大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太
私が龍太の俳句にのめり込んで行くきっかけになった内の
一句。自解によれば・・・
「けして上品な趣味とは言えないが。私は立小便が大好きで
ある。田舎住いのよろしさは何だ、と聞かれたら、誰はばかる
ことなくそれが出来ることだと即答したい。とくに寒気凛冽たる
今日この頃、新雪をいただく南アルプス連峰を眺めながら、
自然の摂理に従う。この気分は極楽の思いである。これも
そんな折での一句」
きっと龍太の眼前の景色は落葉し尽くした故里の景であろう。
一戸もかくれなきとは、隠しようのないともとれる。
龍太の幼少の頃の故里はきっと隠すべきほどの貧しさが
有ったのかも知れない。
べい独楽や佃渡れば潮匂ふ ころころ
この一句は先の1月の句会に投句したもの、季語べい独楽は
晩秋となっている。江戸時代には重陽の時期、(陰暦9月9日頃)
その後は秋から冬にかけて流行ったと季寄せにはあるが、
実際下町の子供らは年がら年中べい独楽をしていた。
この遊びにも成長によって少し違いがあり。
幼い年から、めんこ→ビー玉→独楽→べい独楽など遊びの
進化過程がある。しかも男の子の遊びで、女の子はままごと
、ゴム段などで一緒に遊ぶとなると鬼ごっこくらいだったかも
知れない。
この一句の自解はまたの機会に書くとして、
いま病臥している父の元気な姿が脳裏にあった。