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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第28回)

2024-12-23 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第6章 計画経済と政治制度

(1)経済体制と政治制度
 本連載第2部の課題は、持続可能的計画経済のプロセスを明らかにすることであるが、本章では計画経済体制を上部構造において保証する政治制度のあり方について見ておきたい。
 一般的に、経済体制と政治制度の間に論理必然的な関係があるかと言えば、はっきりとイエスとはならない。しかし、緩やかながら論理的な対応関係を見出すことはできる。
 例えば、資本主義は自由経済を志向するから、経済規制を最小限にとどめる自由主義的な政治体制、特に議会制と結ばれた時に最も効果を発揮する。これは、議会制が多額の金銭をつぎ込む公職選挙を土俵とする金権政治の代表的制度であることからしても、資本が自らの保証人となる政党・政治家を通じて経済界の総利益を保持するという持ちつ持たれつのパトロニッジ関係を構築しやすいからである。
 他方、旧ソ連のような行政指令経済に基づく社会主義経済体制は、当然にも経済司令塔となる政府と計画行政機関を必要とするので、相当に集権的な国家体制と結びつく。その点、諸政党の寄合となる議会制はこの体制には適合しにくい。
 これに対して、新たな計画経済は行政指令型ではなく、計画経済の対象企業自身による自主的な共同計画を軸とするから、計画行政機関は無用である。そこからさらに、国家という制度そのものも不要とするかは、一つの問題である。
 ここでは、貨幣制度の廃止が鍵となる。公式貨幣を発行する通貨高権を失った国家はもはや国家ではないとすれば、貨幣経済によらない共産主義的計画経済は国家制度とは両立しないことになる。
 もっとも、国家廃止は必ずしも計画経済特有のものではなく、貨幣経済は残すが、国家の通貨高権は廃し、私的通貨制度に純化するという最もラディカルな自由市場経済論に立つなら、少なくとも理論上は「国家なき資本主義」も成り立つことになる。
 しかし、実際のところ、国家の権威づけを一切持たない私的通貨が取引の安全を担保されて安定的に流通するとは想定し難く、「国家なき資本主義」はまさに机上論にどとまるだろう。
 結局のところ、計画行政機関を持たない自主的な計画経済体制は、国家制度によらない新たな政治制度を上部構造に持つことになると考えられるが、そのグローバルな大枠となるのが世界共同体である。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第27回)

2024-12-21 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第5章 計画経済の世界化

(5)汎域経済協調機関
 世界共同体とは一つの国家のような統合体ではないため、世界経済計画といっても、それは領域圏の地域的なまとまりである五つの汎域圏間での経済協調関係を内包する。そうした汎域的な経済協調関係は、資本主義的な商業貿易に代わるものとして、持続可能的計画経済において極めて重要である。
 煎じ詰めれば、持続可能的計画経済とは、世界経済計画を基本に、個別的な領域圏計画経済と横断的な環域間経済協調が有機的に連関しながら運営されていくグローバルな経済システムと言える。
 その意味でも、経済協調圏としての汎域圏は重要な単位であり、そうした汎域間経済協調を担う機関として、世界経済計画機関とは別途、汎域圏経済協調会議のような実務機関を設置し、常時経済協調関係を維持する必要がある。 
 具体例を挙げれば、自動車なら世界経済計画に示された指針に従い、各々汎域圏内での中心的な領域圏が生産し、汎域圏内で融通し合う。その結果、自動車メーカーが世界的なシェアーを巡り競争し合うという関係はなくなり、生産活動はそれぞれの汎域圏内で完結することになる。
 ただし、それは硬直的なルールではなく、アフリカのように独自の自動車メーカーが存在しないところでは―もちろん独自に育成される可能性は資本主義経済下よりも開かれるが―、隣接するヨーロッパから調達するというように、汎域圏を越えた協力関係の存在も否定されるわけではない。
 さらに汎域圏のもう一つの重要な役割として、食糧農業分野での経済協調がある。共産主義的な食糧生産は貿易によらず、各領域圏で自給的にまかなうことが基本であり、現実にも共産主義はそれを可能とするが、農業の発達状況と生産量は地理的条件及び天候にも左右され、不均衡を完全には免れないことから、食文化に共通性のある汎域圏間で不足産品を融通し合う協力関係は不可欠である。
 そうした協力関係をグローバルに調整する専門機関として世界食糧農業機関が置かれる。これは現存国連機関である国連食糧農業機関(FAO)の業務を引き継ぐものであるが、この機関は調整機関にとどまり、現実の協力実務は汎域圏ごとに設置される食糧農業会議が行なう。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第26回)

