ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近未来日本2050年(連載第9回)

2015-07-10 | 〆近未来日本2050年

二 国防治安国家体制Ⅱ

諜報機関体系
 ファッショ的な国防治安国家体制の政策的な特質として、諜報機関体系が高度に整備されることがある。この点、日本の「戦後民主主義」の「弱点」として、本格的な諜報機関の欠如が一部論者から指摘されていたが、この「弱点」は2050年には一掃されているだろう。
 すなわち、現行制度上における公安調査庁と内閣情報調査室とが統合され、内閣府の下に国家情報調査庁が設置されている。この機関は契約諜報員を含め総人員5万人とも言われる内外総合諜報機関として機能しており、対内的には市民運動や労働運動、さらには外国人居住者の監視と情報収集に当たり、対外的には海外支局を通じて対外工作活動も展開している。
 この機関はまた、現行の破壊活動防止法を改正再編したテロリズム防止法の所管官庁でもあり、同法に基づく社会諸団体への潜入・監視や同法違反に問われた団体の強制解散などの権限を有している。
 この国家情報調査庁は基本的に文民機関であるのに対し、防衛軍系の諜報機関としては、自衛隊時代から引き継いだ防衛省情報本部がある。この機関は要員数においてかつては日本最大の情報機関と謳われたが、現在ではトップの座を国家情報調査庁に譲っている。とはいえ、海外の軍事情報の収集に関しては、専門機関として位置づけられている。
 もう一つ、防衛軍系の諜報組織として、防衛軍情報保安隊がある。これも形の上では軍事情報の保全を目的としていた旧自衛隊情報保全隊を継承する組織であるが、その権限は大幅に拡大され、防衛軍法上刑事罰をもって禁止される反軍活動の取締り権限を持ち、司法警察としても機能している。
 反軍活動とは、防衛軍の活動に敵対し、その任務遂行を妨害する活動とされるが、反戦平和運動もこれに該当するとの解釈から、情報保安隊は平和団体の監視や取締りも行なっており、特に沖縄の反基地闘争を徹底的に弾圧し、押さえ込んでいる。そうした活動のゆえに、情報保安隊は「現代の憲兵隊」と渾名され、怖れられているのである。
 同隊によって検挙された者は文民であっても軍事裁判所に起訴され、審理される。ただし、文民被告人の審理は分離され、軍判士二名と文民判事一名の混合審理となるが、基本的に軍主導の裁判となることに変わりはない。
 他方、警察系の諜報組織としては、従来からの公安警備警察があるが、議会制ファシズムにおける警察政策については、より広い角度から次回あらためて概観する。

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近未来日本2050年(連載第8回)

2015-06-27 | 〆近未来日本2050年

二 国防治安国家体制Ⅰ(続き)

集団的安全保障体制
 2015年現在は国論を二分する重大問題となっている集団的安保法制であるが、2050年になると、こうした集団的安保は国是として確立されているだろう。すなわち、防衛軍は「永遠の同盟」である日米同盟に基づき、日米共同防衛の要として機能している。
 この点で、戦前の帝国主義時代との相違がある。戦前の軍国ファッショ体制は軍部を中心に単独行動主義的に大陸侵略を推進したが、議会制ファシズムの時代には侵略より防衛が基軸である。その意味でも、前回述べた「敵からの防御」という理念がより強く出てくる。
 ここで、第二次大戦以来表向きは反ファシズムを掲げる米国が日本の議会制ファシズム体制と同盟を続けるかという疑問も浮かぶが、米国は忠実な同盟国の政治体制には基本的に干渉しない傾向を持つので、日本の議会制ファシズムも民主的な最低基準を満たす選挙によって成立している限り、黙認するだろう。
 ところで、2015年時点での安保法制は、まだ憲法9条の枠内という論理でつじつまを合わせていたため、言葉だけとはいえ、要件や方法に制約が付けられていたが、2050年の集団的安保体制にあっては、すでに9条も削除されており、憲法そのものに集団的安保の原則規定が存在しているため、すべての制約が取り払われている。
 そのため、日本の安全保障に直接影響しない事態に対しても、日米同盟に基づき、防衛軍を派遣でき、なおかつ戦闘参加も合憲的である。実際、防衛軍部隊は米軍とともに紛争地域での戦闘にも参加しており、戦死者も出しているだろう。
 これに対し、政府は戦死者を「愛国殉職者」として顕彰し、靖国神社へ合祀する愛国者法を制定して、反戦ムードの高まりを抑えている。なお、その法的位置づけに議論のあった靖国神社は愛国者法に基づき、内閣府の外郭団体として定着している。

