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農民の世界歴史(連載第34回)

2017-03-14 | 〆農民の世界歴史

第9章 南北アメリカの大土地制度改革

(1)北アメリカの奴隷制プランテーション

 広大な未開拓地が広がっていた南北アメリカ大陸では、全般に大土地所有制が定着しやすい傾向にあった。わけてもアメリカ合衆国は元来、開拓農民として入植した白人農場主が主導して建国されたとも言ってよい国であった。これら農場ではアフリカから移入された黒人奴隷を労働力として使役することが常態化していた。
 従って、アメリカ合衆国の建国はそれ自体がブルジョワ革命の一環でありながら、フランス革命が農奴解放を実現したようには、黒人奴隷解放は実現しなかったのである。とはいえ、建国以来リベラルな気風の強い北部諸州では19世紀初頭以降、順次奴隷制廃止が実現したが、南部諸州は奴隷制維持に固執していた。
 そのわけは、先住民(インディアン)を絶滅対象とし、労働力化しなかった北アメリカにおいて、南部諸州における主産業であった綿花栽培プランテーションでは奴隷労働力が不可欠であったからである。この南部プランテーションは19世紀に入ると、先住民の虐殺・強制移住により侵奪した土地の開拓により広大化していったため、いっそう奴隷労働力に依存するようなっていたのである。
 こうした農場奴隷は中世の農奴とは異なり、農場主によって所有され、売買もされる財産としての文字どおりの奴隷であり、その点では古代奴隷制の復刻版―再版奴隷制―とも言うべきものであった。かれらは労働搾取とともに女性は性的搾取にもさらされた。そして逃亡は奴隷警邏隊により抑止、処罰されるという過酷なものであった。
 なぜこのような粗野な反動的制度が近世の「新大陸」北アメリカで発現したのかは歴史の謎であるが、奴隷主=農場主となった白人開拓民たちの多くは英国を中心とした「旧大陸」ヨーロッパの無学な貧農・中農出自の移民であったことが関係しているかもしれない。
 ともあれ、19世紀半ばの合衆国は奴隷制廃止州=自由州と奴隷制護持州=奴隷州とに事実上分裂していく。1854年のカンザス‐ネブラスカ法は両者の妥協を図り、奴隷制の存廃を州の権利に委ねたが、これに反発して結党されたのが共和党であり、それを代表する人物がエイブラハム・リンカーンである。
 リンカーン自身も、ケンタッキー州の裕福な農場主一族の息子として生まれたが、自身はリベラルな法律家として反奴隷制論者となった。そんなリンカーンが大統領に当選したことは南北分裂を決定的にした。その後の南北戦争の経過は本稿論外となるため省略するが、この内戦で北部が勝利したことはアメリカ合衆国における奴隷制廃止を決定づけた。
 とはいえ、それは法的な廃止にとどまり、突如解放され、合衆国市民の資格を与えられた黒人たちに自活の経済基盤は何もなく、かれらは旧奴隷主の農場主の下で農奴的な小作人として貧困と人種差別にあえぐほかなかった。
 かくてアメリカ合衆国の奴隷制プランテーションは終焉し、近代的な大土地制度に姿形を変える。これはさらに第二次大戦中、農業労働力不足に直面したことを契機に、隣国メキシコの契約労働者を使用する形態の集約型家族農業に形態を変えていくことになる。その流れは戦後、公民権運動による黒人の第二次「解放」を経て定着する。

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