2024-12-20 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第5章 計画経済の世界化

(4)世界経済計画機関
 グローバルな計画経済の実務機関となるのは、世界経済計画機関である。これは各領域圏の計画機関である経済計画会議の総本部に相当する機関でもあり、グローバルな計画経済が最終的に確立された暁には、同機関が策定した世界経済計画の総枠内で各領域圏の経済計画が策定されるシステマティックなものとなる。
 この世界経済計画機関は全世界の領域圏で構成する世界共同体の専門機関の位置づけを持つが、現存国連諸機関のような官僚制的行政機関ではなく、各領域圏の経済計画会議と同様に、生産企業自身の共同計画を策定する合議制機関である。
 その構造は各領域圏の経済計画会議の相似形となる。すなわち、世界経済計画機関の意思決定を担う執行部(上級評議会)は計画経済の対象となる環境負荷産業分野の生産事業機構の世界組織である生産事業機構体の代表者で構成される。
 資本主義経済にはこうした生産事業機構体に該当する組織は存在しないが、強いて現存する類似例を挙げるとすれば、世界鉄鋼協会(World Steel Association)とか国際自動車工業連合会(Organisation Internationale des Constructeurs d'Automobiles)といった国際的な業界団体をイメージすればよいと思われる。
 資本主義体制の下では、こうした国際業界団体はあくまでも業界ごとの国際的な利益代表組織であり、生産活動そのものの調整を行なうことは国際カルテルに当たり、むしろ禁止される。しかしグローバルな計画経済下の生産事業機構体は単なる業界団体ではなく、まさに世界計画経済の主体的組織となるのである。
 こうして生産事業機構体が世界経済計画機関を通じた審議のうえで策定した世界経済計画は、世界共同体の民衆代表・意思決定機関である総会(世界民衆会議)で審議を受けなければならない。その結果、可決された世界経済計画は、条約に準じた規範性をもって各領域圏を拘束し、各領域圏レベルでの経済計画の準拠指針となる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第25回)

2024-12-19 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程



第5章 計画経済の世界化

(3)貿易から経済協調へ
 グローバルな持続可能的計画経済が実現された暁に世界経済上生じる最も大きな変化は、貿易という経済行為の消滅―「自由貿易」か「保護貿易」かを問わず―である。これはちょうど「一国」レベルでは商業が消滅するのとパラレルな関係にある。貿易とは海と陸の境界を越えた商業活動の謂いであることからすれば、当然の事理である。
 ただ、貿易が消滅するといっても、完全に「一国」レベルでの自給自足体制に移行するわけではない。食糧を含めた自給困難な物資の海外調達は継続される。しかし、それはもはや貿易という商業的な形態においては行われず、無償の経済協調という形態で行われる。
 ここで言う経済協調とは、資本主義経済下の経済協力のように「途上国」に対する「援助」として実施される恩恵的経済行為ではなく、原則的・日常的な互恵的経済行為として行われることに留意が必要である。
 そのような試みの不完全な先例として冷戦時代にソ連を中心とした社会主義経済圏の経済協調体制(コメコン)があったが、これは画一的な分担分業体制を採ったため、メンバー国の産業構造の偏りを生んだ。持続可能的計画経済における経済協調はそうした画一的な分業によらない柔軟な地域間協調である。
 実際、前節で述べた世界経済計画はそれ自体が経済協調の全般指針でもあるが、具体的な経済協調は地理的近接性を考慮して近隣経済協調圏のレベルで行われる。これも次章で改めて述べるが、世界を五つに区分した汎域圏がそのまま経済協調圏として機能する。例えば、日本の場合は汎東方アジア‐オセアニア圏が帰属経済協調圏となる。
 こうした経済協調の中でも、食糧に関しては人間の死活に直結し、自然条件に左右されるところが大きいため、通常の経済計画とは別途計画が立てられる必要があるが、具体的な経済協調はやはり汎域圏のレベルで行われる。
 また経済協調の一環として、エネルギー源となる天然資源の民際管理の問題がある。『共産論』で論じたように、天然資源はナショナリズムに委ねず、何者にも属しない無主物として民際管理下に置かれるが、その管理機関として世界天然資源機関が置かれ、持続可能な共同採掘が行われる。世界経済計画はこうした資源の分配計画も包含するものとなる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第24回)

2024-12-18 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程



第5章
 計画経済の世界化

(2)グローバル計画経済
 第1部で環境的持続可能性を重視する新しい計画経済、つまり持続可能的計画経済の理論的基礎について論じたが、そこでの議論はさしあたり、「一国」のレベルでの計画経済を想定してきた。
 しかし、環境的持続可能性とは、正確に言えば地球環境の持続可能性―つまり、地球が少なくとも人為的な要因から死滅することのないように保持していくこと―を意味するから、持続可能的計画経済は特定の一国だけで実践され得るものではない。
 持続可能的計画経済は、その究極的な形態においては、まさに地球規模でグローバルに遂行されていかなければならない。この点において、それは環境的持続可能性を一国の政策レベルの課題に矮小化する「環境政策論」とも、また気候変動や生物多様性等々特定の環境課題を個別の国際条約―しかも、批准/脱退は各国の個別判断任せ―を通じて協調しようとする近年の潮流とも異なり、よりいっそう徹底した世界化を目指している。
 そのためには、持続可能的計画経済の世界的な準則となる世界経済計画が必要とされる。それは前章までの議論で前提とされてきた「一国」レベルにおける経済計画の全体的な大枠(キャップ)となるものである。言い換えれば、「一国」レベルでの計画は世界レベルでの経済計画に基づく個別的な割当て(クォータ)の位置づけとなる。
 このような壮大な構想に対しては、果たして数十億人口を抱えるに至った現存地球上でそれほど大規模な経済計画を紛議なく実効的に策定することができるのかという「現実主義」からの疑問が示されるであろう。
 たしかに、これは人類がいまだ経験したことのない壮大な経済実験ではある。しかし、それも現存の主権国家体制を揚棄し、主権国家の連合体にすぎない現存国際連合に代わる「世界共同体」を創設することを通じて、実現の道が開かれると考える。
 世界共同体は、主権国家に代わって主権を持たない領域圏で構成されるトランスナショナルな政治経済組織である。その意味で、持続可能な計画経済と政治体制の関係は重要な論点であるが、これについては次章で詳論する。

