手賀沼アララギ短歌会

千葉県我孫子市で開催している短歌会のブログです。一緒に短歌を楽しみませんか。

歌の百名山1「富士山(前編)」(3776m)

2013年01月08日 | トピックス
深田久弥が『富士山』という本を編むために文献を漁ったら、後から後から幾らでも出てきてサジを投げた、と『日本百名山』に書いてある。
まさにその通りで、富士山に関する俳句や歌を調べていたらあっという間に100を優に超えてしまった。
かいつまんで紹介するだけで一冊の本ができる。
久保田淳『富士山の文学』という本もある。
とりあえず誰にでも知っている歌から紹介してみよう。

・田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(山部赤人)
 万葉集のこの歌は長歌
 「天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は」
 の反歌である。
 天地開闢以来の神々しい山だと詠い、今まさに雪をかぶった山が眼前にあると返している。

・妹が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつわたれ(作者不詳)
 これも万葉集の歌。当時富士山は燃えたつ恋の象徴として歌に詠まれることが多かった。
 富士山頂から煙が出なくなった後代でも、比喩として詠まれていたのである。
 お互い噂が立つのは惜しいので富士のように(心の中で)燃えて生きよう、という歌である。

・時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらん(在原業平)
 伊勢物語そして新古今に採録されている。
 富士山の歌の典型としてその後同じような歌が繰り返し詠われた。
 「時知らぬ」とはいつも雪をかぶって季節が解らないという意味。

・富士の嶺の雪よりおろす山おろしに五月も知らぬ浮島ヶ原(藤原家隆)
 前の歌の「時知らぬ」を継承している。
 浮島ヶ原は富士展望の景勝地でここの景色が画かれた屏風絵を見て詠んだ歌である。

・風になびく富士のけぶりの空に消えてゆくへも知らぬわが思ひかな(西行)
 漂泊の身の上と重ねている。

・道すがら富士の煙もわかざりき晴るるまもなき空のけしきに(源頼朝)
 武人頼朝の数少ない歌の一つ。

・ふじの嶺のけぶりも空に立つものをなどか思ひの下に燃ゆらむ(源実朝)
 恋の歌で、おそらく題詠と思われる。

・不二のねの麓を出でて行く雲は足柄山の峰にかかれり(賀茂真淵)
 江戸中期の国学者。大きな景色を詠っている。

・三股をこぎ出でて見れば三股の森の上に見ゆる富士はた似なし(田安宗武)
 宗武は将軍吉宗の次男。
 三股は隅田川の下流で芭蕉庵があったところで、これから初茸狩りに行く途中の歌である。
 これほどの富士は他にないだろうと詠っている。

2013.1.8 今野英山

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