ザ・コミュニスト

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万年野党再考

2016-03-30 | 時評

今月発足した民進党への国民の期待値が上がらないようである。それもそのはず、選挙のたびに新党結成で野党が流動しているようでは有権者も判断不能になり、10年以上不動の自公連合のほうが、支持者でなくとも頼もしく映ってしまう。

ここで思い出すのは、かつての万年野党社会党である。今年は社会党が実質上消滅して20周年に当たる。民進党の母体の一つとなる民主党は万年野党ではなく、政権交代可能な野党を掲げて社会党に取って代わった勢力であった。

そのために、民主党は旧社会党的な社会主義や非武装平和論は却下し、資本主義も自衛隊もOKという「現実主義」を掲げた。その結果、たしかに民主党は政権を獲得できた。だが、その3年余りの政権担当期間は「失われた3年」と評されている。何が失われたかは評者によっていろいろな答えがあろうが、筆者は奇妙にも「野党」と答える。

ここで言う「野党」とは、与党を牽制する反対党のことである。一度政権交代が実現してしまったことで、野党は反対党ではなく、次の選挙で獲物の政権を狙う野獣のような政権交代待ちの次期与党候補にすぎなくなってしまったのだ。

しかし、そんなぎらついた肉食系?野党よりも万年野党のほうが好ましく思える。むやみに政権を追い求めるのではなく、与党の絶対多数を阻止するだけの議席は保持しつつ、高い理想を掲げて政権与党の政策を牽制し、勝手な真似はさせないのが万年野党である。

考えてみれば、社会党万年野党時代の自民党は常勝政権政党でありながら、綱領的文書には掲げていた改憲も事実上凍結し、現在より穏健で立憲的な統治を行なっていた。自民党が改憲の欲望をあらわにし始めたのは、社会党が消滅してからである。

そう考えると、民進党などという中途半端に進歩的なイメージを滲ませた新たなヌエ政党を立ち上げるくらいなら、社会党を復活させてはどうだろう。「立憲主義の回復」「戦争法廃止」などを叫ぶなら、まさしく社会党的ではないか。それとも、こうした勇ましい言葉たちも、政権獲得のための術策的スローガンにすぎないのだろうか。

21世紀の復刻社会党が結果としてまたしても万年野党となろうと、差し支えないだろう。自動車は変わらず運転手だけが交代するがごとき政権交代の虚しさは、まだ国民の記憶に新しいはずだからである。

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