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近未来日本2050年(連載第7回)

2015-06-26 | 〆近未来日本2050年

二 国防治安国家体制Ⅰ

防衛軍の確立
 ファシズム体制に共通する政策面の特徴として、国防と治安に圧倒的な重心が置かれることが挙げられる。ファシズムにあっては恒常的な国家的危機が強調され、危機にある主権国家と国民社会を内外の敵から防御するということが、国是となるからである。
 こうした「国防治安国家体制」は、議会制ファシズムの体制でも変わりはない。とりわけ、軍が軸となる。戦後日本が長く憲法9条と同居させてきた自衛隊は、ファシズム移行前に実現していた憲法改正を経て防衛軍に昇格しているが、2050年になると、防衛軍はいっそう再編強化され、確立されている。
 防衛軍の基本構成は自衛隊時代から引き継いだ陸上防衛軍・海上防衛軍・航空防衛軍の三軍種を中核としながらも、有事には海上保安庁を指揮下に組み入れることができるなど、その権限は強化されるだろう。 
 ただし、議会制ファシズムは基本的に文民政権であるから、防衛軍が直接に政治権力を行使することこそないが、制服組代表者の防衛軍統合参謀長は閣僚に準じて国家安全保障会議にも正式メンバーとして参加し、安全保障政策上も大きな発言力を持つであろう。
 戦後の文民統制の枠組みは維持されるものの、議会制ファシズムの体制では従来の官僚に代わって軍人からファシスト与党議員に転進する者が増加し、軍出身政治家の割合が高まることからも、文民統制の制度は形骸化していき、言わば軍民融合のような新システムが現われる。
 ちなみに、適齢者一律の義務徴兵制は軍務の専門技術化に伴い導入されないが、高校生や大学生の適格者に対する指名任官制が導入される一方で、防衛大学校に付属の中高一貫校が設置され、幹部士官候補生の早期培養教育が徹底されるだろう。
 さらに、一般的な公立学校においても、「防衛教育」が指導要領上規定され、中学生の防衛施設見学が義務付けられるほか、高校生・大学生向けには任意の短期体験入隊制度が公式に用意されるなど、防衛軍は教育面でも存在感を増している。

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近未来日本2050年(連載第6回)

2015-06-13 | 〆近未来日本2050年

一 政治社会構造(続き)

独裁者なきファシズム
 ファシズムと言うと、カリスマ的な独裁者の存在がイメージされる。政治理論的には、ファシズムの特徴として、こうした独裁的指導者の存在を要件とする見解が普通である。逆言すれば、独裁者なきファシズムはあり得ないということになる。しかし、議会制ファシズムに個人としての独裁者は必要なく、言わば集団的独裁の形態で成立する点に特徴がある。
 議会制ファシズムは、その名のとおり、議会制の枠組み内で発現するため、大衆の政治参加が排除されるわけではない。とはいえ、政権交替はなく、巨大与党の常勝支配が続くという限りでは、戦後の「55年体制」と類似する点もある。ただ、55年体制では万年野党と揶揄されながらも、対抗野党が存在していたのに対し、議会制ファシズムでは野党は断片化され、対抗力を持たない。
 その一方で、ファシスト与党の政治的動員力は相対的に強く、特に党の青年組織は娯楽的な要素を持たせた巧みな政治イベントを主催し、大学や高校にも浸透、選挙でもフル稼働する。これにより、18歳選挙権とあいまって、青年層の投票率は上昇し、議会選挙の投票率全般を押し上げるだろう。
 しかし、社会総体として、2050年の日本では超少子超高齢化が進み、人口も1億人を割り込んでいる。要介護高齢者が増大する中、在野の社会運動も低調となり、政府による政治的統制も加わり、大衆の動員解除状態が確定する。動員解除は、大衆教育においても国家主義が浸透し、体制批判的な活動への参加意欲が低下することによって、担保されるだろう。
 動員解除をもたらす政治的統制の一方で、私生活の自由は高度に保障され、政治的な発言・活動を控えて、私生活を満喫する風潮が広がる。市民はばらばらの個人として流動化し、烏合の衆と化す。そうした烏合の衆がファシスト政権与党という鷹によって管理されるような構図となる。
 そうした効率的な大衆管理を徹底するべく、行政権は大幅に強化され、執行権独裁というファシズムに共通する現象は発現してくる。結果として、行政権トップの総理大臣の指導性は高まり、集団的独裁制の「顔」としてのある種カリスマ性を帯びるため、実際、個人としても大衆的人気に依拠するタイプの総理大臣が輩出されやすくなるだろう。

