第6章 世界共同体の理念
(4)グローバルな参画民主主義
世界共同体は世界民衆のネットワーク機構であり、グローバル民主主義の実践の場である。しかし、グローバル民主主義という理念は、現状では恒久平和と同じくらい観念的な夢想にすぎない。
現行の国家体制にあっては、「民主主義は工場の門前で終わる」とともに、「民主主義は国境線の内側で終わる」。すなわち資本制企業の内部に民主主義は届かず、なおかつ国境を越えて民主主義は展開されない。民主主義は、政治という狭い場で―それも「議会制限定民主主義」の限度で―、かつそれを標榜する国内でしか適用されず、国際社会は主権国家間の談合か戦争の場でしかないのだ。
もっとも、しばしば米欧に主導された国際社会が独裁国家と名指された諸国に「民主主義」を軍事的に強制しようとするが、このように横槍的に強制される「民主主義」は侵略的軍事介入の口実でしかなく、ここで言うところのグローバル民主主義とは無関係のしろものである。
世界共同体は、「民主主義」の口実的な標榜を排し、かつこのような民主主義の狭い限界を乗り超えて、民衆主権の理念に基づき、地球規模で参画民主主義を展開することを目指すグローバル民主主義の実践体でもある。そのためにも、世界共同体はそれ自体が民衆会議―世界民衆会議―によって運営されなければならないのである。
最終的に完成された形態においては、世界共同体はその総会を兼ねた世界民衆会議をベースとして、それを構成する各領域圏の民衆会議が有機的に結びついた民際ネットワーク機構として機能することになる。そのため、本連載のタイトルも当初は『世界共同体/民衆会議論』を予定していたのであるが、世界共同体の核心も民衆会議にあり、民衆会議が起点となることから、タイトルを『民衆会議/世界共同体論』へと中途変更した次第である。
このようなグローバル民主主義は恒久平和の必須条件でもあり、恒久平和の機構化である世界共同体はグローバル民主主義の実践体でもあるという意味において、グローバル民主主義と恒久平和とは等価的である。