ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産法の体系(連載第4回)

2020-01-10 | 〆共産法の体系[新訂版]

第1章 共産主義と法

(3)法の活用①
 民衆会議を通じて民衆が生産する共産法にあっては、法の適用に関しても、ブルジョワ法とは異なる原理がもたらされる。すなわち、共産法は立法府から切り離された行政府によって上から発動されるものではなく、民衆会議自身によって下から活用されるものである。
 つまり、共産法の適用とは、民衆が共に生産した法を社会内で活用することを意味する。これは単なるレトリックではなく、実際的な意義を持つ原理である。
 すなわち、民衆会議体制にあっては、法の適用に当たる全機関が民衆会議の下部機関として、民衆会議の監督下に置かれる。つまり、法の制定と法の適用とは、民衆会議を舞台とする一連の流れの中に置かれるのである。
 その結果として、法の適用過程で、行政府(または司法府)に属する諸機関によって法内容が都合よく解釈され、歪められるような事態がなくなる。さらに、法の適用に際して、市民はそれを一方的に受忍すべき受動的な地位には立たない。
 たとえ身柄を拘束するような強制力を伴う法の執行であっても、それは法の権威的な発動ではなく、民主的な活用であるからには、市民は能動的な地位に立つ。すなわち、市民は法の執行に対する異議・不服申立ての権利を広く保持することになる。
 もっとも、市民個々に法の個人的な解釈権が与えられるわけではない。しかし、市民は「法は法なり」のトートロジーの前に無力な存在なのではなく、法の活用主体として、異議や不服を通じて法の適正な活用に関与する余地が広がるということである。
 ただし、言うまでもないことであるが、共産法は特定の階級や集団の異議・不服を忖度して適用されるような不平等を来たすことはなく―もし、いささかでもそのような不平等が認められるなら、それは真の共産法ではない―、法の前の平等は貫徹される。
 かくして、民衆によって生産され、活用される共産法は、形式的な強制力だけを残して凝固・硬直した死んだ法規ではなく、適用に対する異議や不服を通じて日々その妥当性が点検されながら社会の秩序ある運営のために活かされる活きた法だと言えるだろう。

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共産法の体系(連載第3回)

2020-01-09 | 〆共産法の体系[新訂版]

第1章 共産主義と法

(2)法の生産方法
 「法の生産方法」という問題はブルジョワ法理論ではほとんど意識されることがないが、共に産する法としての共産法では、法がどのように生産されるかは重要な関心事となる。
 その点、共産法に最もふさわしい生産方法は、代議機関を介さない「直接民主制」の制度である市民発議(イニシアティブ)と市民投票(レファレンダム)であると考えられるかもしれない。
 しかし、民衆会議が主導する共産主義社会は「直接民主制」ではなく、あくまでも「代議制」の範疇にある。すなわち立法の中心は代議員抽選制に基づく民衆会議であって―選挙でなく抽選による限りで、「半直接的」ではあるが―、民衆会議こそが言わば法の生産工場である。
 従って、市民による直接立法とも言うべきレファレンダムは代議制の原則を崩すおそれがあるので、基本的には否定される。ただし、全法体系を統括する憲法に相当する民衆会議憲章の制定・改廃に際してレファレンダムを行う可能性は否定されない。
 このように代議的な生産方法を基本とするとはいえ、社会の主役である民衆が法の生産過程の完全な外部に置かれるのでは、ブルジョワ議会法の制定過程と大差ないものとなってしまう。
 その点、一種の民衆会議体であるソヴィエト制を導入した旧ソヴィエト連邦において、ソヴィエト制度が形骸化していった結果、民衆が事実上立法過程から排除されていたことの轍を踏むべきでない。
 そこで、共産法の制定にあっては、各法の性質に応じて、市民のイニシアティブが保障されなければならない。ここで各法の性質とは法の適用域による区別に加え、その内容的な属性を指す。
 法の適用域とは、全世界の領域圏を包摂する世界共同体、その内部で複数の領域圏を大陸的に包摂する汎域圏、世界共同体の構成主体となる領域圏、領域圏内部の準領域圏(州)や地方圏、地域圏、市町村といった行政的な圏域に照応している。 
 その点、個々の領域圏を超えた民際法の性質を有する世界共同体の法(世界法)及び汎域圏法の場合、イニシアティブは事前に登録された公式民際団体―現在のNGOに相当する―によって主導されることが望ましい。民際法は専門性とともに普遍性を持つべき法だからである。
 個々の領域圏に限局適用される領域圏法についても、環境法や人権法のような専門的な法分野では市民団体のイニシアティブを認める余地はあるが、一般的な領域圏法の場合、原則的には拘束力を伴った請願権の活用によることが望ましい。
 一方、領域圏内部の各種自治体が独自に定める自治体法は当該自治体住民の生活行政に関わるので、住民の直接的なイニシアティブを導入するにふさわしい法である。ただし、その場合も代議制原則との兼ね合いを意識する必要はある。