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第23回)

2024-12-17 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第5章 計画経済の世界化

(1)非官僚制的計画
 持続可能的計画経済は、その観点のみならず、過程の点でもソ連式計画経済とは異質のものである。すなわち、それはソ連式のような行政主導の官僚的計画ではなく、生産企業体自身による自主的な共同計画の過程を辿る。
 その点で、「自主管理社会主義」と呼ばれた旧ユーゴスラビアの制度に類似するが、旧ユーゴの場合、各生産企業体を労働者自身が管理運営するという「自主管理」に重点があり、全体計画に関しては二次的な関心しか置かれていなかったため、それは事実上個別生産企業体の独立採算と一定の競争関係をもたらし、市場経済への近接を示していたのであった。
 これに対し、持続可能的計画経済において想定される自主的な共同計画は、全体計画を生産企業体が共同して策定・運用していくという「共同管理」に重点が置かれるのである。
 こうした生産企業体による共同計画の策定機関としては、各生産企業体の計画担当者で構成する「経済計画会議」(以下、計画会議と略す)のような代表機関が想定される。
 その計画は、内容的には環境的持続可能性に立脚するものであるから、計画会議は経済計画に必要な環境経済学的分析の高度な機能をも擁し、計画策定を主導していくことになるだろう。従って、この機関には行政機関におけるような官僚は存在しない代わりに、専従職員として環境経済調査士が所属する。
 環境経済調査士とは、環境学的な観点から経済分析・予測をする専門職であり、経済学と環境学が融合されて初めて成り立つ新しい専門職である。言わば、エコロジスト+エコノミスト=エコロノミストである。
 資本主義経済下でも「環境経済学」という新分野が誕生しているが、市場経済を絶対前提とする資本主義経済学の中では周縁的な領域にとどまっている。しかし、持続可能的計画経済にあっては環境経済学が機軸的知見となり、それに照応した実務職も誕生する。
 となると、環境経済調査士が計画会議を動かす準官僚的な存在と化すのではないかとの懸念もあり得るが、かれらの役割はあくまでも経済計画に資する調査分析に限局され、実際の計画策定は計画会議の審議の場で公開討議に付され、議決されるから、この機関は旧ソ連の国家計画委員会のような行政機関よりも議会に近いものと言える。
 こうした自主的共同計画は旧ソ連式国家計画に比して、格段に生産現場の判断に立脚した柔軟かつ分析的な知見をも反映した現実的な計画となると見込まれる。
 さらに、持続可能的計画経済は地球環境の持続可能性に立脚する以上、究極的には全世界的な規模で実施されなければ完結しない。こうした言わばグローバルな経済計画についても、各生産分野ごとの世界的な連合組織が自主的に策定・運営するシステムが想定されなければならない。

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第22回)

2024-12-15 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第4章 計画化の基準原理

(7)自由生産領域の規律原理
 持続可能的計画経済においては、計画経済の対象領域は環境負荷的産業領域に限局され、それ以外の領域は計画外の自由生産に委ねられる。これは、厳密には計画経済というより、計画経済と市場経済の混合経済体制の一種と解釈されるかもしれない。
 こうした混合経済体制に共通する難点は、原理の異なる二種の経済体制を混合することで、機能不全を起こすことである。化学にたとえるなら、水と油のように混ざらずに分離されるならまだしも、混合の結果、毒性の強い物質が発生してしまうような事態が最も懸念すべきものである。
 それを防ぐには、「混合」という発想に替えて、計画外の自由生産領域を計画経済の残余領域として把握することである。すなわち、自由生産領域は計画経済の対象外ではあるが、間接的な形で計画経済の規律が及ぶ領域とみなされるのである。
 その点、自由生産領域といえども、結果的に生産財やエネルギー供給に関わる基幹産業分野をカバーする計画化対象領域から物品やサービスの供給を受けるので、波及的に計画経済が妥当することは必然である。
 さらに、環境的な持続可能性の原理は自由生産領域といえども適用されるのであり、自由生産領域の生産活動も共通の環境法体系によって規律され、環境的持続可能性を害するような「自由」は容認されないことになる。
 ところで、持続可能的計画経済体制は貨幣経済を前提としない経済システムであるから、自由生産領域といえども、当然の貨幣経済ではなくなる。となると、ここでの「自由」とは、単に経済計画の適用を直接には受けないという含意にとどまり、自由生産領域=市場経済となるわけではない。
 理念型としては、完全に無償供給型の自由生産活動も想定できるが、現実にそのような活動がどの程度の規模で行われるかは、人類にとって未知の世界である。経済人類学的な予測として、人類が本質的に交換を欲する生物であるなら、何らの交換も伴わない純粋に利他的な無償の生産活動は、ごく限られたものとなるだろう。
 そこで、貨幣経済に代わって旧来の物々交換慣習が復活してくるなら、それは交換経済の一種であるし、物々交換の対象物が慣習的に定式化されれば、貨幣経済に近づく。そこから、特定の取引界でのみ通用する私的貨幣が発生し、定着すれば、慣習的な貨幣経済の段階へ進む。
 持続可能的計画経済体制において、慣習的な私的貨幣は公式の通貨として認証されることはないが、逆に禁圧されるわけでもない。こうした経済慣習も自由生産領域における私的自治の表出として尊重される。ただし、自由放任ではなく、民事法上の規律は受ける。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第21回)

