どの世界にも、偽物というのはあります。
もちろん、二胡にもです。
アイフォン、ならぬアイポンを公然と販売してしまうお国柄ですから、二胡にもそれが無いとは言えないと思います。
しかし、かの高名なバイオリンの聖地にもそのようなことが有るとは思いもしませんでした。
人の生活というのは、物を作ってそれを販売して、互いに生きていくのだと言う素朴な経済学きりない私の頭では、今の金利の利鞘を稼ぐと言う、経済の有り方が理解できないのです。
ましてや、ひたすら、出来るだけの技術と、日々怠らぬ修練とによって出来上がったものを皆さんにお届けする事のみが、職人の生活と考えている私には、以下の文章というのは、人の命、生活というものへの冒涜としか感じられないのです。
良いではないですか!日々、手に汗して、作り出したものが、それに見合う金額で皆さんにお譲りして、使ってもらえれば!
いかに効率よく、いかに経済的に成り立つようにというだけでの物作りというのは、私には理解不可能です。
朝起きて一日、寝るまで、物を作り続け、その事のみが自分の人生を支えていく経済活動ではどうしていけないのかも解りません。
それ以上を望む人々が、今の狂った金融経済を作り上げて世界を滅亡に導いているのではないでしょうか。
以下坂井克則さんのHPから。
8 ヴァイオリンとクレモナ
多くの製作者や楽器商の人々が『クレモナの伝統的手法』、『クレモナの伝統を受け継ぐ製作者』とかクレモナを聖地のように使っているが、クレモナは、弦楽器製作と言う言葉が18世紀で楼蘭のようにまったく消え失せた町なのである。
ところが20世紀にファシスタ政権のベニト ムッソリーニ(イタリアの独裁者は音楽の素養がありヴァイオリンを弾いたのだ!)が、イタリア賛美のもとにストラデヴァリ没後200年祭の翌年、1938年に無理やり弦楽器製作学校をクレモナに設立したのである。
現代のクレモナの名マエストロたちも、たかだか40年前にクレモナの製作学校で、17~18世紀の製作法をあまり理解していないモダンイタリーの製作者に学んだだけなのである。
日本の輪島塗は室町時代の応永年間から受け継がれている。クレモナには確かに歴史はあったが、伝統はまったくないのである。
そして残念な事にムッソリーニの作った製作学校は、17世紀の職人たちの真髄をまったく理解できていない不知な教官たちによって、多くのクレモナ弦楽器製作者集団を生み出してしまった。
そして、その何割かの製作者は、何の疑問や罪の意識なしに半完成品や中国製の二スを塗っていない白木楽器を使用して自作のクレモナ手工ヴァイオリンとして素知らぬ顔をして売っている。
現代の弦楽器にとってクレモナと言う言葉は、まったく意味のない事で、これを頼りに弦楽器を選択しては、後悔することになる。
真のクレモナの意味を理解していない製作者ほど、クレモナと言う冠を其処ら中にかぶせたがり、消費者もこれに陶酔する。
伝統工芸をだめにするのは職人だけのせいではない、商人や消費者の責任もある。
もちろん、二胡にもです。
アイフォン、ならぬアイポンを公然と販売してしまうお国柄ですから、二胡にもそれが無いとは言えないと思います。
しかし、かの高名なバイオリンの聖地にもそのようなことが有るとは思いもしませんでした。
人の生活というのは、物を作ってそれを販売して、互いに生きていくのだと言う素朴な経済学きりない私の頭では、今の金利の利鞘を稼ぐと言う、経済の有り方が理解できないのです。
ましてや、ひたすら、出来るだけの技術と、日々怠らぬ修練とによって出来上がったものを皆さんにお届けする事のみが、職人の生活と考えている私には、以下の文章というのは、人の命、生活というものへの冒涜としか感じられないのです。
良いではないですか!日々、手に汗して、作り出したものが、それに見合う金額で皆さんにお譲りして、使ってもらえれば!
いかに効率よく、いかに経済的に成り立つようにというだけでの物作りというのは、私には理解不可能です。
朝起きて一日、寝るまで、物を作り続け、その事のみが自分の人生を支えていく経済活動ではどうしていけないのかも解りません。
それ以上を望む人々が、今の狂った金融経済を作り上げて世界を滅亡に導いているのではないでしょうか。
以下坂井克則さんのHPから。
8 ヴァイオリンとクレモナ
多くの製作者や楽器商の人々が『クレモナの伝統的手法』、『クレモナの伝統を受け継ぐ製作者』とかクレモナを聖地のように使っているが、クレモナは、弦楽器製作と言う言葉が18世紀で楼蘭のようにまったく消え失せた町なのである。
ところが20世紀にファシスタ政権のベニト ムッソリーニ(イタリアの独裁者は音楽の素養がありヴァイオリンを弾いたのだ!)が、イタリア賛美のもとにストラデヴァリ没後200年祭の翌年、1938年に無理やり弦楽器製作学校をクレモナに設立したのである。
現代のクレモナの名マエストロたちも、たかだか40年前にクレモナの製作学校で、17~18世紀の製作法をあまり理解していないモダンイタリーの製作者に学んだだけなのである。
日本の輪島塗は室町時代の応永年間から受け継がれている。クレモナには確かに歴史はあったが、伝統はまったくないのである。
そして残念な事にムッソリーニの作った製作学校は、17世紀の職人たちの真髄をまったく理解できていない不知な教官たちによって、多くのクレモナ弦楽器製作者集団を生み出してしまった。
そして、その何割かの製作者は、何の疑問や罪の意識なしに半完成品や中国製の二スを塗っていない白木楽器を使用して自作のクレモナ手工ヴァイオリンとして素知らぬ顔をして売っている。
現代の弦楽器にとってクレモナと言う言葉は、まったく意味のない事で、これを頼りに弦楽器を選択しては、後悔することになる。
真のクレモナの意味を理解していない製作者ほど、クレモナと言う冠を其処ら中にかぶせたがり、消費者もこれに陶酔する。
伝統工芸をだめにするのは職人だけのせいではない、商人や消費者の責任もある。