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近代革命の社会力学(連載第58回)

2020-01-07 | 〆近代革命の社会力学

八 フランス・コミューン革命

(3)パリ包囲戦と第二次革命の胎動
 第二帝政崩壊後に成立した臨時国防政府は、何よりも戦争処理を緊急課題としつつも、急進派に鼓舞された民衆の革命的な沸騰に対しても対処するという二重の課題を背負っていた。その点で、1848年の二月革命後の臨時政府とは置かれていた状況が全く異なる。
 二月革命政権では、とりあえずは労働者階級を代弁する社会主義者も入閣する保革連立政権の形を取ったが、水と油の連立は長続きせず、早期に瓦解した。そうした反省もあって、このたびの臨時政府では、社会主義者などの急進派は初めから排除されていた。そのため、急進派及び民衆の間には不満が渦巻いていた。
 そればかりか、戦争政策の点でも、早期講和を模索する臨時政府と徹底抗戦を求める急進派・民衆は鋭く対立しており、この対立関係は容易に解消できそうになく、新たな第二次革命への動因となりかねなかった。
 そうした中、国際労働者協会(第一インターナショナル)が主導して、1870年9月、臨時政府の監視という名目で、パリ市各区監視委員会が設立され、さらに監視委員会の上部組織として、パリ二十区共和主義中央委員会(パリ中央委)が設置された。
 この時点でのパリ中央委はまだ民間組織的な性格のものではあったが、「赤いポスター」と題し、言論出版の自由や市長公選、国家警察の廃止(自治体警察への純化)といった急進的な提案を含む綱領を公表したのである。一方で、パリ中央委は徹底抗戦を唱え、防衛必需品の調達や市民の武装化も提案した。
 その直後、プロイセン軍がパリへ向けて進軍し、以後、パリ包囲陣を築く中、パリ中央委は新たな段階に進む。パリ市議会を労働者を主体とする自治体(コミューン)に再編するという決議を採択したのである。これにより、パリ中央委は革命組織へと昇華されることになった。
 10月31日には、パリ防衛上最後の砦であったメッス要塞が陥落し、フランスの敗戦は決定的となった。これに対し、革命派は臨時政府の総辞職と市議会選挙を要求して、市庁舎にデモをかけ、乱入した。
 この「10月31日蜂起」は、さほど大規模なものではなく、臨時政府は市議会選挙を約束すると見せかけて革命派を引き上げさせたうえ、革命派指導部の検挙に踏み切るという騙し討ちに成功した。
 市議会選挙は区長選挙にすり替えられ、臨時政府は何とか急場を切り抜けたものの、戦況は悪く、パリ包囲の中、燃料・食糧が欠乏し、パリ市民は窮乏した。この兵糧攻めは成功し、明けて1871年1月、ついに臨時政府は休戦協定に調印した。
 こうして、外患を取り除いた臨時政府は2月、正式な新政府を樹立するため、国政選挙を実施する。選挙結果は、革命派を抑えて穏健共和派の勝利であった。ここで登場するのが、首相格の行政長官に就任した七月王政時代の生き残りの策士アドルフ・ティエールである。
 彼はさしあたり南西部ボルドーで新政府を立ち上げ、後にパリの革命を粉砕する計略を秘めていた。このような策は、彼自身が1848年の二月革命の際、当時の国王ルイ・フィリップの諮問に対して進言しながら、却下されていたものであった。
 ともあれ、ティエールの新政府はプロイセンとの講和を急ぎ、2月末には早くも仮講和条約の締結に漕ぎ着ける。このようなティエール政権の融和的態度は革命派を憤激させ、革命行動をさらに先鋭化させることになった。
 とはいえ、敗戦という現実を無視して精神論的に徹底抗戦に執着する非現実的な態度とともに、パリ一市に限局された革命行動という革命派のパースペクティブの狭さが、策士ティエールの術中にはまる元になるとは、この時点ではまだ気づかれていなかった。

