昨年は、新型コロナ・ウイルスに終始する異常な一年となった。ウイルスが年末には南極にも達し、地球の全大陸を制覇した。そればかりか、この微小な目に見えない構造体が、まるでエイリアンのように、外部から革命に近い激減を人間の生存場に及ぼそうとしている。
人間の生存場を建物に擬して、地盤(環境)‐土台(経済)‐上部構造(政治)の三層に分けて考えると、人間の生存の基盤となる地盤(環境)に対しては、約一年に及ぶ主要な生産・流通活動の縮小と人間の移動の自粛により、二酸化炭素排出量の大幅減という近年にない環境的な激変が見られた。
ただ、この激変はあくまでも感染防止策の適用による結果にすぎず、喉元過ぎれば熱さ忘れるの格言どおり、パンデミックが収束すれば、すみやかに元に戻るだろう。人間の心理には、現状を変更したくないという「一貫性の法則」が働く。パンデミックによって攪乱された元の大量生産・大量流通・大量消費‐廃棄の経済システムを変更したくないのである。
土台(経済)に関しては、過去30年のグローバルな経済的スタンダードとなっていた資本主義が大きく揺さぶられている。特に、全世界的なレベルでの外出・移動の制限・自粛は、現代資本主義の基軸である各種サービス産業分野に打撃を与え、結果として大不況を作り出している。言わば、現代資本主義の心臓部をウイルスが直撃しているわけで、その余波は長期に及ぶだろう。
ここでも、「一貫性の法則」が働き、資本主義指導層は、拙速に開発されたワクチン接種を急ぎ、「集団免疫」を獲得して、いち早く原状回復しようとしているところであるが、ワクチンの計画的な生産と供給というある種の計画経済の技術が歴史の彼方に忘却されてしまっている現在、果たしてワクチン接種が安全性を担保しつつ、どこまで迅速に進むかは不透明である。おそらく、ワクチンの確保・接種の国際競争が生じ、国ごと、さらに個人ごとにも明暗を分けるかもしれない。
上部構造(政治)に関しては、人々の日常行動を平素から管理・制約する全体主義国家ほど、強硬な感染予防策を適用して、感染拡大を抑え込むことに成功している。その点で、中国と米国が著しく明暗を分けているのは、象徴的である。
一方、自由主義標榜諸国でも、国家緊急権の法理を適用して、外出・集会の制限といった社会統制を強化する戒厳派と、ウイルスを過小評価して事実上放置する放任派とに分かれた。何が両者を分けているのかと言うと、資本主義経済防衛の意志の強さと共に、政府が持つ権限如何によるように見える。
例えば、米国のトランプ政権が放任政策を採っているのは、資本家出自で、資本主義防衛の意志が強いトランプ大統領の指向とともに、連邦制の合衆国大統領は、感染症対策に関する強力な権限を持たないことによるのだろう。その反面、小さな邦である州の知事に大きな権限があり、州レベルでは、戒厳派も少なくない。
戒厳派諸国(州)では日頃、自由を強調していながら、感染予防策として、○○人以上の集会の禁止など、政府の決定一つで全体主義国家さながらの人権制約措置が打ち出されたことが、人々にショックを与えた。これにより、標榜されてきた自由主義の内実が暴露されたとも言える。実は大義名分を掲げれば、政府は簡単に自由を奪うことができるという真実が明るみに出たのである。言わば、自由剥奪の予行演習。結果として、自由主義と全体主義の収斂現象が起きている。
さて、今年の展望であるが、地球支配層としては、地盤(環境)と土台(経済)に加えられている激変―地球環境の修復と資本主義の縮退―は望ましくないので、ワクチンという科学の魔法の力にすがって原状回復を進めるだろう。しかし、上部構造に起きている変化―自由の制限―は、権力にとって有益な面があると気づき、何らかの方法で維持しようとするかもしれない。
その結果を建物に擬して示すと、再び壊れゆく地球環境という地盤の中に回復された資本主義の土台の上に、自由を制限する管理主義的な国家が再築されるといった形になる。これは、楽観的だった過去30年間よりも、かなり守勢に回った資本主義防衛体制になると言えるだろう。