泪眼をほそめて花の梟かな 飯田蛇笏
蛇笏といえば くろがねの秋の風鈴鳴りにけり が知られて
いるが私は掲句が一番いいと思っている。フクロウは冬の
季語になるが花の梟として季語が及ばないように表現して
いる。蛇笏の住んでいた長野県境川小黒坂は山麓の村で
梟は裏山の森には一年中姿や鳴き声を発していたはず。
この句のなまめくような叙情美は桜の季節でなければ
生まれてこない。吹き渡る風に些かの潤いと温かさが
「泪眼」という措辞を活かしているのだろうと思う。勿論
昼の梟なのだろう。
句作に行き詰まりを感じた時、この句を思い出すことにして
いる。
芥川龍之介が亡くなったときに
たましひのたとへば秋の螢かな
と詠んだ。掲句三句の共通点は「旬」をはずしていること。
春から見た冬、秋から見た夏、晩夏からみた初秋
大いに句作心への刺激となる。