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近代革命の社会力学(連載第57回)

2020-01-06 | 〆近代革命の社会力学

八 フランス・コミューン革命

(2)敗戦と第二帝政の崩壊
 フランスでは、1848年第二次欧州連続革命の渦中で唯一革命がひとまず成功し、18世紀フランス革命以来の第二共和政が樹立されたのであったが、世界初となる労働者階級の代表も参加した共和政府が大衆迎合的なルイ・ナポレオンに乗っ取られ、さらに叔父を真似た帝政に転換されることにより、歴史の繰り返し現象に陥っていた。
 とはいえ、この第二帝政はナポレオン・ボナパルトの第一帝政と完全に同一ではなかった。たしかに1860年頃までの第二帝 政前半期は議会軽視の専制的な色彩が強く、「権威主義帝政」と称される。これは、反革命が成功したドイツその他の主要国の革命後の反動政治に合流していく動きとも言えた。
 転換点となったのは、1860年の英仏通商協定と翌年のメキシコ出兵であった。前者は英国との二国間自由貿易協定であり、これによりフランス農産物の対英輸出の増加で農民は潤うも、対抗的に英国工業製品の輸入が増加し、出遅れ気味のフランス資本にとっては打撃となった。こうしたトレードオフの明暗は、およそ自由貿易につきまとう諸刃の剣効果である。
 後者のメキシコ出兵は、メキシコに国債利息の支払を強制するという名目で、米国に対抗してラテンアメリカにおけるフランスの覇権を確立すべく実行したもので、一時は親仏傀儡帝政を樹立することに成功するも、反仏共和派の革命により、傀儡帝政は崩壊し、失敗に終わった。
 こうした外交通商政策面での失政は、第二帝政への信頼を揺るがせたため、1860年代以降、ルイ・ナポレオンはそれまでの権威主義的な姿勢を改め、一定の自由化を進めた。そのため、これ以降、最終的な帝政崩壊までを「自由主義帝政」と呼ぶが、あくまでも相対的な政策の変化にすぎず、民主的立憲君主制に転換したわけではない。
 とはいえ、抑圧統制が緩和されたことで、労働運動が刺激された。この「自由主義帝政」の時期のフランスは、大陸欧州における労働運動の中心地となる。また、英仏通商協定の副次効果として、労働運動のメッカとなっていた英国の労働運動との共闘が進んだのもこの時期であった。
 そうした革新的な波の一つの合法的な表現が、1869年総選挙であった。この選挙では帝政に批判的な穏健共和派が躍進し、議席の半数近くを占めるに至った。この段階はむろんまだ革命ではなかったが、帝政にとっては手痛い敗北であった。折からの長期不況により、労働者のストライキも発生し、にわかに政情が不安定化する。
 最後的な打撃となったのは、1870年の普仏戦争である。当時、反動的な専制君主制下にあったプロイセンとは友好関係にあっても然るべきところ、スペイン王位継承問題をめぐって対立し、プロイセンとの戦争に突入したのだった。プロイセン側では、強力な宰相ビスマルクの指導下、ドイツ統一へ向けたナショナリズムが勃興し、結束していたことも悪運であった。
 緒戦はフランス優位だったものの、近代化が進んでいた仏軍に対し、装備で劣勢な普軍は鉄道網を利用した機動作戦によって盛り返し、仏軍を撃破していった。ルイ・ナポレオンが軍人だった叔父にならって親征し、自ら戦場に赴いたのも逆効果であった。セダンで普軍に包囲された皇帝自ら捕虜となる羽目になったからである。
 この屈辱的な敗戦に怒った民衆が帝政打倒を叫んで蜂起し、にわかに革命的様相を呈したため、穏健共和主義者が機先を制する形で、帝政廃止と臨時国防政府の樹立を宣言した。この過程を主導したのは、先の69年選挙で当選した穏健共和主義者レオン・ガンベタであった。
 弁護士出身のガンベタに代表される穏健共和主義者はおおむね中産階級出自であったから、このたびで三回目となるフランス共和革命の第一段階は(プチ)ブルジョワ革命としての性格を持ったが、プロイセンによるフランス占領もあり得る国家存亡危機の中、臨時政府の緊急の課題は戦争処理に置かれることになった。

