1月5日

2007-01-05 22:42:29 | Weblog


   初夢の中のわが身の遍路行   飯田龍太

 私の愛する俳人の一人 飯田龍太。
 結社に居ながら主宰でなく龍太の俳句に引き込まれていた
 30歳の頃だった。結社の主宰は「秋桜子の師系」であり
 自然写生というより人間写生の方向にあり、それはそれで
 今の自分の礎となっていると思っている。
 主宰に学びながら、龍太への思いがあり、龍太が選者の雑誌、
 新聞、月刊誌などすべてに投句していた。
 それも結社を離れる原因の一つだったかもしれない。
 結社を離れると、やはり俳句を学んでゆく方向に不安が出て
 当時彼が主宰だった「雲母」の誌友となる。
 結社誌などはどこの本屋にあるというわけでもなく、毎月浅草の
 清水屋書店へ買いにいった。
 そのあと3年間はひたすら龍太の句集や著書を読み漁った。
 今もスクラップブックには龍太、龍太、龍太。である。
 
 つい最近気がついたことがある。

  かたつむり甲斐も信濃も雨の中   龍太

  蜩や山も裾野も秋田杉        ころころ

 模倣といわれればしかたがない。句の拙さは比べようのないものの
 心のどこかにきっとこの句があったのだろう。
 近づきたい、龍太のような大きな景色が詠みたいと純粋に
 思っていた。
 言訳でしかないが、頭に残っていたのではなく、心に残っていた
 ことが自分への救いだと思っている。

 それと龍太、蛇笏の「雲母」の句会への心積もりは大いに
 見習いたい。
 俳句会にのぞむ服装までも指導があったそうな・・・
 それは俳句会を良くするというより、連衆へ迷惑をかけない
 というきっぱりとした姿勢が根本にあった。


 

コメント
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