第二章 奴隷制廃止への長い歴史
奴隷制禁止の国際条約化
欧米各国及びラテンアメリカ諸国における奴隷貿易・奴隷制廃止が一巡すると、国際社会において奴隷制禁止を条約化する動きが生じてくる。ようやく19世紀末のことである。
その契機となったのは、1889年から90年にかけてベルギーのブリュッセルで開催された国際会議・ブリュッセル反奴隷制会議であった。この会議は、アフリカ奴隷貿易を公式に終焉させるための国際条約の締結交渉という明確な目的を帯びた実践的なものであった。
この会議が生んだ歴史的な条約が「奴隷貿易並びにアフリカへの火器、弾薬及び酒精飲料の輸入に関する規約」(ブリュッセル会議条約)である。奴隷貿易と並べて火器等の輸入が規制されたのは、アフリカの地元王国が奴隷提供と引き換えに火器等を列強から輸入していたことに関わっている。
この条約の締約国には、英・仏・独のほか、ポルトガル、スペイン、オランダ、ベルギー(王室私領地コンゴ自由国を含む)、オーストリア‐ハンガリー、スウェーデン‐ノルウェー、デンマーク、ロシア、アメリカという当時の欧米列強に、オスマントルコ、ザンジバル、ペルシャというイスラーム圏の強国も名を連ねており、国際連盟/連合のようなグローバル国際機関が創設される以前の時代にあっては、画期的な国際条約であった。
とはいえ、この条約は執行のための措置も伴わず、強制労働、年季奉公といった形態の搾取を取り締まる規定も欠いた宣言条約の性格が強いものであったが、とりあえずイスラーム圏をも含む世界の帝国主義諸国が勢揃いして奴隷制禁止で基本合意に達したことの歴史的意義は大きい。
この条約のグローバルな締結枠組みが、第一次世界大戦後、人類史上初となるグローバル国際機関・国際連盟の原型となったと言っても過言でない。実際、国際連盟は1926年、より実効性のある「奴隷貿易及び奴隷制禁圧規約」を締結したのである。
さらに、国際連盟の姉妹機関として設立された国際労働機関が1930年に採択した「強制労働に関する条約」では、奴隷制以外の形態による強制労働を広く禁止することで、形を変えた奴隷制の存続を規制した。
第二次世界大戦後の1956年、国際連盟の後継機関・国際連合は上記二つの条約の有効性を確認しつつ、より包括的な「奴隷制度、奴隷取引並びに奴隷制類似の制度及び慣行の廃止に関する補足条約」(奴隷制度廃止補足条約)を採択した。これにより、奴隷制禁止の国際条約化は一応の完成を見たのである。
しかし、この条約にも未批准の国連加盟国が70か国近く(日本もその一つ)残されており、また締約国にあっても形を変えた現代型奴隷制が残存していることは前章でも見たとおりであり、奴隷制廃止への歴史的道程はいまだ完了したとは言えない。