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世界共同体憲章試案(連載第24回)

2020-01-05 | 〆世界共同体憲章試案

〈参政権及び受益権〉

【第95条】

1.世界共同体域内の住民は、免許を持つ代議員として抽選され、自己が居住する領域圏及び当該領域圏内の地方自治体の統治に参画する権利を有する。

2.民衆の意思は、すべて民衆会議を通じて決定される。

3.世界共同体域内の住民は、民衆会議が選出する代議員を通じて、世界共同体及び汎域圏の統治に関与する権利を有する。

4.世界共同体域内の住民は、自己が居住する領域圏内において公務に就く権利を有する。

5.すべての公務員は、民衆会議の支配に服する。

[注釈]
 参政権に関する規定である。世界共同体が共通基盤とする民衆会議制度は、ブルジョワ議会制度とは異なり、選挙制ではなく、代議員免許取得者からの抽選制を基本とする。ただし、世界共同体総会を兼ねた世界民衆会議と世界共同体内の大陸的な区分である汎域圏の民衆会議は各領域圏民衆会議からの間接選挙制となる。
 第四項の公務就任権は、主権国家体制を採らない世界共同体域内では、現在居住地を基準として保障されることになる。

【第96条】

1.世界共同体域内の住民は、憲章または法律によって与えられた権利を侵害する行為に対し、自己が居住する領域圏内の中立的な司法機関による効果的な救済を求める権利を有する。

2.前項の規定により自己が居住する領域圏内の司法機関による救済が受けられなかった者は、世界共同体人権査察院に対して不服を申し立て、または直接に救済を求めることができる。

[注釈]
 司法的な受益権に関する規定である。主権国家体制を採らない世界共同体体制下では、自己が居住する領域圏内で司法的救済が受けられなければ、世界共同体の直轄司法機関である人権査察院に訴え出ることができる。

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世界共同体憲章試案(連載第23回)

2020-01-04 | 〆世界共同体憲章試案

〈社会権〉

【第92条】

1.すべて人は、労働者であると否とを問わず、衣食住、医療及び必要な社会的支援により、自己及び家族の厚生に十分な生活水準を保持する権利並びに疾病、心身障碍、配偶者の死亡、老齢、災害その他の不可抗力または戦争もしくは他人の不法行為による生活不能の場合は、公的な救援及び保護を受ける権利を有する。

2.すべて人は、ひとしく医療にアクセスし、必要かつ有効な治療を安全に受ける権利及び疾病を予防するための衛生上のサービスを受ける権利を有する。これらの権利を保障するために、世界共同体及び汎域圏は、医療衛生機関のネットワークを直営する。

3.母親及び出生した子は、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての子どもは、嫡出であると否とを問わず、または養子であると否とを問わず、同等の権利を有し、かつ同等の社会的保護を受ける。

[注釈]
 第69条の生存権の規定をより具体化した社会権条項である。貨幣経済が廃される世界共同体域内では、労働と生活は分離されるため、労働者であると否とを問わず、社会権がひとしく保障される。第二項は、世界共同体域内において医療・衛生サービスを受ける権利を実質的に保障するため、世界共同体と汎域圏に直営医療衛生機関ネットワークの創設を義務付ける。

【第93条】

1.すべて人は、障碍や疾病の有無を問わず、無償で教育を受ける権利を有する。基礎教育は基礎的な職業教育を含み、義務的でなければならない。専門的な職業教育は特権的であってはならず、民衆に広く開放されたものでなければならない。心身障碍者の特別教育は隔離的であってはならず、普通教育と統合的または交流的でなければならない。

