火遊びの我れ一人ゐしは枯野かな 大須賀乙字
ある本の中に興味深い一文がありました。
「水明」の長谷川秋子さんが過去に読売新聞に書かれた
短歌の女性と俳句の女性という一文です。
俳壇の女性も歌壇の女性も一同するという会合に行って
みると、短歌をやられている女性はいつまでも若々しく、
そしてやや妖気が漂っているほどあでやかであり(笑)
そこへいくと俳句の女流は大変質素で、ふだん着のような
お姿で、とくにその違いを垣間見る思いがしました。
なるほど俳句は「ふだん着」の姿勢が基本にあり、
ふだん着をどう着こなすかが肝心で、その辺で
無意識の正直さがでるのだと思う。