政治家は話す機会が多い。実に多弁である。多くを話すぎて上げ足を取られる。TPOをわきまえて話をしないと発言の取り消しをせざるを得ない事態となる。不思議と多弁な安倍総理にそのボロが出ない。比較的発言の少ない麻生副総理にボロが出る。総理経験者だから多弁というわけでもない。大平元総理は訥弁の代表格だった。あ~。う~。で切り抜けた。小沢元幹事長は実は多弁なのだが、事件を起こした後は訥弁となった。殆ど公の場で発言しない。失言したら次はない!と確信している。実務の世界でもとりまきに発言させ自身は発言を控えるトップは多い。発言の責任を自分以外の発言者に負わせることができる。実権を握れる立場の確保のみに力を注ぐ。人事責任者、パワハラを行える立場の役割を持つ人材に多い。補佐官、参謀、秘書室、取り巻きに力のある人材をそろえられるかどうかで力量の差が出る。見えない力は補佐官の仕事。腹心に良い人材を揃えられるかでトップの仕事は評価される。腹心が離れたらトップはもたない。トップとはそんなものだ。自身の力は過大評価されてきた。見えない腹心の力に負う所が多い。トップが変わって2年経過すると評価が変わる。長期政権を支える人材が機能してくる。機能しなければ破綻が見える。組織で2年を待たず役員が変わる処はどこかにその兆候が見える。負担は均等に。適材適所に人材を配置できるか。報酬が確保されている官僚機構と報酬のない地域は異なるが人材の確保のニーズはどちらも共通。どちらも訥弁がいい。と私は思っている。