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近未来日本2050年(連載第5回)

2015-06-12 | 〆近未来日本2050年

一 政治社会構造(続き)

指導層の特質
 2050年の日本を支配する「議会制ファシズム」における国家指導層は、どのような顔ぶれになるのだろうか。年代的には、現時点でおおむね10代後半から30代半ばくらいまでの青年層から輩出されることは、計算上確定的である。
 問題はかれらの価値観や行動様式であるが、それは現時点でのかれらの特質からおおよその推定が可能である。この世代の上限層は昭和末期の生まれであるが、物心ついたのは平成に入ってからであり、おおむね「平成初期世代」に当たる。
 世代的な価値観、行動様式を見るうえでまず重要なのは、受けた教育の内容である。平成初期世代は資本主義爛熟期、グローバル資本主義の時代に教育を受けた最初の世代である。少子化が進行した世代で、同輩数が少ないにもかかわらず、「競争」イデオロギーが注入された世代でもある。
 しかも、この世代の頃から、選別教育がいっそう進み、表向きは「平等教育」を標榜してきた公立校でも私立校にならった中高一貫エリート校のような早期選別制度の導入が公然化してきた。これら新興の公立エリート校が、2050年の国家指導層の有力な給源となる可能性は高い。そこで、こうした学校での教育内容は将来の指導層の価値観、行動様式に大きな影響を及ぼすであろう。
 この点で注目されるのは、これら公立エリート校は公権力主導で政策的に設立されているため、全般にリベラルで自由な気風が強い伝統的な私立系エリート校とは異なり、一部では国家主義的傾向の教科書の採択が進められ、それに沿った社会科教育が行われ始めていることである。これを通じて涵養された政治的価値観は、議会制ファシズムを支える思想的な基盤となるだろう。
 政策的に早期に選別され、「競争」を勝ち抜いた平成世代のエリート層は、昭和世代のエリート層に比べても弱者淘汰的な価値観及び行動原理を明確に体得しており、社会的弱者への共感はなく、むしろ反感が強い人間に成育されていくため、社会的平等やそれを目的とした社会政策には関心が薄い。
 一方で、共通的な娯楽としてオンラインゲームで育った世代でもあるかれらは、ほとんどのゲームにおいて定番的なモチーフとなっている戦争に対してもリアルな認識は持っておらず、ゲーム感覚でとらえるため、軍事的なものへの親近感も強い。これは、防衛力の追求を事とする体制構築への動因となるだろう。
 またこの世代は「電子世代」でもあり、コンピュータをはじめ電子機器の扱いには習熟しているため、電子的な監視システムに対しても、強い抵抗感は示さない。このことは、指導層として監視国家体制の構築に動く動因となり得る。

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近未来日本2050年(連載第4回)

2015-05-30 | 〆近未来日本2050年

一 政治社会構造(続き)

「新型ファシズム」の特質
 前々回と前回、2050年の日本を支配する「議会制ファシズム」の概要・政治制度について述べたが、このように形式的な民主主義の枠組み内で成立する「新型ファシズム」は、今世紀半ば頃には、日本に限らず、標榜上は民主主義を維持する諸国を含め、世界中でかなり普遍的な広がりを見せている可能性もあると見る。
 この新型ファシズムの大きな特徴は、まさしく民主主義に見えるということにある。国際基準に照らせば正当に実施された選挙の結果に基づいて政権が構成されるという点では、たしかに議会制民主主義そのものである。しかし、実際のところ、政権与党(連立も含む)は巨大で、与野党間格差が大きく、野党には対抗力が欠けている。政府与党提出法案は、形だけの集中審議を経て、ほぼ自動的に、―すでに昨今よく耳にする表現で言えば粛々と―成立していく。渾名すれば「議会制粛々主義」(?)である。
 そのため、「多数派の横暴」という批判もいっそう受けやすくなるものの、そこは議会制における多数決原理が過剰に強調され、「多数派の絶対性」を教条として、正当化されていくだろう。ただし、野党勢力に対する直接的な弾圧は差し控えられ、市民運動や集会・デモのような大衆行動もいちおうは容認されるが、治安諜報機関網が高度に整備され、監視国家体制が進行する一方、放送や通信に対する国家主義的な情報統制は強化される。
 また後の章で詳述するが、国の任務として国防と治安が強調・優先され、教育を含むすべての国策が直接・間接に国防・治安に収斂していくようになる。反面、福祉などの社会サービスは「自助努力」のスローガンの下にいっそう削減され、社会的弱者は放置されるようになる。
 その一方で、新自由主義的な経済政策はさらに徹底され、医療や教育を含めたあらゆるものが市場原理に基づく営利主義に委ねられ、社会的成功者の暮らしはいっそう豊かとなり、格差拡大は頂点に達するが、これも「自助努力の差」による当然の帰結として正当化されていく。それによって生じる大衆の不満をそらすため、娯楽を中心とした個人の私生活の自由は称揚・推奨され、カジノを含む娯楽施設のために多くの公費が投入され、社会サービスに反比例する形で、娯楽サービスは充実する。
 ファシズムというと、独裁・殺戮等の暗いイメージを持たれやすいが、イタリア原産のファシズムは本来、どこか明るいイメージを醸し出すものであった。新型ファシズムはこうした元祖ファシズムへの回帰の様相を呈するだろう。加えて、外見上議会制民主主義が維持され、社会管理がある意味で行き届くという限りでは、都市国家シンガポールの現行体制に近似した様相をも呈するだろう。