2.教育は、基本的人権の尊重の強化を目的とし、かつ人類相互の理解、寛容及び友好関係を増進し、恒久平和の維持のため、世界共同体の活動を促進するものでなければならない。

[注釈]
 貨幣経済が廃される世界共同体の域内では、教育はおよそ無償である。専門職業教育の特権性の禁止、障碍者特別教育の隔離性の禁止は、世界人権宣言以来の伝統的な社会権論のレベルを超える規定である。

【第94条】

1.すべて人は、その資質及び関心に応じて勤労する責務及び権利を有する。世界共同体を構成する各領域圏は、領域民が最適の職業を選択できるように各人の適性を考慮した科学的な方法によって労働を配分しなければならない。

2.金銭その他の報酬を伴う労働は、禁じられる。ただし、特別な賞与としての現物支給については、この限りでない。

3.労働者は、公正な労働条件及び物理的に安全かつ衛生的で、心理的にも健全な労働環境を確保し、並びに労働時間の公正な制限及び定期的な有給休暇を含む休息をとる権利を有する。労働者がこれらの権利を侵害された場合、中立的な公的機関を通じて迅速に救済される権利を有する。

4.労働者は、自己が所属する企業体の経営に対して、直接に、または公正な方法で選任された代表者を通じて参加する権利を有する。

[注釈]
 本条は労働権に関する規定であるが、伝統的なブルジョワ人権論における労働権とは大きく異なる規定である。貨幣経済が廃されるため、賃金労働も廃される。その代わり、無償の勤労は責務となる反面、科学的な方法で最適な就労ができるように公的に労働配分され、賃金労働下よりもきめ細やかな労働権が確保される。また企業労働者の場合、経営参加権が保障される。

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世界共同体憲章試案(連載第22回)

2020-01-03 | 〆世界共同体憲章試案

第14章 基本的人権

〈総則〉

【第88条】

1.あらゆる動植物は、固有の生存権を有する。人間は、野生の動植物が地域的な生態系の均衡を害し、または人間に対して明らかな害を及ぼさない限り、それらを保護し、生物多様性を保持する義務を負う。

2.すべての人間は、生存の基礎となる衛生的な水及び清浄な大気にアクセスし、並びに健全に保たれた持続可能な生態系を享受する権利を有する。

[注釈]
 現行国連憲章は基本的人権に関する条項を含まず、人権に関しては、規範性を持たない「世界人権宣言」、及びその規範化としての社会権、自由権を定めた条約としての二本の「国際人権規約」に分離しているため、国連憲章は批准するも、人権規約は批准しない加盟国も存在する。
 これに対して、世界共同体憲章はその内に基本的人権条項を含むため、構成領域圏にはこれら条件条項を遵守する義務が課せられる。逆に言えば、人権条項を保留して世界共同体に参加することは認められないことになる。
 本条は、そうした基本的人権条項の筆頭条項である。はじめに、人間を含むすべての動植物の生存権という全生命体に通じる基本権をベースにして、人間に生物多様性の維持を義務付けつつ、生物としての人間が生存の基礎となる良好な地球環境を享受する権利を定めたものである。

【第89条】

1.人間の尊厳は不可侵であり、すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。

2.すべての人は、人間としての尊厳を維持し得るに足りる健康にして文化的な生活を営む権利を有する。すべての人は、人間としての尊厳が脅かされたときは、いかなる場所においても、迅速に必要な救援及び保護を受ける権利を有する。

[注釈]
 本条は、前条に規定された全動植物の生物としての生存権を前提に、社会的な生物である人間特有の尊厳性と、それに基づく社会的・文化的な生存権を保障する総則規定である。

【第90条】

すべての人間は、その尊厳と諸権利について、本質的に平等である。人間は、その理性と良心に基づき、互いに同胞の精神をもって協働しなければならない。

[注釈]
 前条を受けて、尊厳ある人間の本質的な平等及びそうした平等な人間の理性と良心に基づく相互協働義務を定める規定である。まさに、世界共同体の設立趣旨の表現とも言えるものである。

