第二章 奴隷制廃止への長い歴史
ルーマニアのロマ族奴隷廃止
英国と米国における奴隷制度廃止にはさまれる形で19世紀半ば、東欧のルーマニアで少数民族ロマ族奴隷制の廃止が実現している。意外に知られざる出来事である。
ロマ族とは、エジプト出自という誤解から「ジプシー」とも呼称されてきた中東欧の少数移民集団であるが、その真の出自はインドと見られている。出インド・欧州移住の経緯については諸説あるが、すでに中世には集団的移住が確認されており、その歴史は古い。
ロマ族は移動生活を主体としていたため、「流浪の民」とも言われ、欧州各地で差別迫害にもあったが、ルーマニアではロマ族を奴隷化する慣習が形成されていた。これは中世におけるワラキアとモルダビアの両公国成立以前からの古い慣習であった。今日でも欧州でもロマ族の代表的な居住地となっているのがルーマニアであることからしても、ルーマニアにおけるロマ族奴隷制の広がりと歴史の長さが窺えるところである。
ルーマニアのロマ族奴隷は職工や砂金採集、農業労働に始まり、家事労働まで幅広く下層労働に従事させられた。かれらは支配層の貴族や修道院、国家によって所有され、所有者によって売買されたり、懲罰にかけられたりした点では一般的な奴隷制度と同様であった。ただ、ルーマニアの奴隷制は自治組織によって管理され、奴隷自身がその指導者を選出することができるなど、一定の自治権が保障された点に特徴があった。
こうした奴隷制に対しては、18世紀後半、ルーマニアにも到来した啓蒙主義の潮流の中で廃止の機運が生まれる。当初は自らも奴隷主層であった正教会内部の改革派が廃止の声を上げたが、19世紀に入ると、後にルーマニア首相となる革命派ミハイル・コガル二チェウの主導により、1843年、モルダビアで奴隷制廃止が成立した。これに続き、ワラキアでも廃止され、56年までに20万人を越えるロマ奴隷が解放された。
とはいえ、ルーマニアにおけるロマ族は解放後も差別にさらされ続け、構造的差別とそれに起因する貧困問題が未解決のままである点では、アメリカの黒人問題と類似する点が見られる。