2024-12-13 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第4章 計画化の基準原理

(6)物財バランス③:数理モデル
 持続可能的経済計画における物財バランス基準の適用においては、厳密な数理化が必須であり、これを誤ると計画経済では需給関係の失調、しかもどちらかと言えば、需要を満たす供給が停滞し、物不足が恒常化することになりかねない。そこで、物財バランスの精緻な数理化が必要となる。
 その点、従来から、線形計画法の理論が開発されてきた。これは、主として旧ソ連の計画経済体制の中で、限られた資源の最適配分という観点から研究開発された数学的手法で、特にソ連の数理経済学者レオニート・カントロヴィチが、この分野の先駆者であった。
 線形計画法の理論自体は、市場経済下の個別企業の生産計画や輸送計画などにも応用可能であるため、市場経済の西側でも、オランダ出身の数理経済学者チャリング・クープマンスが、一つの商品を生産するために必要な各生産要素の有限的な組み合わせを求めるアクティビティ分析の手法を開発した。
 カントロヴィチとクープマンスの両氏は、それぞれ東と西で別個に研究された業績により、1975年度ノーベル経済学賞を共同受賞しているが、ここで線形計画法を介して、計画経済理論と市場経済理論とが交差する形となったのは、興味深いことであった。
 これらの先駆的な線形計画法理論は、計画経済・市場経済いずれであれ、環境的な持続可能性という観点がまだ埋め込まれていなかった時代の研究産物であるから、これを持続可能的計画経済に応用するに当たっては、さらなる理論的進化を要するであろう。
 その点、線形計画法とは、簡単に言えば、第一次的な式で記述された制約条件の中で最適な目標値を得るための数学的な手法であるから、持続可能的計画経済においては、第一次的な基準原理となる環境バランスの制約条件内で最適な生産目標値を得るうえで応用できるであろう。
 もっとも、線形計画法は、およそ人間が何らかの計画を厳密に数理化する際の計算式を提供する広義の数理計画法の一つであり、数理計画法には、他にも線形計画法に対立する非線形計画法や、組み合わせ爆発を防ぐために最適化問題を多段階に分け、逐次段階を増やしながら解を求めていく動的計画法といった手法もある。
 おそらく環境バランスという予測困難で、複数通りの予測シナリオが想定される制約条件内での最適解を導出するうえでは、線形計画法を基礎としながらも、動的計画法を適用する必要があるかもしれない。いずれにせよ、こうした数理計画法の適用に当たっては、その物的基盤となるスーパーコンピュータや人工知能の利用が欠かせない。
 その点、旧ソ連の計画経済体制では、コンピュータ化の不備が厳密な計画策定の技術的な障害となっていたことが指摘されているが、思うに、これは旧ソ連型計画経済が貨幣経済と国家主導の上に成り立っており、国家による高度なコンピュータ化への投資力に限界があったがゆえであろう。
 それに対して、持続可能的計画経済は本質的に貨幣経済を前提としないので、貨幣による投資ということが必要なく―そもそも問題にすらならない―、貨幣経済下ならば国家であれ、企業であれ、巨額の投資を必要とする高度コンピュータ化や人工知能の活用も、決して困難なことではない。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第20回)

