老いてこの熱き人波初地蔵 ころころ
昨日は母の代参で巣鴨地蔵尊へ初参りをした。
おばあちゃんの原宿と異名をとるほどご老人がほとんどの
お寺で、若い人といえばその付き添いであったり、お孫さん
であったり。私は昨年の正月に御門前に立つ托鉢の僧に
目の障害を訴え、経を読んでいただいた。
その甲斐あってか普通の生活の出来るほどの回復し、その
礼参りをかねての初参りでもあった。
巣鴨地蔵商店街が仲見世と参道を兼ねているような路地に
小さな商店が居並ぶ、その隙間、隙間に露天商が商う。
地蔵煎餅、塩大福、芋羊羹、メリヤスの肌着屋、仏具屋
八つ目鰻、七味売り、咳止めの飴屋
こう並べただけでも若い人たちが来るわけがない。
200メートルほどのその路地に杖をついたり、車椅子であったり
椅子を兼ねたバギーのようなものを押しながら進む参道の人波は
ゆったりとあちらこちらで滞りながらも信仰の厚き、熱き流れに
なっている。
こうしてもお参りに来れる老人はまだ良いのかも知れない。
長生きが出来ますようにと祈るというより、痛みの無い、
誰にも迷惑をかけずに浄土へと願う信仰なのかもしれないと、
そのゆったりとした人波の中で感じた。