序文
これまで通常の歴史叙述では脇役として付随的に言及されるにすぎないカテゴリーに属する「女」と「農民」を主役に据えた連載をものしてきたところであるが、その第三弾として「不具者」を取り上げるのが本連載である。
「障碍者の歴史」といった類の書籍やウェブサイトであれば、近年散見されるが、当連載がいささか不穏当に「不具者の歴史」と銘打つことには、理由がある。
ここに「不具者」とは、狭義の心身障碍者のみならず、容姿醜形者を含めた広い意味で、心身の機能や外形に欠陥ありとまなざされる者すべてを包括した最広義の総称概念である。とはいえ、「不具」という用語自体、すでに死語に近いものであり、不用意な言及は差別的とみなされかねない際どい単語であるが(差別語と断じる向きもあろう)、本連載ではあえてこの語をタイトルでも本文でも用いる。
その理由として、本連載ではそうした被差別者を主人公とする世界歴史をできるだけありのままに描きたいからである。不具者は歴史の中で差別される存在であったことはたしかであるが、一方で神秘化されたり、不具者でありながら為政者となった例もあるなど、歴史の中におけるその存在性は複雑に両義的である。
そのような複雑で両義的な不具者の歴史を俯瞰するうえでは、用語の矯正的な言い換えはあえてせず、現代的な言語慣習上は差別的とみなされかねない用語をあえて用いたほうがふさわしいと判断したのである。従って、如上のような特徴を持つ人々を差別する意図で叙述されるものではない。
それにしても、容姿醜形のような曖昧で感覚的な概念まで拡張することには危うさも伴うが、拙連載『〈反差別〉練習帳』でも論じたように、あらゆる差別の出発点に容姿差別がある。人間は視覚的印象に頼る割合が極めて高い動物であるがゆえの悲しむべき帰結である(拙稿参照)。
ただ、障碍とは異なり、容姿の評価尺度には文化的な差異もあるため、全世界的・歴史通貫的な共通基準は立てられないこともたしかであるが、それぞれの文化圏における尺度に基づいて判別された醜形はある種の外見的欠陥とみなされ、明らかな醜形者は不具者に準じた扱いをされるという点においては、全世界共通である。
実際、歴史上の人物にも容姿醜悪と記録されたり、言い伝えられたりしている者は存在しているが、通常の歴史叙述では単なる付録的なトリビアとして等閑視されているにすぎない。しかし、本連載ではあえてそれを掘り起こして正面から取り上げていく。
こうして、本連載は他にあまり類を見ないものとなるであろうが、これを通じて不具者の歴史的な存在性を明らかにし、ひいては差別を克服していく新しい歴史を切り拓くことにつなげることを究極の目的としている。