2024-12-12 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第4章 計画化の基準原理

(5)物財バランス②:地産地消
 物財バランスにおける需給調整がその包括的基準原理とすれば、その分岐的基準原理として、地産地消がある。地産地消とは、地元で生産した物を地元で消費するという原理であり、同じ用語が、資本主義社会でも、主に農産物の生産と消費に関する一つのスローガンとして使用されることがある。
 資本主義社会で提示される地産地消の趣旨には不明確な点も多いが、公約数的には、生産者と生産地が明確な地場産農産物に対する郷土愛的な安心感といった消費者心理的な趣旨と、自由貿易による国際競争圧力にさらされる地方の農業基盤の防衛という農政的な趣旨が漠然と混ざり込んでいるようである。
 しかし、基本的に自由市場を前提とする資本主義体制下での地産地消は、生産者と消費者の任意に委ねられた一つのスローガンにすぎず、国際取引を含む広域遠隔流通を禁じるというような規範的な形で地産地消を施行することが実際にできるわけではない。よって、例えば日本の地方自治体レベルで2000年代から策定されるようになった「地産地消計画」も、経済計画としての計画ではなく、政策目標としての「計画」である。
 これに対して、持続可能的計画経済における地産地消は、地方ごとに策定される規範的な消費計画を規律する原理となるものである。従ってまた、その対象品目も農産物に限らず、衣食住に関わる日常必需的な物品に広く及ぶ。
 それは、総体的な需給調整としての物財バランスに対し、地方的な物財バランスの指標となるものでもあるから、経済計画の立案という観点から見れば、経済計画の地方分権化を結果する。従って、地産地消自体も、地方単位での需給調整の原理を内包しており、ここでも環境バランスに応じた生産容量の計算が厳密に行われる。
 ただし、旧ソ連で非効率な計画経済システムの改革の一環として試行された形式的な地方分権化とは異なり、持続可能的計画経済の本質を確保するための本質的な分権である。実際、地産地消が計画的に施行されることにより、主要な二酸化炭素排出源となる遠距離輸送が制限され、環境的な持続可能性にも資するところは大きい。そうした観点から見るなら、持続可能的計画経済における地産地消は、流通と分配に関する基準原理でもあると言える。
 このように、持続可能的計画経済における地産地消とは、グローバル資本主義に対抗する地場産業防衛の政策的スローガンでも、また計画経済システム改革の技術的な方策でもなく、持続可能的計画経済における本質的要請に由来する本質的な物財バランス基準の一つに位置付けられるものである。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第19回)

2024-12-11 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第4章 計画化の基準原理

(4)物財バランス①:需給調整
 環境的な持続可能性に重点を置く持続可能的計画経済においては、何よりも環境バランスが計画化の優先的基準原理となるのであるが、経済計画は生産と分配、消費の全経済過程を計画的に調整することを意味するから、物財バランスという原理が不可欠である。
 物財バランスとは、経済全体における需要と供給の総体的な事前のバランス調整を意味する。そして、このような事前の需給調整こそ、需給関係を市場におけるランダムな取引の結果に任せるために、需給関係の気まぐれな転変から恐慌局面を含む景気の無規律な循環を結果する市場経済との最大の相違点として、計画経済論において強調されてきたものである。
 その点、持続可能的計画経済においても、需給調整が重要な原理となることは変わらないが、従来の計画経済論とは異なり、持続可能的計画経済論では、まず環境バランスの基準が適用された後に、その枠内で需給調整が適用されるという二段構えになる点が異なっている。
 従ってまた、需給調整が適用されるのは、環境負荷的な産業分野―おおむねエネルギー産業を含む工業的・鉱業的基幹産業分野と重なる―に限局され、旧ソ連型の計画経済において追求されたように、あらゆる産業分野にまで及ぶ拡大的なものとはならない。言い換えれば、非環境負荷的産業分野は需給調整の適用対象外であり、自由生産に委ねられることになる。
 需給調整が適用される場合、予め見込まれる需要予測に応じた生産計画が立案されるのが通例であるが、持続可能的計画計画経済においては、そのプロセスが逆転し、環境バランス基準に基づいて許容される生産量及び生産方法に応じて需要が規整されることになる。
 つまり、「これだけの分量が欲しい」という生(なま)の需要に応じて生産量が決められるのではなく、環境バランス基準によって許容された生産量及び生産方法に応じて需要が決定されるということになる。その限りで、需要は人間の消費欲求とは直結しなくなり、言わば環境的に規範化されることになる。
 その点では、経済開発に重点を置いた旧ソ連型の計画経済において、達成されるべき生産目標(ノルマ)が規範的に決定され、それに応じた需要が刺激されていたこととも異なり、環境的に許容される生産容量が規範的に決定され、それに応じた需要が導出されることになる。
 といっても、需要が機械的に定められるのではない。人間が文化的に充足された生活を営むことのできる限界線は担保されなければ、窮乏を強制することになりかねない。従って、生産容量も、そうした文化的生存限界線を下回ることのないように調整されなければならない。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第18回)