【第91条】

1.すべて人は、いかなる事由による差別も受けることなく、この憲章に掲げるすべての権利と自由を享有することができる。

2.すべての人は、法の前に平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この憲章に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別を助長するいかなる行為に対しても、平等な保護及び救済を受ける権利を有する。

3.正当な理由に基づく公平な区別または選別は、本条に定める差別に該当しない。また、差別を解消することのみを目的とする施策の一環として導入される特別措置についても、同様である。ただし、その特別措置の内容が特定の人の集団に対して著しく不公平である場合はこの限りでない。

[注釈]
 前条の平等規定を受けて、差別の包括的禁止及び法の前における平等を定める包括条項である。第三項の規定からも、禁止される差別とは正当な理由に基づかない区別もしくは選別、または正当な理由には基づくも、不公平な区別もしくは選別を指すことになる。
 また、差別解消施策(いわゆるアファーマティブ・アクション)としての優遇等の措置は原則として差別に該当しないが、その内容が特定の人の集団にとって著しく不公平である場合は、差別に該当し得る(いわゆる逆差別)。

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民衆デモの採点

2020-01-02 | 時評

前日「雑感」の中で、2010年代後半から20年代に持ち越される民衆デモの世界的な拡散が全般的な世界連続革命にまでつながる要素は乏しいと見る、と記したが、そのわけを簡潔に補足しておきたい。なぜ、そう見るか━。


①思想性を欠く

これら民衆デモはアナーキーで、とらえどころがない。といって、社会思想としてのアナーキズムに立脚しているわけでもなく、漠然と民主化やその他のスローガンを掲げるが、思想的にはほぼ無思想である。刹那的で展望性がないため、新たな社会へ変革するという革命的な展望に結びつかない。

②組織性を欠く

これら民衆デモは、たいていはSNSを通じて個人が自主的に参加している。このような個人単位の自由な結集には、民主的な面もある。しかし、革命の波動を起こすには、組織化が必要である。といっても、20世紀的な政党組織による必要はなく、よりしなやかな結合体としての組織がふさわしい。

③対抗性を欠く

これら民衆デモは、たしかに当局と「対峙」はしているが、対峙することが目的と化し、公式政府と併存する民衆の権力―対抗権力―の形成に至っていない。このことは、組織性を欠くこととも関連している。対抗性を欠いたままの「対峙」では、単なる暴動に退行する恐れが大である。

④民際性を欠く

これら民衆デモは、一国ないしは一地域単位で展開されており、国境を越えて相互に連帯していない。そのため、世界的な革命の波動に発展しない。SNSは理論上「世界とつながる」はずであるが、実際上は言語の多様性という壁に阻害されている。これは、SNSの技術的な限界でもある。


なお、民衆デモとは別筋だが、エコロジーの思想に基づき、緩やかな組織をもって、民際的に展開されている青少年の反気候変動デモは、上掲四つの点で、③対抗性を除けば、ある程度の水準に達しているように思われる。

そのために、かえって背後でかれらを操る成人の個人や団体が潜んでいるかのように疑われやすい。背後関係はともかく、気候変動の悪影響を集中的に受けるのは21世紀後半期まで生存していく青少年世代であるから、かれらが運動の前面に出ることには必然性がある。

ただ、かれらも現状では、各国政府により真剣な気候変動対策を訴えるといった請願運動に終始しており、根本的な社会革命を推進する運動としては未熟な、まさに青少年の運動にとどまっている。かれらが成熟した後、どのような方向に進んでいくのか注視したい。

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年頭雑感2020

2020-01-01 | 年頭雑感

当ブログは本年度をもって開始から足掛け10年目の節目を迎えることになるが、西暦上の本年度は2020年代の初年度に当たる。新たな10か年の始まりである。

振り返って、2010年代とはどのような10か年だったか。始まりは2010年ハイチ大震災、翌年の東日本大震災というともに万単位の死者を出す連続震災という凶事であった。2001年代の始まりが01年の9.11同時多発テロ事件であったのと同様、どうも21世紀前半の10か年は多数の犠牲者を出す凶事で始まる傾向性がある。

経済的な面では、2010年代は2008年世界大不況の余韻が残る中で不穏に始まったものの、結局のところ、資本主義の根本構造が再検討されるようなことはなく、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のたとえとおり、再び振り子が元に戻っていった観がある。