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近未来日本2050年(連載第3回)

2015-05-16 | 〆近未来日本2050年

一 政治社会構造(続き)

「議会制ファシズム」の政治制度
 ここで、「議会制ファシズム」の政治制度について概観しておこう。「議会制ファシズム」はまさに議会制の形式的枠内で成立するファシズムであるがゆえに、中央及び地方の議会制度自体は維持される。
 しかし、中央の国会に関しては、一院制に移行しているだろう。この点、現時点でも「決められる政治」の実現のため、一院制移行を唱える改憲論者もあるように、究極の「決められる政治」であるファシズムは現行のような対等型二院制には適しない。
 そこで、二院制を廃し、定数600程度の一院制国会に一元化する改憲が実現しているだろう。あるいは二院制維持論に一定譲歩して、衆議院の優越原則を徹底した形で(例えば法律案についても衆議院先議制を拡大し、衆参両院不一致の場合、一定期間経過後の衆院の単純再可決で法案成立とするなど)、参議院を存置するといった妥協的制度が導入されていることもあり得る。
 いずれにせよ、国会を基盤とする議院内閣制は存続しているが、内閣総理大臣の指導性を強調する「官邸主導」の権威主義的な内閣制であり、内閣官房の機能はいっそう強化されているだろう。
 一方、天皇制も存続しているが、2050年時点の天皇は憲法上も明確に国家元首と位置づけられており、皇室家政機関である宮内庁の長官職は官僚でなく、国務大臣を当てる戦前の旧制が部分的に復活している。
 この点、本来ファシズムは共和制を本則とするが(論理必然ではない)、議会制ファシズム下の天皇は明治憲法下のような神権天皇ではなく、世俗君主的存在である。その意味で天皇の位置づけは名誉職大統領的なものとなるが、それによりかえってファシズムが成立しやすい共和的土台が整うことにもなるだろう。
 地方制度に関しては、都道府県制が廃され、一都道州制に移行しているだろう。すなわち、全国の広域自治体は東京都並びに北海道及び複数の州に再編されている。権限が特別に強い東京都を除くと、道州は中央から一定の権限を委譲されるものの、限定的であり、かえって中央集権制は強化されているだろう。
 広域自治体の数が都道府県時代より削減される分、ファシスト与党が一都道州政治を掌握しやすくなり、知事の大半が標榜上の無所属を含め、ファシスト与党系の陣容となっている。
 市町村レベルでは、過疎により消滅する自治体も相次ぎ、合併はいっそう進んでいる。大都市制度が拡大され、自治体の権限は法的に強化されているものの、大都市市長もファシスト与党系が席巻し、ファッショ体制の下支えをしているだろう。

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近未来日本2050年(連載第2回)

