第三章 世界奴隷貿易の時代
大西洋奴隷貿易:初期
大西洋奴隷貿易は、西洋列強による大航海時代の開幕と密接に連関している。従ってまた、それは大航海にいち早く寄与したポルトガルによって始められる。このポルトガル主体の大西洋奴隷貿易の時代を、ここでは初期とみなすことにする。
当時、地中海や紅海を舞台とする奴隷貿易は圧倒的にイスラーム圏の独断場であったため、西洋人による奴隷貿易はイスラーム勢力の手がまだ届いていなかったアフリカ大陸西海岸沿いが狙い目となった。ポルトガル人による最初の奴隷貿易の記録は1441年、現西サハラでの奴隷狩りによるものである。
もっとも、聖典で奴隷の存在を一定の条件下で許容するイスラーム教と異なり、キリスト教における奴隷の可否は聖書上不明であったところ、15世紀半ば、時のローマ教皇ニコラウス5世がポルトガルに対し、異教徒の奴隷化を認める勅許を下したことで、奴隷貿易には宗教上もゴーサインが出た。
これに機に、奴隷貿易は1450年代を通じて活発化していき、西アフリカ沿岸地域が奴隷の供給元となる。この地域には、中小の黒人部族勢力が興亡し、相互に奴隷狩りを行なっていたが、ポルトガル人はこれら勢力と提携し、奴隷を常時購入するシステムを作り上げたのだった。
ポルトガルは1482年、現ガーナにエルミナ城を築き、以後、ここが大西洋奴隷貿易の拠点となる。ポルトガルはアフリカ西海岸で獲得した奴隷を当時カリブ海域やブラジルの植民地で経営していた砂糖プランテーションの労働者として輸送したが、この大西洋をまたぐ奴隷貿易システムこそ、大西洋奴隷貿易の原型となる。
ちなみに、ポルトガルとともに大航海時代を築いたスペインはアフリカに植民地を築けず、新大陸の植民地では現地先住民を奴隷化して労働力とするシステムを構築していたこともあり、スペインの大西洋奴隷貿易への参入は遅れることとなった。
このポルトガルを主体とする初期奴隷貿易の裾野は戦国時代の日本にも、二つの方向から及んでいた。一つは黒人奴隷の持ち込みである。中でも最も著名な存在は、織田信長の家臣に取り立てられた黒人武士の通称弥助である。彼はイエズス会のイタリア人巡察師ヴァリニャーノが来日した際に同伴し、信長に譲った黒人奴隷で、出身はポルトガル領モザンビークと見られている。
もう一つは、日本人の被奴隷化である。戦国武将たちが戦利品として敵方の領民を拉致する「人取り」の慣習によって獲得された人間をポルトガル商人に奴隷として売却することが行なわれていたのである。幸いにも、この「日本人奴隷貿易」は豊臣秀吉のバテレン追放令に付随して発せられた奴隷売買の禁止令と徳川幕府による「鎖国」政策のおかげで終息した。