序
南アフリカ共和国(南ア)は人種差別体制アパルトヘイトの廃止以後、実質上別の国に生まれ変わった。そのような体制変動の象徴となっているのが、1996年に制定された現行憲法(96年憲法)である。この96年憲法では不正の体制であったアパルトヘイトの清算と反差別を基軸とする新生南ア国家の基本原則が詳細に規定されている。
その意味で、この憲法は南アの独異な歴史を色濃く反映した法典である。内容的にはブルジョワ民主憲法の系譜に属するが、特に平等権と社会権に重きを置く社会民主主義色の強い憲法であり、ブルジョワ民主憲法の限界内では先進的な憲法の最新例の一つと言える。一方で、伝統的な部族指導者にも憲法の範囲内で一定の役割を保障するなど、アフリカ的な特色も備えている。
構成上は前文と全14章243条の本文から成り、憲法典としては長大な部類に属するが、これは細目的な事項についても法律に一任せず、憲法に明記して立憲体制を貫徹しようとする意図の表れであり、白人政権のもとで恣意的な権力行使がなされたことへの反省に基づいていると考えられる。
以下の訳文は、南ア政府公式ウェブサイトに掲載されている英語版正文をもとにした筆者の私訳である。
前文
前文は96年憲法の制定経緯や趣旨を説明する部分と、複数の公用語で神の加護を祈願する祝詞的な部分とに分かれるが、ここでは前者のみを訳出する。この部分では、過去の不正な人種差別体制の清算と、平等かつ公正で全人種を包摂する民主国家の建設を目的として新憲法が制定された経緯が簡潔に記されている。
特に第五段の「多様性の中の統一」という止揚的な理念が96年憲法の支柱であり、そのためにも、過去のアパルトヘイト体制との決別を謳いつつ、直前の第四段では「我が国の建設と発展のために働いた者」として、おそらくは共和国の土台を築いた旧体制の白人先駆者―アパルトヘイトの構築者でもあった―に対しても一定の敬意を表しているのだとも読める。
この前文には平和主義への言及がない点を除けば、日本の昭和憲法前文ともオーバーラップする趣きがあるが、これは両者が制定時期こそ半世紀の隔たりがあれど、ともに旧体制の清算と過去の反省を主要なモチーフとして制定された―反省的憲法―であることに由来する共通点であろう。
我ら南アフリカ人民は
我が過去の不正を認識し、
我が国において正義と自由を求めて苦悩した者たちの栄誉をたたえ、
我が国の建設と発展のために働いた者たちを敬い、
南アフリカがそこに住まい、我が多様性の中に統一されたすべての者に属するものと信ずる。
我らは、それゆえに、自由に選挙された代表者を通じて、以下の目的のためにこの憲法を採択する。すなわち―
過去の分断を癒し、民主的価値、社会的公正及び基本的人権に基づく社会を創設すること
政府が人民の意志に基づき、すべての市民が等しく法によって保護される民主的かつ透明な社会の基礎を置くこと
すべての市民の生活の質を改善し、各人の可能性を解き放つこと
国際社会のうちに主権国家としてふさわしい地位を確保し得る統一的かつ民主的な南アフリカを建設すること
神よ、わが国民を守り給え。
神よ、南アフリカを祝福し給え。