2015-05-16 | 〆近未来日本2050年

一 政治社会構造

「議会制ファシズム」の概要
 2050年の近未来日本が到達しているであろう「議会制ファシズム」とは、形式上は議会制を維持しつつ、議会制の枠組みでファシスト政党が政権党として統治する体制をいうと仮定義したが、これをもう少し敷衍してみよう。
 ファシズムは通常、議会制を否定するので、「議会制ファシズム」は教科書的には概念矛盾である。しかし新型ファシズムにおいては、議会制の枠組みは否定されないだろう。特に戦後日本では議会制の形式自体は広く定着したため、議会制を否定する企てには支持が集まらない。
 一方で、議会制の枠組みのもとで政権交替を伴わない事実上の一党支配が安定的に続くことに日本有権者は慣れ切っている。小選挙区制とさらなる議員定数削減はこうした「議会制一党支配」の構造を確立するだろう。その延長に来たるのが、「議会制ファシズム」である。
 単に「議会制一党支配」という場合、支配政党のイデオロギー的立ち位置はさしあたり不問に付されているが、「議会制ファシズム」の支配政党は、その名称はともかく、イデオロギー的には国家絶対・国粋的なファシズムを信奉する政党である。
 2050年の日本では、そのような政党が議会制の枠組みで衆参両院の絶対多数を制して事実上の一党支配を行なっているであろう。問題は現時点でまだ存在しない新党が与党化しているか、それとも既存の右派大政党がファシスト政党として再編されているかであるが、筆者としては後者を予測する。
 小選挙区制のもとで今後結党される新党が一世代程度で安定的な大政党に成長する可能性は乏しく、やはり既存の右派大政党がファッショ化する可能性のほうが現実味がある。そして、2015年現在、その兆候はすでにはっきりと現われているのである。
 ちなみに、もう一つの想定として、右派大政党がファシズムの綱領を明確にしないまま、明確にファシズムを掲げる新党と連立与党を組んでいることも考えられるが、これも「議会制ファシズム」の亜種とみてよい。
 他方、「議会制ファシズム」は野党の存在を否定するものではないので、野党勢力も議会に議席を保持するであろう。ファシスト与党への対抗上、共産党が野党第一党に就いている可能性もあるが、少数野党にとどまり、絶対多数を握る与党に対抗する力は持ち得ない。

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近未来日本2050年(連載第1回)

2015-05-15 | 〆近未来日本2050年

 

 本連載の目的は、2050年の日本社会を予測し、描写することである。2050年と言えば、今からちょうど35年後である。35年と言うと、ほぼ一世代が経過した近未来に相当する。筆者の世代は「後期高齢者」として、残り少ない日々を過ごしている頃である。
 一方、その頃各界の指導層に就いているのは、現在おおむね10代後半から30代半ばくらいまでの青年層であり、政治指導者もこの世代から輩出されているだろう。従って、2050年の日本社会の予測とは、かれらが指導する社会がどのようになっているかという予測を意味している。
 ここで結論を先に述べれば、筆者は「議会制ファシズム」の社会と予測する。「議会制ファシズム」という語は現時点ではほとんど耳慣れないが、筆者の仮定義によれば、形式上は議会制を維持しつつ、議会制の枠組みでファシスト政党が政権党として統治する体制をいう。
 この点、筆者は戦後日本の歴史を振り返る連載『戦後日本史―逆走の70年―』の末尾で、「最終ゴールはまだ視界にはっきりととらえられているわけではないが、行く手にうっすらと浮かび上がって見えるのは、議会制の枠組みを伴いつつ、ファッショ的色彩を帯びた管理主義的かつ選別・淘汰主義的な国家社会体制である。」という予測を示しておいた。「議会制ファシズム」とは、上記の予測をひとことでまとめた術語である。
 よって、本連載は前連載で概観した戦後日本史を踏まえて、さらに向こう30年内外の近未来を予測しようとするものであるが、いろいろな意味で戦後日本史の大きな転換点を画する重要な年となるであろう今年2015年にこのような予測を立てることには意義があると考えられる。
 今年2015年は、言わば70年近い「逆走」の中間総括のような年度であり、筆者の予測によればここから一路、「議会制ファシズム」へ向けて進んでいく新たな基点となる年である。
 予測される「議会制ファシズム」の社会が実際どんな社会なのかということについては、おいおい明らかにしていくが、初めにことわっておくと、それは戦前のいわゆる軍国主義や、ナチズムのような狂信的ファシズムの単純な復刻ではない新型の、ある面では「民主的」なファシズムの社会である。と同時に、いくつかの重要な点では軍国主義やナチズムとも重なる要素が観察されるであろうような社会である。
 その描写をもって楽園的ユートピアとみるか、それとも地獄的ディストピアとみるかは、各自の価値観しだいであり、本連載ではどちらとも判定することはしない。ただ、少なくとも筆者にとってはディストピアとなるに違いないが、幸いその頃にはお迎えが近づいているので、彼岸への亡命が許されることを期待している。

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