2024-12-10 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第4章 計画化の基準原理

(3)環境バランス②:数理モデル
 持続可能的計画経済において優先的な基準原理となる「環境バランス」における「制御」を数理的に実施するためのモデルの考案が、持続可能的計画経済を機能させるための鍵となることを前回述べたが、こうした数理モデルは、生産・流通・消費活動に伴う環境負荷を算出する方法と土地及び水域に着目した自然生態系に対する環境負荷を算出する方法とに大別できる。
 前者はさらに、生産部門ごとの環境負荷を算出する方法と、生産物の消費過程における環境負荷を算出する方法に分けることができるが、具体的な経済計画の策定において基軸となるのは、生産部門ごとの環境負荷の算出である。
 生産部門ごとと言っても、総合的な経済計画の策定に当たっては、各部門ごとの個別計算ではなく、個別生産部門の相互連関を考慮に入れた総合的な環境負荷計算が必要となる。その点では、産業連関表の利用が不可欠である。
 産業連関表は、ソ連出身の経済学者ワシリー・レオンチェフがマルクスの再生産表式をヒントに、各産業部門ごとの生産・流通過程における投入・産出構造を数量化された行列形式で表した相関図であり、資本主義市場経済おいては経済構造の把握、生産波及効果の計算などに利用されている。
 この産業連関表自体は、むしろ持続可能的計画経済における第二の基準原理である「物財バランス」を確定するうえで活用され得るものであるが、「環境バランス」を確定するうえでも、この表式を土台にしつつ、各部門ごとの環境負荷量を産出することができる。
 その点、日本の国立環境研究所が1990年代から開発してきた「産業連関表による環境負荷単位データ」は、400ほどの産業部門に分けた産業連関表をベースとしながら、各部門の単位生産活動(百万円相当)に伴い発生するエネルギー消費量やCO2などの温室効果ガス排出量等の環境負荷量を算出するというもので、環境バランス計算の基礎となり得る有力なモデルである。 
 一方、生産物の消費過程における環境負荷を算出する方法は、縦割り型の産業連関表ベースでは包括化されてとらえにくい生産物の消費・流通過程における横断的な環境負荷を算出するうえで有益である。
 その具体的な方法はさまざまあり得るが、これも日本の富士通が提案する情報通信技術(ICT)を活用した環境負荷評価例として、①物の消費②人の移動③物の移動④オフィススペース⑤倉庫スペース⑥ICT・ネットワーク機器⑦ネットワークデータ通信の七つの環境影響要因に分けて、それぞれの環境負荷を算出する方法は一つの参考になるだろう。
 以上に対して、土地及び水域に着目した自然生態系に対する環境負荷を算出する方法は、人間が農業を含めた産業活動を継続するうえで不可欠な土地及び水域の利用を計画化するうえで必要とされるものである。
 この点に関しては、「ある特定の地域の経済活動、またはある特定の物質水準の生活を営む人々の消費活動を永続的に支えるために必要とされる生産可能な土地および水域面積の合計」と定義づけられた「エコロジカル・フットプリント(EF)」(生態足跡)が有力な手がかりとなり得る。
 EFは、如上の生産・流通・消費活動に伴う環境負荷を算出する方法と有機的に組み合わせる形で、EFが各土地及び水域ごとの生物学的生産量の限界内に収まるように計画化する際の指標数値となる。
 ちなみに、具体例として掲記した既存の算出モデルは、いずれも資本主義市場経済下での環境分析法として考案されたものであるから、現時点で、それらは資本主義市場経済を前提とした環境収支の分析用具にとどまっており、これらを計画経済に適用するに当たっては、さらなる応用が必要となるが、その詳細は第2部に回す。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第17回)

2024-12-09 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第4章 計画化の基準原理

(2)環境バランス①:「緩和」vs「制御」
 持続可能的経済計画の策定に当たっては、環境バランスが物財バランスに優先する基準原理となる。環境バランスとは、厳密には、地球の自然生態系の均衡的な維持に係る生態学的なバランス(ecological balance)を意味している。
 その意味では、「生態バランス」と明確に規定したほうがふさわしいかもしれないが、必ずしも広く支持されている用語ではないので、ここではより広範に地球環境の健全なバランスという意味で「環境バランス」としておく。
 このような意味での環境バランスの原理として最も初歩的なものは、生態系への負荷を可及的軽減する「緩和」(mitigation)である。これは、経済開発をするに当たり、開発そのものを統制するのではなく、開発により発生する環境負荷を段階的に軽減することを目指すものである。
 その段階として、回避→最小化→矯正→軽減→代償の順を追っていくが、はじめの「回避」はある開発行為をそもそも回避するというゼロ回答であるからほぼ採用されず、二番目の「最小化」も、ある開発行為の程度や規模を最小限に抑制することを意味するから、採用されにくい。
 三番目の「矯正」は、開発行為によって損傷された生態系を修復することが可能な限りでは機能するが、その修復に多額のコストを要する場合には却下され、結局は四番目の「軽減」に落ち着くように仕組まれている。実際のところは、「軽減」でさえも開発の妨げとなるので、逃げ道として用意された五番目の「代償」(金銭的補償を含む)で処理されることも多い。
 このような発想は、「開発と環境の両立」スローガンに象徴されるような資本主義枠内での「環境保護」という緩やかな環境政策には適合的である。実際、この考え方が、沿革的には資本主義総本山のアメリカ合衆国で発祥したという事実にもうなずけるものがある。もっとも、計画経済にあっても、開発に重点を置く開発経済計画のスキームならば採用することのできるものである。
 しかし、生態学的持続可能性の保障に重点を置く持続可能的計画経済の原理としてみると、「緩和」原理はまさしく緩やかすぎて、基準原理としては不十分である。むしろ、「制御」(controlling)という考え方を導入する必要がある。
 「制御」とは、「緩和」にとどまらず、より積極的に生態系の均衡維持のために生産活動を量的にも質的にもコントロールする基準原理である。先の「緩和」原理の五段階に照らすなら、回避→最小化→矯正の三段階を計画的に実施する一方、軽減や代償という中和化された段階は排除されることになる。
 このような「制御」原理は一つの大枠であって、これを計画経済に適用するためには、生産活動による環境負荷を客観的に計量するための収支計算を可能とする精密な数理モデルを考案し、適用する必要がある。これが次なる課題である。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第16回)

