二胡工房 光舜堂

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二胡弾き・本紀、その2

2013-09-12 08:31:16 | ■工房便り 総合 
どうもこの二胡が日本に入ってきたのは、明治期以後のようです。

それ以前に、琵琶は、奈良時代に日本に入ってきていますし、三味線の先祖の三線も戦国時代の終わりには日本に入り、豊臣秀吉の側妾の一人淀君のつかった三味線が有ると言うことです。

また胡弓は、やはり戦国時代に日本に入ってきたようです。

江戸時代には、歌舞伎などでも使われ(今も使われています)擦弦楽器としては唯一日本に残ったものかもしれません。

また沖縄には、クチョーという(どう言う字を書くのでしょうか)これはもう二胡そのものと言ってもい楽器が有りますが、蛇皮だったからでしょうか、日本本土では広まりませんでした。しかしクーチョーというのは蛇皮を使ってはいますが構造や弾き方などは指板も有るし4弦であると言うことでも胡弓とほとんど同じです。ですからむしろコノクチョーが日本に入り蛇皮の無かった為に、他の皮を使って作られるようになったのかもしれません。

二胡は多分江戸時代の鎖国の影響で、もしかしたら一度は日本に入ったかもしれないのですが、そのままは残りませんでした。

それまでは日本と中国との貿易というのはかなり自由になされていましたし、特に戦国時代には倭寇という形で、中国にもどんどん進出してもいましたし、タイやベトナムなどにも日本人が町を作ったりもしていたのです。

また、その頃,明の功臣と言われる鄭成功は母親が日本人であり、新たに北から侵入して来た女真族の清に対して台湾に王国を作り上げ、平戸を中心として日本との交易も相当盛んにやっていたようですから、それまでのように中国人達は自由に日本に出入りしていたはずなのです。

当然楽器なども、勿論二胡も入ってきていたでしょう。

ところが江戸時代に入り鎖国です。

徳川氏一族の為だけに、その政権を維持する為だけの為になされた鎖国ですから、日本人にとっては国外との通信も閉ざされ文化の交流という点でも閉ざされてしまった、250年間がこの後に続きます。

当然中国の南部や、ベトナムタイなどに自生していた網目ニシキヘビなどは日本には入らなかったでしょう。

せいぜい沖縄ぐらいまでだったかと思います。

だからでしょう、沖縄にクチョ―という蛇皮系の楽器が残ったのは。




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1 Comments

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明清楽 (北村よう)
2013-09-13 08:41:23
明清楽で使われた胡琴類はどういう位置づけになりますか?
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