ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

年頭雑感2004

2004-01-01 | 年頭雑感

昨年は朝鮮の核拡散防止条約NPT脱退宣言というきな臭い出来事で開始された。1994年には朝鮮半島危機としてアメリカによる武力行使瀬戸際の国際問題化したが、今般は危機に至らなかったのは、どういうわけであろうか。

おそらくは、アメリカがイラク問題に注力していて、朝鮮にかまっている余裕がなかったせいであろう。実際、アメリカは例によって有志軍を引き連れてイラクに侵攻、戦争を開始した。

開戦はイラクが大量破壊兵器を保有しているという情報に基づいているが、この情報の信憑性は疑問視され、西側でもフランスやドイツが反対する中で押し切ったのは、初めからイラクのサダム・フセイン政権を転覆する狙いに違いない。

サダムと言えば、隣国クウェートへの侵攻を契機に、ブッシュ米大統領の父が大統領時代に発動した湾岸戦争で敗北しても懲りず、焼け太り的に独裁を強化して政権に居座ってきたのだから、息子ブッシュにとっては仇に近い関係である。

現在でなく、将来核兵器を保有するかもしれないという懸念もあり、予防的に排除したかったのだろう。むしろイラクが核兵器をまだ保有していないことを知っていたからこそ、〝安心〟して侵攻できたのではないか、と勘繰りたくもなる。

イラク戦争をめぐっては、米国の極東総代理店・日本の小泉政権も早速支持表明し、自衛隊のイラク派遣を強行、かつ便乗的に憲法違反の疑いも持たれる有事法制(戦時法制)を制定した。自衛隊の海外派遣と戦時法制という保守勢力の宿願が一挙に達成された形である。

国内政治では、11月の総選挙で野党第一党の民主党が177議席を獲得、旧社会党の最大獲得議席を上回る記録で、いよいよ二大政党政治の幕開けという論評も見られる。しかし、自由民主党と民主党の相違は党名上も不明瞭である。

社会党ではなく、「自由」の枕詞もないただの民主党とは何なのか?自民党とは別筋の第二保守政党ではないか?保守二大政党で政権のたらい回しをするだけなら、戦前の政友会と民政党の二大政党の焼き直しではないか?等々、疑問は尽きない。

ちなみに、個人的には昨年は遅いインターネット・デビュー年となった。デジタル社会へのささやかな参入である。名もない草の根に何ができるか未知であるが、インターネットはマスメディアでは得られない情報の埋蔵地帯に見える。

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年頭雑感2003

2003-01-01 | 年頭雑感

昨年の漢字は「帰」。これは明らかに(北)朝鮮からの拉致被害者の帰国にちなんだ選字である。たしかに劇的で、2002年の日本を象徴する出来事であった。しかし、それはまさに小泉劇場政治の産物でもある。

実際、内閣総理大臣が国交のない敵対国―身の安全の保証も絶対とは言えない―を公式に訪問してトップ会談で話をつけるということ自体、異例中の異例であるが、そのうえに拉致被害者を引き連れて帰ってくる―実際の帰国は翌月だったが―というのは、劇的展開であった。このような手法は、小泉首相の真骨頂なのだろう。

手法だけではない。2000年の本欄で、自民党は自民党‐公明党連立という新たなレジームで新自由主義路線に舵を切ろうとしているかに見えると書いたが、2001年に発足した小泉政権こそは、まさにその本格的な始まりだった。

そのためには、党内非主流派から「変人」をトップに就ける必要があったのだろう。これも、派閥ボスが首相の座をたらい回しにする従来のやり方を変える新機軸のようである。もっとも、発足時に史上最高の80パーセント超えを記録した小泉内閣もすぐに下降線となり、昨年前半には50パーセントを大きく割り込んでいた。

弱者淘汰的な新自由主義イデオロギーと官邸主導の独断的な政治手法は、国民に失望や不信をもたらしているのだろう。そこで、新たな打開策として、疑惑は持たれながら長く放置されてきた拉致事件の解決に目を付けたのだろう。実際、電撃訪朝後、昨年後半期に支持率は一時的に再上昇した。