2024-12-08 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理


第4章 計画化の基準原理

(1)総説  
 本章では、持続可能的計画経済に基づく具体的な計画化を実施するに当たっての基準となる諸原理について、見ていくことにする。この計画化の基準原理とは、個々の経済計画を策定するうえで適用される経済技術の基礎となるべきものである。
 その点、前章(5)で取り上げた三つの計画経済モデルに再度立ち返ってみると、最初の均衡計画経済モデルにあっては、需要と供給の均衡ということが計画化における最大の基準原理となる。ある意味では、計画経済論の出発点である。
 資本主義市場経済では、需要と供給の関係は市場におけるランダムで気まぐれな当事者間の取引に委ねられるから、恒常的に不安定である一方、意図的な価格操作のような策略によって市場が操縦される危険も常につきまとう。そのため、経済運営は本質的に不安定で、需給バランスの崩れから恐慌や不況のような事象は避けられない。
 そうした欠陥にかんがみ、計画経済では、需給関係を適切に調節するべく、事前の計画化がなされる。ここで基準原理となるのは、「物財バランス」という概念である。物財バランスとは、各計画年次において、生産目標として設定される生産量(価値量)とそれに必要な投入量とを均衡させることをいい、まさに計画経済における需給調節の中核となる概念である。
 このようなバランス調整原理は、実際のところ、資本主義経済における個別企業の生産計画においても適用されているものであるが、計画経済にあっては、経済計画が施行される領域全体において適用する点に違いがあると言える。
 ちなみに、第二の開発計画経済モデルにおいては、物財バランス原理を基層原理としながら、毎次経済計画を通じた経済発展の度合を計る「発展テンポ」が付加的な基準原理として設定されていた。これは、低開発状態から出発し、資本主義に追いつき追い越すことを至上命題とした旧ソ連型の計画経済モデルに特有の基準原理であるが、いつしか物財バランスよりも、拡大再生産が優先原理と化していった。
 これに対して、ここでの主題である持続可能性計画経済が前提とする第三の環境計画経済モデルにあっては、「環境バランス」が付加される。これは、地球環境の負荷許容量に応じて、物財バランスを調節する原理であり、まさに生態学的な持続可能性を保証する中核原理となるものである。
 その意味では、この原理は単なる「付加」原理にとどまらず、上述の物財バランスに優先されるべき根本原理と言っても過言ではない。反面、環境バランスを押しやりかねない発展テンポのような原理は、環境計画経済モデルにあっては、もはや適用されない。
 ところで、物財バランスにせよ、環境バランスにせよ、それらの原理の厳密な適用に当たっては、数理モデルの構築が不可欠である。中でも、線形計画法の応用である。その点、今日におけるスーパーコンピュータ、さらに人工知能の発達は、そうした計画化数理モデルの構築にとっては追い風となる状況と言えるだろう。
 一方、需給調節に関わる物財バランスの適用に当たっては、人間不在の机上計画に陥る可能性もある数理モデルのみならず、具体的な生身の人間の経済的な意思決定のあり方を合理的に予測するための行動科学原理の導入も必定である。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第15回)

