二の丸の庭園池の桜
3月26日日曜日花曇の中Gの俳句仲間と吟行句会。
地下鉄竹橋の1A出口を上がったところから桜尽くしの一日となった。
北詰橋をわたり北詰門から入る,衛視から入場札を貰ふ、この札は
帰りにまた返す。皇居内に人が残らないようにするためだろう。
真っ先に目に入った大きな台形の台座,江戸城本丸天守台だけが残っている。
その傍らの桜は満開。外堀にあった桜はまだ4,5分咲きだったので、
期待はづれの嬉さである。天守台には上がる事ができる。
上がるには容易にあがれる坂が五つ折れで有る。上がってみればそれ程広い
座ではなく30m四方といって良いだろう。当時は五層六階のおよそ60mの
高さで聳え立っていたらしい。その天守への築石のあちらこちらに煤けた
石が目立った,連れ立った人とこれは焦げか?黴か?論じてみてもその場
では分からなかったが、帰宅後インターネットで検索してみると、やはり
明暦の大火(振袖火事)ものだった。
築石に大火の記憶花曇り (不満有るもまあまあ句)
(数日前に毎日句会で「大火の記憶」というフレーズが有ったので余り使い
たくは無かったがその築石を見ればそう詠うほか無かった。「大火のなごり」では
甘いだろう。)
天守台を下り、松の廊下の有った場所に行ってみる。
これぞとばかりに「落椿」当日句会でも「松の廊下」と「落ち椿」を詠んだ方が
いらっしゃったが,披講時に私見として「松の廊下=刃傷=切腹=落椿」は
如何なものか?と述べた。
今や昔松の廊下の苜蓿 (ころころはやはり御洒落である)
大奥の址にも行って見たが,これといって何も無い、ただ裏には石室があり
その暗さ狭さが一瞬大奥の何かを感じさせてくれた。時は芝生の芽吹きと
相まって、家族連れ、外人観光客も多く大奥の句は何も浮んでこなかった。
大奥へ松のみどりの風襖 (どうかなぁ・・)
2時半大手門集合、約2時間半たっぷりと初桜と城址を堪能した。
石垣の影を暗しと初桜 (ころころ満足!句)
句会では余り成績は良くなかったが、いつも通り、選者の体調不良と勝手に
解釈するころころなのです。
天守台のこし城郭朧なり (ころころ、やっちゃった!作りすぎ?)
俳句はこめかみに青筋立ててするものでは有りませんよね。
3月26日日曜日花曇の中Gの俳句仲間と吟行句会。
地下鉄竹橋の1A出口を上がったところから桜尽くしの一日となった。
北詰橋をわたり北詰門から入る,衛視から入場札を貰ふ、この札は
帰りにまた返す。皇居内に人が残らないようにするためだろう。
真っ先に目に入った大きな台形の台座,江戸城本丸天守台だけが残っている。
その傍らの桜は満開。外堀にあった桜はまだ4,5分咲きだったので、
期待はづれの嬉さである。天守台には上がる事ができる。
上がるには容易にあがれる坂が五つ折れで有る。上がってみればそれ程広い
座ではなく30m四方といって良いだろう。当時は五層六階のおよそ60mの
高さで聳え立っていたらしい。その天守への築石のあちらこちらに煤けた
石が目立った,連れ立った人とこれは焦げか?黴か?論じてみてもその場
では分からなかったが、帰宅後インターネットで検索してみると、やはり
明暦の大火(振袖火事)ものだった。
築石に大火の記憶花曇り (不満有るもまあまあ句)
(数日前に毎日句会で「大火の記憶」というフレーズが有ったので余り使い
たくは無かったがその築石を見ればそう詠うほか無かった。「大火のなごり」では
甘いだろう。)
天守台を下り、松の廊下の有った場所に行ってみる。
これぞとばかりに「落椿」当日句会でも「松の廊下」と「落ち椿」を詠んだ方が
いらっしゃったが,披講時に私見として「松の廊下=刃傷=切腹=落椿」は
如何なものか?と述べた。
今や昔松の廊下の苜蓿 (ころころはやはり御洒落である)
大奥の址にも行って見たが,これといって何も無い、ただ裏には石室があり
その暗さ狭さが一瞬大奥の何かを感じさせてくれた。時は芝生の芽吹きと
相まって、家族連れ、外人観光客も多く大奥の句は何も浮んでこなかった。
大奥へ松のみどりの風襖 (どうかなぁ・・)
2時半大手門集合、約2時間半たっぷりと初桜と城址を堪能した。
石垣の影を暗しと初桜 (ころころ満足!句)
句会では余り成績は良くなかったが、いつも通り、選者の体調不良と勝手に
解釈するころころなのです。
天守台のこし城郭朧なり (ころころ、やっちゃった!作りすぎ?)
俳句はこめかみに青筋立ててするものでは有りませんよね。
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