自分が楽器を造っているという事もあって、
世界中の様々な楽器に興味があります。
また楽器の歴史などにもとても興味がありますが、
残念ながら、まったくの語学音痴ですから、いろいろな原典を調べてというわけにもいきません、
私の兄は、僧侶でありながら、世界中の楽器、特に、東南アジアアフリカなどの楽器を、30点近く持っています
すごいのはガムランの金属のワンセット。
そして、鈴(りん)要するにお寺で使う木魚などと一緒に叩く小さな鐘ですね、
あちこちの檀家さんやら、お寺さんのいらないという和得たものを集めていまして。
これで音楽ができるくらいあるのです。
中国にもありますね、椀琴というのですかね??お茶碗に水を入れてそれで音程を造って、叩くのです。
以前ウェイウェイウーさんの御父上が、何かの演奏会の時に実演してくれていましたね。
昔は居酒屋などでも興が乗ってると、まあ単に酔っぱらうとですかね
お茶碗器用に叩いて歌に合わせていたりする人がいましたっけ。
たぶんこのあたりが楽器の祖先でしょうね。
音楽の中心は、世界中どこでも歌声ですね。
語りの場合もありますね。
オーケストラのメッカのようなヨーロッパでも18世紀くらいまでは、やはり歌声が中心であったようで、
器楽だけの音楽というのは大変珍しかったようです。
一説によると、楽器それ自体が完成度が低く、歌声のようには自由に音楽できなかったからという話もあります。
トランペットなどもピストンがなく、糸つの楽器で3音ぐらい切り出せなかったようですし、
17世紀の終わりぐらいになって、完成度の高いヴァイオリンが出来上がってきて、比較的歌声に近い演奏ができることから、
ヴァイオリンを中心としたオーケストラができてきたようです。
ヴァイオリンなども比較としては歌声に近い音など評価されたようですが。
疎声行くと二胡はまさに歌声に近い、
雑踏の中で聞いたりすると、女性が歌っているようにも聞こえてきたりすることがありますね。
とくに古い楽器は歌声に聞こえることが多いお湯に思えるのは、私だけですかね。
光舜堂にはかなり古い楽器も集まります。
とくに丸い筒の二胡は、うまく弾くと女性の声と錯覚します。
たぶん二胡の音色はこれが基本なのではないか?
などと最近ではそのように考えだしています。
特に花梨と、一部の紫檀の二胡。
今二胡が作られ始めてから、確かに音も大きく、あの構造としてはかなり高音まで出るようにはなってきました
もともと枯らしてヴァイオリンに追いつけと作り始めた二胡ですから。
が、音色はどうも犠牲にされているような気がするのです。
ヴァイオリンも、会場が広くなりそれに合わせてどんどん音の大きくなるものが求められてきたのです。
二胡にしても同じく音の大きさというのが変な形で優先されてきて、
なんだか大声で怒鳴っているような楽器になってきてしまったのではないかと思うのです。
ヴァイオリンなどにしても、今のスティール弦ではなく、ガット弦でひいたり、あるいは昔の弓のように弾きにくくはあるけれど、
弓毛を緩く張った弓などで弾くと、本当に音色という感じがします。
これからの私の楽器つくりは、どうやらこのあたり、
音色作り、かな???
などと考えている今日この頃です。
世界中の様々な楽器に興味があります。
また楽器の歴史などにもとても興味がありますが、
残念ながら、まったくの語学音痴ですから、いろいろな原典を調べてというわけにもいきません、
私の兄は、僧侶でありながら、世界中の楽器、特に、東南アジアアフリカなどの楽器を、30点近く持っています
すごいのはガムランの金属のワンセット。
そして、鈴(りん)要するにお寺で使う木魚などと一緒に叩く小さな鐘ですね、
あちこちの檀家さんやら、お寺さんのいらないという和得たものを集めていまして。
これで音楽ができるくらいあるのです。
中国にもありますね、椀琴というのですかね??お茶碗に水を入れてそれで音程を造って、叩くのです。
以前ウェイウェイウーさんの御父上が、何かの演奏会の時に実演してくれていましたね。
昔は居酒屋などでも興が乗ってると、まあ単に酔っぱらうとですかね
お茶碗器用に叩いて歌に合わせていたりする人がいましたっけ。
たぶんこのあたりが楽器の祖先でしょうね。
音楽の中心は、世界中どこでも歌声ですね。
語りの場合もありますね。
オーケストラのメッカのようなヨーロッパでも18世紀くらいまでは、やはり歌声が中心であったようで、
器楽だけの音楽というのは大変珍しかったようです。
一説によると、楽器それ自体が完成度が低く、歌声のようには自由に音楽できなかったからという話もあります。
トランペットなどもピストンがなく、糸つの楽器で3音ぐらい切り出せなかったようですし、
17世紀の終わりぐらいになって、完成度の高いヴァイオリンが出来上がってきて、比較的歌声に近い演奏ができることから、
ヴァイオリンを中心としたオーケストラができてきたようです。
ヴァイオリンなども比較としては歌声に近い音など評価されたようですが。
疎声行くと二胡はまさに歌声に近い、
雑踏の中で聞いたりすると、女性が歌っているようにも聞こえてきたりすることがありますね。
とくに古い楽器は歌声に聞こえることが多いお湯に思えるのは、私だけですかね。
光舜堂にはかなり古い楽器も集まります。
とくに丸い筒の二胡は、うまく弾くと女性の声と錯覚します。
たぶん二胡の音色はこれが基本なのではないか?
などと最近ではそのように考えだしています。
特に花梨と、一部の紫檀の二胡。
今二胡が作られ始めてから、確かに音も大きく、あの構造としてはかなり高音まで出るようにはなってきました
もともと枯らしてヴァイオリンに追いつけと作り始めた二胡ですから。
が、音色はどうも犠牲にされているような気がするのです。
ヴァイオリンも、会場が広くなりそれに合わせてどんどん音の大きくなるものが求められてきたのです。
二胡にしても同じく音の大きさというのが変な形で優先されてきて、
なんだか大声で怒鳴っているような楽器になってきてしまったのではないかと思うのです。
ヴァイオリンなどにしても、今のスティール弦ではなく、ガット弦でひいたり、あるいは昔の弓のように弾きにくくはあるけれど、
弓毛を緩く張った弓などで弾くと、本当に音色という感じがします。
これからの私の楽器つくりは、どうやらこのあたり、
音色作り、かな???
などと考えている今日この頃です。