2024-12-06 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第1章 環境と経済の関係性

(7)非貨幣経済の経済理論  
 伝統的な経済理論は、市場理論であろうと、計画理論であろうと、みな貨幣経済を前提として構想されてきた。これは、貨幣という交換手段の発明以来、人間の経済活動が貨幣を軸に展開されるようになってきたことからして、必然的なことであった。  
 一方で、非貨幣経済は、貨幣経済が普及していない「未開」の民族の慣習を研究する人類学(経済人類学)の課題とされてきた。そうした古来の慣習は興味深いものではあっても、「文明」社会に持ち込めるものではない。  
 その結果、歴史上旧ソ連で本格的に開始された計画経済においても、貨幣経済を維持することを前提とする経済計画が追求された。そこでは、物やサービスを貨幣と交換するという商品形態が少なくとも消費財に関しては維持され、経済計画の主体となる国家がその財源を重点分野に投資するという貨幣による財政運営も従来どおりであった。
 そうした点では資本主義と大差ないが、異なっていたのは自由市場を公式には認めず―闇市場は違法ながら、潜在していた―、あらゆる物資を経済計画に従い、公定価格でコントロールしようとしたことである。
 しかし、貨幣という手段は元来、自由な物々交換取引の中から交換を簡便・敏速・大量的に反復・継続するために「発明」されたものであるから、本質的に自由市場を前提とする交換媒体である。それを計画経済にも当てはめようとすることには、ほぼ「物理的な」と形容してよい無理があった。  
 また、過去幾多の革命が目指した財産の均等(均産)という究極命題も、貨幣経済を維持する限り、夢想に終わるだろう。常に自己に有利な取引を成立させ、利益を得ようと奮戦する経済主体の競争場である自由市場から生まれた貨幣を社会の全成員に均等に分配するということは、不可能事だからである。  
 実のところ、計画経済とは本来、貨幣交換を前提としない経済システムである。貨幣交換に基づく市場を持たないからこそ、生産・流通を規整する全体計画を必要とするのだと言ってもよい。その意味で、計画経済の理論は必然的に非貨幣経済の経済理論となる。  
 とりわけ、経済を環境内部化することを目指す「生態学上持続可能的計画経済(持続可能的計画経済)」は、貨幣経済には馴染まないだろう。というのも、そこでの計画の大枠を規定する環境規準はその性質上、貨幣価値に換算することができないからである。  
 そうすると、ここからは従来の経済理論にとってほとんど未知の領域となる。しかし、真の計画経済理論を確立するためには、従来の経済理論の前提を大転換し、非貨幣経済の経済理論を構築し直さなければならない。  
 そこでは、例えば、生産総量を貨幣価値に換算して計測するGDP(国内総生産)や、GDPの上昇率を指標とする「経済成長」のような概念は廃棄される。それに代わって、生産総量は現実の生産物量をもって計測され、「経済成長」ではなく、現実の生活者の視点に立った「生活の質」が重視されるだろう。
 もっとも、生産物量の上昇率をもって「経済成長」の新たな指標とすることは理論上可能だが、厳正な環境規準に導かれる計画経済において、その絶え間ない上昇を是とする「経済成長」は経済が環境を突き破る恐れのある危険な概念となる。
 それに代わり、現実の生活者の栄養状態や健康状態、平均寿命や子どもの死亡率、居住環境、労働・余暇時間などの諸指標により総合評価された「生活の質」の向上がドメスティックな経済状態の重要な判断基準とされるのである。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第14回)

2024-12-05 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第3章 環境と経済の関係性

(6)環境と経済の弁証法  
 環境と経済の対立矛盾関係を解消しようとする場合の視点として、伝統的な環境経済理論は「環境と経済の両立」という予定調和論を掲げてきた。このような標語はわかりやすく、無難でもあるので、大いに膾炙しているが、その実は空理である。  
 それが空理となるのは、そもそも自然環境に働きかけ、時にそれを破壊してでも推進される産業革命以来の近代的な経済活動は、自然環境と常に対立緊張関係に立たざるを得ないからである。  
 環境と経済の対立という問題に関して、古典派経済学の枠組みでは、環境を経済の外部条件とみなし、環境破壊を外部不経済事象としてとらえてきた。そのうえで、排出権取引や環境税(炭素税)といった政策技術により外部不経済を内部化して経済と環境の対立関係を緩和しようとする。
 このような方向性は、外部不経済を過小評価して経済活動の優位性をあくまでも護持しようとする経済至上的な理論に比べれば、経済と環境の対立関係を弁証法的に止揚しようとする良心的な試みと言える。しかし、自然法則に支配される環境という外部条件を完全に内部経済化することは不可能であり、それは常に不完全な内部化にとどまらざるを得ず、弁証法としても部分的なものにとどまる。  
 そもそも経済と環境を内部/外部という関係性で切り分ける前提を転換して、人間の経済活動も環境という大条件の内部において実行される営為の一つにすぎないと想定してみよう。ただ、そう想定したところで、環境と経済の対立関係が自動的に解消されるわけではない。  
 人間の欲望に動機付けられた経済活動は、容易に環境条件を突き破って外出してしまう。産業革命以来の環境破壊は、そうした「経済の環境外部化現象」と解釈することができるであろう。そのような状況を打開するためには、経済を環境の内部にとどめておく必要がある。  
 その点、産業革命以前の経済活動は、生産技術がいまだ人力に依存した非効率で未発達なものであったため、必然的に経済活動は環境条件の内部にとどまっていられたが、産業革命以降は拡大的な技術発展のおかげで生産力の飛躍的な増大が継起したことにより、経済は環境を超え出るようになった。  
 そうした経済の環境外部化を解消する方法として、生産技術を産業革命以前の発達段階に揺り戻すという逆行が可能でも適切でもないとすれば、環境計画経済の導入によるしかないであろう。環境計画経済、わけても「生態学上持続可能的計画経済(持続可能的計画経済)」は、経済活動を量的にも質的にも環境規準の枠内にとどめるための技法という性格を持つ。  
 そこにおける環境と経済とは完全な弁証法的関係に立つが、その完全性を担保するものが厳正な環境規準に導かれた経済計画である。逆に言えば、経済計画を介して環境と経済の対立関係は完全に止揚され、解消されることになるのである。

 

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