拉致事件が劇場政治の道具として使われている。そのため、この事件の真の全容解明と最終解決が早期にもたらされるのか、危うさを感じる。実際、一部の被害者の帰国をもって幕引きとしたいであろう朝鮮の策にはまったのでないかとの疑念がある。一時帰国の約束に反したことを理由に―そもそも拉致被害者をいったん加害国に返すという約束自体常軌でないが――、以後の交渉を渋る先方の態度は、そうした疑念を裏付ける。

一方、世界に目を向ければ、昨年は欧州連合が統一通貨ユーロの流通を開始した新年度となった。欧州連合は統一的な主権国家ではないが、通貨統合を果たした欧州連合は機能的には統一国家のような土台が整うことになる。

しかし、枢要な加盟国であるイギリスが通貨統合を拒否しており、真の統合にはまだ不足である。10年後、欧州連合がどこまで成長しているか、あるいは停滞しているか、なお不透明である。

ちなみに、昨年は50以上の加盟国から成る大所帯のアフリカ連合も発足しており、世界は統合の方向に向かっているようである。こうした地域連合の成功は平和にも資するはずであり、小さくない希望の芽である。

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年頭雑感2002

2002-01-01 | 年頭雑感

21世紀初年度という記念すべき昨年の漢字は、何と「戦」であった。これは、間違いなく、9月のアメリカ同時多発テロとそれに続くアメリカ有志連合軍による対アフガニスタン戦争を暗示するものである。

それにしても、何という始まり方をした世紀であろうか。20世紀は圧倒的に戦争の世紀であったが、21世紀はテロの世紀となるのであろうか。そうならず、初年度だけの異例に終わることを願うが、非常に暗い始まり方をした世紀となったことは間違いない。

ただ、予兆はすでに90年代にあり、1993年には昨年と同じニューヨークの世界貿易センタービルがイスラム過激派によって爆破される事件があった。二度の貿易センタービルへの攻撃は、ソ連崩壊後、「唯一の超大国」と豪語してきたアメリカ主導の世界秩序への強い拒絶反応である。

テロリストを褒めるつもりは全然ないが、彼らが世界貿易センタービルと国防総省庁舎を標的としたのは、この二つがアメリカ主導の世界経済と世界政治(軍事)を象徴する建造物であるからにほかならず、彼らはそうした象徴暴力の振るい方を心得ている。

しかし、そうした暴力手法によってアメリカ主導の世界秩序を変革することはできず、かえって「対テロ戦争」のような標語により、アメリカの主導性を強化するだけである。ソ連崩壊後、ライバルを失い、いささか退屈して新たな好敵手を探していたアメリカの前にイスラーム過激派とその支援国家という新たなライバルが現れたのである。

東西冷戦から東西文明の衝突へ。しかし、このような標語は認めたくない。テロも対テロ戦争も反文明的な蒙昧である。表向きとはいえイデオロギー対立という思想性を有していた冷戦のほうが、まだしも「文明」の香りがしていたではないか。

アメリカ本土が戦争レベルで損傷されるという“成果”を出した以上、破壊行動はこれにて打ち止めにしてもらいものである。今こそ、文明的な非暴力・非武装の抵抗が求められている。ビン‐ラディンよりガンジーを。

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年頭雑感2001

2001-01-01 | 年頭雑感

昨年の漢字は、「金」。これはどうやらシドニー五輪での金メダルにちなむ選字らしいが、日本の金メダル獲得はお家芸の柔道と女子マラソンでの計5個止まりで、昨年を象徴する漢字としては、いささか物足りなく思える。

昨年は1901年に始まった20世紀の末年であったから、「末」がふさわしかったようにも思うが、「末」は一昨年1999年の漢字であった。これは、1999年が90年代末年度であるのに対して、2000年という年度は、千年紀で見れば、新千年紀の初年度でもあるということから、なかなか「末」と認識しにくいことにもよるのかもしれない。

いずれにせよ、歴史的な長期単位として最も人口にも膾炙している世紀で見る限り、昨年はその最終の年度であったから、20世紀全体を振り返るに最適の年度であった。20世紀とは何であったか━。その答えは千差万別で、まともに論ずれば、とても「雑感」では済まない大論議となるが、最大公約数的には「戦争と革命の世紀」でよいのではないか。

