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沖縄/北海道小史(連載第11回)

2014-02-12 | 〆沖縄/北海道小史

第五章 軍国期の両辺

【13】両辺境の軍事化
 あらゆる国家にとって辺境は侵犯されやすく、防衛上の要地となるため、辺境地方は軍事化されやすい。ことに日本のような四囲を海で囲まれた海洋国家の場合、国境線はあいまいなため、辺境島嶼地方の面的な防衛が必要となる。
 この点、極東膨張政策を続けていたロシア帝国が近くに迫る北海道は、北辺防衛の要地として、明治維新後早くから意識的に軍事化が進められてきた。農業開発を兼ねた屯田兵制度はその最初の一歩であった。しかし近代的軍事制度が整備されると、屯田兵は近代陸軍に置き換えられ、1896年には北海道を根拠地とする陸軍第七師団が設置され、役割を終えた屯田兵制度は1904年に廃止となった。
 この北海道防衛を任務とする第七師団の初代師団長は、屯田兵司令官や北海道庁長官も務めた旧薩摩藩士の永山武四郎少将(後に中将)であった。永山は鹿児島出身ながら北海道に骨を埋めるよう遺言したほど、北海道の開拓と防衛に尽力した近代的職業軍人の第一世代であった。
 その後、第七師団は北海道防衛の任務を超えて日露戦争やシベリア出兵、満州侵略作戦などにも投入された陸軍主力部隊の一つとなり、北海道は民生面の開発とともに、軍事的な要衝島としても発展していく。
 このように北海道では対ロシア防衛を意識して早くから軍事化が進んだのに対し、沖縄の軍事化は北海道よりも遅れる。国民皆兵制は日本に併合された沖縄にも当然適用され、1888年には沖縄県全域での徴兵・召集等の兵事事務を担う沖縄警備隊区(後の沖縄連隊区)が設置されたとはいえ、沖縄での実際の徴兵は本島でも98年、先島諸島では1902年になってからであった。
 沖縄は今日でこそ日本の南辺として防衛上の要地とされるが、明治政府が日清戦争に勝利した結果、日本の南方領土は台湾まで延伸されることになった。結局、沖縄併合は日本の帝国主義的な南方膨張政策の初めの一歩にすぎず、沖縄は南進の出発点のような位置づけであった。
 そのため、沖縄ではかえって北海道のような軍事化は推進されず、沖縄防衛は熊本に司令部を置く陸軍第六師団の管轄であった。沖縄防衛に特化した軍司令部が置かれるのは、第二次世界大戦も末期、敗色濃厚となった1944年に設置され、悲惨な結末を迎える運命となる陸軍第32軍が初めてである。

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