしようもない状態にまで、削り込んだりしました。
おかげで分かったのは、二胡の胴の部分の役割です。
胴の筒は皮が張ってある部分から始め、花窓のところまで、音域や倍音にそれぞれ影響があるのでと言うことだったのです。
例えば、花窓取ってしまっても音には影響が無いのには、驚きました。
重低音は、皮の張ってある部分の厚みによって変わりますし、
その後ろの、棹との間に十分な木の厚みが無いと、高音での雑音になります。
でもここが必要十分な薄さでなければ、高音が出ません。
皮を張ってある、口の部分の木の削りの角度でもボリュームや高音の出方が変わります。
内部は平らに削ってある、北京系と、内部を削りだして有る、蘇州系と、
それぞれ、厚みは同じなのだけれども、内部の形によって、外形も変わって来る等々、
この3年、100個以上をごみにしてしまいました。
タダタダ、面白くて、それをまたみんなに弾いてもらいたくて、
また、悪いことに(?) j さんのように興味深く聞いてもらえる人が傍にいたものですから、
更に調子に乗って、ついに、シャム柿などのように、今まで二胡に使われていなかった材料を使ったり、
12角形等作りだしてしまったのです。
多分来るところまで来てしまったからなのかもしれませんが、
夢中になってやっていた頃には聞こえてこなかった、様々な光舜堂に対する噂や、悪口などが、なんとなく耳に入って来るようになりました。
ホントはそんなことを、聴いても今までの(今も)業界では聞く耳を持たなかったのですが、
この二胡業界での自分の立場と言うのは、今までインテリアや、工芸の世界で、好きに作れていたのとは、わけが違います。
あるいは、このようなブログを書いているようになったせいか、様々批判などが聴こえてくるようになりました。
多分、元が、二胡と言う物そのものが、中国の民族楽器と言う形で日本に入って来て、いまだに、中国人の先生の、主導というのが大きい役目を果たしているからかもしれませんが、かなり風あたりの大きいのは事実ですね。
むしろ中国人の先生より、その周りの方々から、あるいは、中国の二胡大好きという方々からかもしれません。
困ったことに直接的に来ないので、何とも歯がゆいのも事実です。
しかし、この辺でちゃんと考えてみたいのです。(こんなことにお付き合いいただいてすみません)
今、二胡と言うのは、特に日本の中で、中国の民族楽器としてだけなのでしょうか?
例えばインドのシタール、あるいはバリのガムラン。
これらは明らかに、民族楽器です。
良い音です。40年前に始めて聞いて、欲しと散々探したのを思い出しました。
その頃はシタールを知っている人など、ほぼいませんでしたから。
今は違います、知っている方も大変多いと思います。
でもこれを演奏しようという方が、どのくらいいるでしょうか?
二胡はもうすでに違います。
ピアノやバイオリンとまでは行かないけれど、三味線などくらいには広がりを見せています。
それも、主婦層が多いというのも、大変驚くことです。
ましてや、今までに楽器に触ったことも無い方が、その大半を占めているというのは、凄いことです。
ミクシー等の、コミュに入って、色々活動している方は実は、全体の10分の一もいないのです。
なんとなくこうやってネット上で、様々なブログを見たり、書いたりしている方は、全体の五分の一もいないのではないでしょうか。
むしろ多いのは、そんなネット上のことには、見向きもしない、人生の最後を楽器を弾いて楽しもうという方たちなのではないでしょうか?
しかもその方達に、二胡は確実に広がっています。
自分にも弾けそう。
この音がとても癒しになる。
二胡の音大好き。
この人たちに気にいられるというのは、単に中国の一民族楽器としてではないと思えるようになってきました。
もうひとつ、この人たちに、こんな不完全と承知で売るような商売は、止めてほしいということです。
それから思うのは、楽器に対して、日本人と、中国人では、感覚が違うのではないかという疑問も。
これは、ホントにまだ考え始めたばかりのことなのですが、これらのこと、少しまとめていかなければいけないのではないでしょうか。
折角二胡に携わってきたのですから。
この項続く
他にも担いでそうな方々は何人かいらっしゃると思いますよ。
真面目に書くと長くなるので一言だけ、その考え方に大賛成です。
安定した状態を乱そうとするといろいろ軋轢が生じるものです。それは自然界の現象でも見ることが出来ます。先駆者としての苦労は計り知れないものがあると思いますが、出来る限りサポートしたいと思います。
日本人と中国人の感覚は間違いなく違います。確か、そういう研究をした結果を見た記憶があります。人種によっても異なるようです。そういうことを生かすことが必要かもしれませんね。
バイオリンの世界でもストラディバリやガルネリといった名器を大量に分解して研究した結果なんてのもあるのです。西野さんの楽器に対するアプローチは普通のことですね。
日本人と中国人というか、個人単位で好みは違うと思うので、性格の違う楽器があるのはいいことですが、楽器の完成度だけでなく、楽器に対する知識も含めて、現状はまだそのクオリティに問題があると思います。
今後も二胡愛好家達が疑問を持っている曖昧な部分を明らかにして頂きたいと思います。
私も一愛好家として期待しております。
まだまだ、私一代では日本の二胡と言うのは完成しないのではないかと思っています。
桃山時代に入って来た三線を三味線として、定着させたように、日本二胡定着させたいですね。
ハイビーさんのように確信を持って、まだ楽器として、完成していないと思う方が二胡愛好家の中に沢山いると良いのですが、
二胡はこういう物と、言われて、雑音と戦っている二胡愛好家のなんと多いことでしょうか、
ハイビーさんも是非周りの人に、そのこと伝えて下さい。
そのように認識すれば、そこから何か違う方法も考えられると思いますよ。
パートの一主婦が、子供の手が離れた頃にこれから先の楽しみとして始めたものです。
弾くのだから、少しは二胡の楽器としての構造・特色等知りたいと思います。
弾くのは教えてもらえますが、構造に関してはぜんぜんと言って良いほど分かってはいませんでした。
こうして明らかに教えてもらえて嬉しく思います。
~民族~の頭言葉は無しの「二胡」で良いと思います。
これから日本に定着していくだろう楽器と思っています。狭義な二胡の取扱いでは無く、全国津々浦々楽器について気軽に相談が出来、修理調整を頼め、安心して購入できる楽器になってほしいです。
何しろ、予算に限りがある一主婦のとらの子で購入するものだし・・・。
おっしゃる通り、民族楽器二胡の民族外して、
単に二胡と呼ばれるぐらいの完成度を目指します。将来の二胡弾きの為に。
それにはあと何年かかることやら、
他だ幸い、ウチの家族は全員90歳以上、それも現役で、長生きしています。
ストラデバリウスも、93まで最後まで仕事をしていたといいます。
私も、なんとか、、、、、