20世紀は、二つの世界大戦に加え、大小様々な革命が集中した異例の世紀であった。ことに戦争に関しては、二つの大戦やその攻守所を変えての冷戦も続き、その過程で多くの血が流された。おそらく、それまでのどの世紀よりも、戦争や革命、さらにはホロコーストに代表されるような反人道犯罪によっても多くの犠牲者を出したであろう、異常の世紀でもあった。

革命ということに関しては、経済社会的な面でも、20世紀には科学技術がまさに革命的に進歩し、生活様式という面も含め、19世紀までの世界を激変させたことは間違いない。20世紀は、そうした全般的な社会革命の世紀でもあった。

そうした大変動の20世紀が終幕し、本年からはいよいよ21世紀である。今世紀がどんな世紀となるのかは、まだわからない。しかし、ソ連邦解体以降、20世紀最後の10年を通じて、資本主義のグローバル化が急激に進んだ。資本主義以外に道なしと言わんばかりである。

そのグローバル資本主義の総本山であるアメリカで、一昨年のシアトルに続き、昨年4月、首都ワシントンD.Cでも反グローバル化の大規模デモが発生したことは、印象的であった。これは、資本主義総本山での市民の反乱である。アメリカ支配層もさぞ驚愕しただろう。

しかし、11月のアメリカ大統領選挙は、訴訟沙汰になるほどの大接戦の末、共和党のジョージ・W・ブッシュが当選した。彼は、90年代を率いたクリントン民主党政権が推進してきたグローバル資本主義の道を一層強力に推進する陣営の代表者である。

「反乱」は革命に転化せず、アメリカ支配層をかえって結束させたようである。結果、21世紀初頭の少なくとも2004年まではグローバル資本主義が続くだろう。衛星国・日本でも早速それ即応した動きが出るかもしれない。

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年頭雑感2000

2000-01-01 | 年頭雑感

昨年は90年代最終年であるとともに、西暦1001年に始まる紀元後の第2千年紀の最終年でもあった。その意味では、過去千年間を振り返るべき年だったが、雑感でのそのような遠大な回顧は本来、不可能である。

とはいえ、あえて遠大に過去千年間を回顧してみると、第2千年紀の始まりである西暦1001年は、日本では平安時代、アメリカの建国はなお遠い未来で、アメリカ大陸はアジア系先住民の割拠する地、欧州はまだ分裂状態で、南欧はイスラーム勢力に支配されている状態であった。

そこから見れば、第2千年紀最後の昨年の時点での世界地図は、激変している。その激変は良いこと尽くめではなかったかもしれない。例えば、アメリカでは先住民が片隅に追いやられ、最貧困層を成している現状は、悲しむべき激変である。

しかし、新たなる第3千年紀の初年に当たって、西暦1001年の世界に再び戻りたいとは思わない。全体として、第2千年紀は、その前の第1千年紀よりも良い方向に進歩したとみなしたいところである。

雑感にしては遠大になりすぎたが、もう少し視野を狭めて90年代末という視座で見ると、1999年は20世紀もあと残すところ今年一年足らずという世紀末に当たった。日本にとっての90年代はバブル崩壊以後、失われた年月、第二の敗戦など悲観的にとらえられることが多く、それはまだ続いている。

このまま沈みゆく国となるのか、それとも再生の道はあるのか、新千年紀の初年となる今年はそうした見極めの年となるだろう。その点、支配層にとっては、昨年成立した自民党‐公明党連立という新たなレジームが再生の切り札であるようだ。

55年体制が崩壊した90年代の総決算として現れた政治現象と言えるが、94年の自民党‐社会党連立に続き、自民党は長年の旧野党を次々と取り込み、言わばその生き血を吸うことで、弱化した権力を再生しようとの戦略と見える。

経済的には、この枠組みでいわゆる新自由主義の方向へ舵を切ろうとしているように見えるが、これはソ連邦解体以来の資本主義市場絶対のグローバル化路線に呼応することで、従来の三分の一だけ社会主義のような体制を変えようというのだろう。