2010年にGDPで世界第二位に立った中国は、共産主義からはますます遠ざかり、社会主義市場経済を越えて資本主義への合流の道を驀進し、軍事力の増強によっても、かつての米ソ二大超大国に匹敵する米中二大基軸が形成されたのが2010年代である。

両国はさしあたり貿易戦争という形で経済的に張り合っているが、しかし、中国の経済動向が2010年代末に陰りを見せる反面、米国はトランプ大統領の情緒不安定な政権運営のゆえに、2020年代の米中が文字通りの「二大超大国」となるかどうかは不透明である。

一方、従来、資本主義的に取り残されていた観のある中東・アフリカ地域にまで資本主義市場経済化が及ぶ中で、人口増の圧力から大量の移民が欧州に押し寄せ、これに対抗する反移民ポピュリスト政党/扇動政治家が欧州各国で躍進した。こうした反移民政治は、グローバル資本主義が肥大化することに反比例して、各国で台頭する排他的な「自国第一主義」の動向とも結びついている。

その英国的象徴が、欧州連合離脱である。この国は、今月末にも予定される連合離脱を経て、2020年代大英帝国再興の夢の実現に向かうようである。「アメリカ第一」を高調しつつ、歴史的な憲法を超越し、米国では前例のないファシズムに近い個人崇拝政治を繰り広げるトランプ政権も同種の流れにある。

また、「自国第一」をあえて掲げるまでもなく、自国第一が体質化されている日本では、国風元号改正を経て、一党集中政を達成した安倍政権の史上最長記録が更新され、さらに継続する兆しさえ見せている。

このような土台構造=国境を越えるグローバル資本主義、上部構造=国境を閉ざす自国第一主義という上下の奇妙なねじれ構造は、2020年代初頭の基調となるものと予想される。

他方、気候変動問題に関しては、各地で熱帯低気圧や熱波の被害が続き、森林火災の常態化といった異常気象が目立ち始める中、反環境政権としての性格を持つアメリカのトランプ政権によるパリ協定離脱という反動が惹起された。とはいえ、正統的環境保護派も資本主義市場経済への疑問は封印し、相変わらず「環境と市場の両立」テーゼに固執している状況である。

2010年代の経済的な面での動きは限定的な反面、政治的な面では激動があった。アラブ諸国で民衆蜂起が同時発生したが、一部を除き革命としては失敗に終わり、かえって援助国の介入によりリビア内戦、シリア内戦、イエメン内戦といった凄惨な連続内戦の引き金となり、これらすべてが2020年代持ち越し案件である。

また、アラブ世界では、2010年代半ばに暴虐なファシズム集団イスラーム国の台頭と支配という激動があった。これは例によって米国の軍事介入により昨年までに打倒・排除され、2020年代持ち越し案件とはならなかったものの、組織再生ないしは派生組織の出現可能性までは排除されていない。

このような援助国が介入する内戦の多発化も2010年代の特色であり、旧ソ連を清算したロシアの覇権主義的な「復活」に伴う旧ソ連構成国ウクライナの侵食、それをめぐるウクライナ政府とロシアが支援するロシア系武装組織との内戦もその一つである。こちらは2010年代末に双方歩み寄りの兆しを見せたが、なお予断を許さない状況である。

こうした内戦とともに、大規模な民衆デモが世界に拡散したことも、2010年代の特色であった。とりわけ香港ではデモがほぼ恒常化したまま年越しという事態となっている。また、それらとは別筋のデモとして、青少年の反気候変動デモという波動も2010年代後期に隆起した。おそらく、これら民衆デモの波も2020年代に持ち越されるだろう。

ただ、こうした民衆デモの世界拡散が全般的な世界連続革命にまでつながる要素は乏しいと見る。この問題については、より特化された論評を要するため、稿を改めることにし、ここでの結びは次のことである。

2020年代の中間点2025年は21世紀最初の四半世紀という小さな節目にも当たり、さらに同年以降の第二四半世紀は2050年という大きな節目へのステップに当たる、という意味で、2020年代は21世紀史上架橋的な10か年となる。

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