私見では、その路線である程度の経済再生に成功したと見えても、いずれはどこかの時点で、どのような形でか破綻すると思うが、それは、これから始まる2000年代の見ものである。

ちなみに、資本主義市場のグローバル化に対しては、昨年、資本主義総本山アメリカのシアトルで発生したWTO抗議デモのような反作用が2000年代初頭にどう展開するのかにも、注目していきたい。

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年頭雑感1996

1996-01-01 | 年頭雑感

昨年は、国内的には人心を動揺させる二つの事象が早い時期に相次いだ。一つは年初の阪神・淡路大震災であり、もう一つは3月の東京地下鉄サリン事件である。震災は日本の歴史上付きもののようなものだが、数千人が犠牲となる大震災となると、戦後初期の1948年福井地震以来というから、多くの人が忘れているか経験していない頃のことである。

震災は未然に防ぐことができない事象であるが、犯罪事件は別である。地下鉄サリン事件は、オウム真理教なる宗教団体の組織的なテロであったことが判明しているが、やはりオウムの犯行と判明した昨年6月の松本でのサリン事件が先に解明されていれば防げた可能性もあった犯罪事件である。

筆者自身も地下鉄サリン事件の発生当日少し遅れて事件のあった地下鉄を利用しており、時間がずれていなければ被害に遭った可能性もある身近な凶行であっただけに、日本の「安全神話」の崩壊を身をもって感じることになった。

元来、1970年代頃までは日本国内でもテロ事件はしばしばあり、安全はまさに神話なのであるが、80年代以降はバブル景気の中で治安も安定していただけに、こうした宗教テロ、しかも多くの高学歴者が入信・関与していたことは日本社会の新たな変化を暗示しているかもしれない。犯罪は社会の病理現象であるとすれば、バブル崩壊以降の不況の中、日本社会は病んでいるのだろうか。

今後の裁判で詳細が解明されることが期待されるが、罪責を決する裁判では限界のある社会的背景事情や犯罪心理の分析も、裁判とは別途公式に調査される必要があるように思われる。現在の自社連立のスフィンクス政権では心もとないが、関係者の厳罰=死刑に終始させてはなるまい。年来議論のある死刑制度に関しても、大きな一石を投げかける事件である。

テロと言えば、アメリカでも4月にオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件が発生し、168人が死亡した。こちらは湾岸戦争にも従軍した元米軍兵士の主犯ら3人のグループ犯行とされたが、地下鉄サリン事件の翌月という時期から見て、影響されたのかどうか気になるところである。

血なまぐさい事象の多かった前半に対して、後半では8月にアメリカとベトナムが国交正常化したことは、冷戦時代の象徴であったベトナム戦争の戦後処理がようやく完結したことを意味し、冷戦終結を象徴する新たな出来事として歓迎すべきことであろう。

他方、9月には沖縄駐留米軍兵士3人による県民小学生女児への集団レイプ事件に抗議して、8万人以上が参加したという県民総決起大会が開催される事態になった。こちらは冷戦終結後も駐留を続ける米軍の存在という終わらない冷戦の象徴とも言える。

冷戦終結後、恒久平和へと向かう(べき)新世界秩序の中で、駐留米軍の漸次撤退が実現するのかどうか注目される。その点でも、安保構想に差のある自社のスフィンクス政権は心もとなさが否めないが、ソ連の脅威が去った今、駐留米軍の存在理由は何かを問うべき好機である。

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年頭雑感1995

1994-01-01 | 年頭雑感

昨年1994年は内外ともに大事変はなく、比較的地味な年度ながら、世界でも日本でも、冷戦の後始末と言えるような印象的な出来事がいくつか見られた。

中でも冷戦期の西側による旧ソ連を中心とする対共産圏への輸出統制を担っていた多国間輸出統制調整委員会(COCOM)の解散は、東西冷戦の終結を印象付けた。

これとセットになるのは、自由貿易の国際指令部となる世界貿易機関(WTO)の創設を定めたマラケシュ合意である。これにより、旧共産圏を包摂する自由貿易体制が本年以降動き出すことになる。

また、ロシア軍の旧東ドイツやバルト諸国からの撤退は、旧ソ連の覇権が終了したことを印象付ける出来事であった。ロシアと中国が互いを核兵器の照準から除外することに合意したのも、冷戦時代の東側の分裂要因であった旧ソ連と中国の対立関係の終了を画した。

アフリカでは冷戦時代、白人至上の人種差別政策を半世紀近く維持し、ボイコットで国際的に孤立しながらも西側反共陣営の一角を占めていた南アフリカで全人種参加選挙が実施され、反アパルトヘイト運動の象徴で、1990年に27年間の投獄から解放されたネルソン・マンデラが同国初の黒人大統領に就任したことも、特筆される。

他方、旧ソ連の援助を失った朝鮮は自立的な防衛策として核開発に走り、朝鮮半島危機が生じたことは冷戦終結のマイナス事象であったが、危機の中、建国以来の最高指導者であった金日成主席が急死したことで、朝鮮も新たな時代に入った。

さて、我が足元では、一昨年に成立した非自民党による連立政権が早くも崩壊し、各々55年体制下の与野党第一党として長年の宿敵関係だったはずの自民党と社会党が社会党の村山富市委員長を首相に立てて連立するという奇策で、自民党が政権復帰した。

議席数では自民党が圧倒的に多いので、頭は社会党、胴体は自民党というスフィンクスのような異例の政権である。政治門外漢にとってはこりゃ一体何なのかという怪物的政権であるが、考えてみると、これも冷戦が終結し、旧ソ連に支持されていた社会党の存在意義が薄れ、自社の区別も相対化したのだと思えば、これも冷戦終結の後始末なのかもしれない。

しかし、総選挙によらないこのような唐突な連立は民意に沿っているとはいえず、特に社会党に投票した有権者にとっては裏切りに等しい。政治不信を高める自社両党の権力的術策ではないか。その代償は自民党より社会党にとって高くつくだろう。

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年頭雑感1994

1994-01-01 | 年頭雑感

昨年1993年における最大の画期的出来事は、日本の政権交代であった。いわゆる55年体制が初めて崩れ、この間一貫して与党だった自由民主党が初めて下野した。大袈裟に言えば「革命」に近いことである。

実際、筆者が生まれてから今日まで一貫して自民党政権であり、それ以外の政権のもとで暮らしたことがなかった。自民党に恨みはないが、このような惰性的長期政権はやはり民主的とは言えなかったのではないだろうか。

とはいえ、よく見れば、自民党は過半数を割りながらも比較第一党ではあり、新たな細川政権は長年の野党第一党社会党を含めた八党派連立という寄り合い所帯である。自民党が過半数を割ったのも、敗北したというよりは、自民党が選挙制度改革をめぐり分裂したからであった。また細川新首相も元来は自民党出自である。

自民党優位の構造は変わっていないから、これですべて変わるとは思えず、いずれ自民党の復帰もあり得るかもしれない。特に、社会党が惨敗しながら連立入りし、55体制以前以来の与党となったという奇異な状況はどう理解すべきかわからない。

一方、海外ではカンボジアの選挙監視に当たっていた日本人ボランティアや初のPKOに参加していた文民警察官の殉職という悲劇もあった。激論の末、PKOに初参加した自衛隊が直接巻き込まれたわけではないとはいえ、紛争地帯での「国際貢献」の難しさを示す事件である。

紛争と言えば、奇しくも日本の細川政権誕生と同じ8月、中東最大の火種であったイスラエルとパレスチナの歴史的な和平と自治政府の創設が合意されたことも画期的であった。これも冷戦終結後の和解的な雰囲気の醸成が後押ししたものなのであろう。

11月の欧州連合発足も合わせ、1993年は内外で時代の大きな転換を予感させるような年度であったように思う。ちなみに、筆者の年齢的にも一つの節目となる歳であり、人生における転機に達したようである。

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年頭雑感1993

1993-01-01 | 年頭雑感

昨年1992年は、ソヴィエト連邦解体という世界史的出来事の一年後、言わばポスト・ソヴィエト時代の第一年であった。それにふさわしい出来事もいくつか見られた。

まずは2月の欧州連合条約の調印。これは、旧欧州共同体がさらに政治的経済的な統合を強め、合衆国までは行かないが、単なる同盟を超えた連合体として再編されることを目指したものである。冷戦時代には、西側盟主の米国に追随する存在だった欧州諸国による言わば集団的自立の枠組みとも言えよう。

他方、アメリカでも11月の大統領選挙で民主党のビル・クリントン候補が当選し、12年ぶりに民主党が政権を奪回することは、冷戦の終結を期する出来事と言える。ソヴィエトとの対峙を演出してきた共和党の時代は、敵の自滅によってひとまず幕を下ろした格好である。

クリントンは南部の小州・アーカンソーの知事を若くして務めた人物で、ケネディ以来の40歳台での大統領となる見込みという。ケネディの再来のようなある種旋風の勢いで、60歳台のベテラン、ブッシュ現職を破った。その手腕とポスト・ソヴィエト時代のアメリカの方向性は未知である。

もう一つの注目出来事は、6月の「環境と開発に関する国際連合会議」とその成果である「環境と開発に関するリオ宣言」。ここで、冷戦時代は主要テーマではなかった気候変動(温暖化)や生物多様性をめぐる国際条約が合意され、生態学的に持続可能な開発(発展)の概念が提示された。

冷戦時代の東西諸国はイデオロギー的に分断されていたが、環境を考慮しない経済開発・発展に邁進してきた限りでは共通の富国優先の価値観をもって環境破壊競争を繰り広げてきた。そうした負の競争関係に切り込むのがリオ宣言である。環境保全は、ポスト・ソヴィエト時代の新たな共通価値となるべきはずであろう。

膝元の日本では、賛否激論の末、6月に成立したPKO協力法もポスト・ソヴィエト時代ならではの画期的新法である。従来は、憲法9条の下、タブーとされていた自衛隊の海外派遣が解禁されたからである。これは、内戦終結後のカンボジアで展開される国連の平和維持活動に参加することを可能にするため、取り急ぎ可決された新法であった。

政府与党は冷戦終結後最初の世界戦争となった湾岸戦争で武力貢献ができなかったことを国辱のようにとらえ、国連の平和維持活動に限定する形での新法を大急ぎで制定したのだが、そもそも海外で武力貢献できないことは国辱だろうか。

自衛目的の武装部隊たる自衛隊をなぜ自衛と無縁な海外での平和維持活動に流用できるのか、素朴だが本質的な疑問は解決されていない。平和維持活動への参加自体の是非論もあるが、参加するなら別組織を正式に創設することが筋であろう。

最後に、10月、ローマ教皇が地動説のガリレオ・ガリレイを異端と認定、処罰した裁判の誤りを認めたことも歴史的出来事かもしれない。しかし、あまりに遅すぎである。

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年頭雑感1992

1992-01-01 | 年頭雑感

昨年は、20世紀における歴史の大転換点となった。何と言っても、70年以上続いてきたソビエト連邦があっさりと解体されてしまったからである。

この結末を読めた識者はいるのだろうか。ソ連体制がいずれは崩壊するという希望半分の予測なら西側では従来からおなじみのものだが、昨年という時期に崩壊するとは読み切れなかったのではないか。

ただ、ソ連はもちろん自然現象として崩壊したわけではなく、人為的に解体されたのであるから、ある種の革命が起きたわけである。結局、ロシア革命の所産であったソ連体制が74年後、今度はソビエト革命によって倒れたということになる。

レーニンやスターリンをはじめ、ロシア革命の功労者たちは地下でどう見ているだろうか。また従来、ソ連体制を賛美してきた世界のマルクス主義者たちの反応は? 突如、信じていたものがひっくり返った感覚だろうか。

筆者にとって、ソ連と言えば、学校の社会科で習ったコルホーズとソフホーズというソ連の農業制度がなぜか一番印象に残っている。逆に言えば、その程度の印象しかないということでもあり、教師の説明も覚えていないのだが、なんとなしに進んだ制度であるようなイメージは持っていた。

実際のところ、こうしたいわゆる農業集団化政策は成功していなかったらしいのだが、その要因その他の詳細を理解できるほどの知識が、今のところ筆者にはない。

いずれにせよ、ソ連の解体により世界は大きく変わるだろうということだけは、無知なる筆者でもわかる。どう変わるのかはわからない。アメリカ御推奨の資本主義と自由主義が世界の唯一の信仰体系になるのだろうか。アメリカはそう望むだろうが、望み通りになるだろうか。

個人的には、昨年も一言したように、そうした流れにはあえて乗らず、今年も模索を続けるつもりである。到着点はまだ何も見えてこないけれども。

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年頭雑感1991

1991-01-01 | 年頭雑感

昨年は、20世紀最後の90年代の最初の年であった。まさに世紀末の始まりである。世紀末には変事の多い印象が強いが、今度の世紀末にはどんな出来事が待ち受けているのだろうか。

一昨年に始まる東欧の激動は昨年も継続し、年越しとなるようである。その行方はいまだ見定められないが、共産主義体制というものが壊れゆくことは間違いないようだ。このまま進めば、共産主義総本山・ソ連のゴルバチョフ改革にも少なからぬ影響が及ぶだろう。

ソ連が脱共産主義宣言―。もし、今年そんなことがあれば世界は激変するだろう。何しろ、戦後世界はここまで、資本主義と共産主義のそれぞれ超大国・米ソの手のひらで踊りを踊ってきたようなものだからだ。

日本の自由民主党と日本社会党の対抗関係も、そうした国際関係上の対立関係の移し替えである。その点、昨年の総選挙で社会党が躍進したことは(地方でも沖縄県で社会党系の革新県政が誕生した)、世界の状況と一見逆向きのようで、興味深い。

日本社会党は労組に支持基盤を置きつつ、元来、議会制を通じた社会主義への道を主唱してきたが、労組出身でなく、かつ初の女性党首である土井委員長の下で護憲平和路線に主張を薄めて党勢を回復したと言える。社会主義を棚上げしつつ、女性が進出する新路線が90年代にどう展開するのかは、注目点である。

総じて、90年代は皆が資本主義に流れる時代になるかもしれないが、自分自身としては、あえて流れに逆らってみたいとも思う。強い主義を持ち合わせているわけではないが、資本主義の道を邁進し、軍国戦士に代わって企業戦士が闊歩する現代日本にも本能的な違和感を覚える。

流れに逆らうことは勇気と犠牲を伴うだろうが、流れに乗ることでは得られない何かがあるかもしれない。自分にとっての90年代はそうした模索の時代となるという予感のする年頭である。

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年頭雑感1990

1990-01-01 | 年頭雑感

昨年は戦後史上の激動の年だった。何と言っても、東欧での民主化革命が進行する中、11月に冷戦を象徴するベルリンの壁が撤去され、年末の締めくくりに、米ソ両首脳によって冷戦の終結が正式に宣言されたことは、1945年の第二次世界大戦の終結に匹敵する時代の画期点であった。

奇しくも、日本でも昭和天皇の死去により、最長の元号・昭和の時代が終幕した。大戦とその後の冷戦の時代を通して臨在してきた長命の天皇の死は、戦後日本の時代的な転換点を示すものである。

ついでに言えば、冷戦晩期の1979年のイラン革命を指導したイランの最高指導者ホメイニ氏も、昨年死去した。革命後、新たなイスラーム反米主義の砦を築き、冷戦に風穴を開けたホメイニ師の死去も、冷戦終結と軌を一にしたのは興味深い。

他方、中国では東欧の民主改革に呼応する学生らの運動の高揚に対して、軍が出動してこれを武力鎮圧する強硬措置が取られた。冷戦時代、第三極を形成してきた中国も長命の指導者・鄧小平氏が率いるが、彼は改革開放を掲げつつ、政治的には共産党支配体制を護持する姿勢を示したと言える。

今年以降はポスト冷戦時代という新時代を迎えることになるが、これからどんな世界になるのか。予断は許さないし、それを明確に構想できるほどには知的に成熟してもいない。

ただ、戦争を知らず、生まれた時は冷戦時代真っ只中だった一世代の民草としては、流血の戦争も一触即発の冷戦もない、カントが構想したような恒久平和の理想が実現されることを願う。「平成」という新元号に、そのような願望を込めるのは読み込み過ぎであろうか。

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