あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

か細い糸でも

2010-11-14 22:14:18 | つれづれ
運転中、車窓を過ぎ行く鉄塔を眺めていた。もちろん、安全に支障のない程度でだが。

昨夜の『Q10』で、ラストの平太のモノローグで語られた鉄塔の話が心の片隅に住み着いて離れないからだ。「こんな僕でも、か細い線で誰かと繋がっているかもしれない」って思いたかったからだろうか、

帰り道に寄ったパーキングエリアから鉄塔が見えた。と、雲と青空の境目に虹が見えた。アーチは描いていなかったが、小さかったが、そこに虹はあった。いや、他に誰も騒いでいなかったから、もしかしたら僕にしか見えなかったのかもしれない。この場ではそうしておこう。

今日いいことがあろうがなかろうが、同じようにまた明日はやってくる。ならば、「あしたはきっといい日」になることを願って眠ろう。
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難解

2010-11-14 14:38:14 | つれづれ
先日読んだ『セゾン文化は何を夢みた』に触発されて、軽井沢のセゾン現代美術館に来た。冬季は休館となるため、今しかないと思い、重い腰を上げてきた。開催されていたのが『荒川修作+マドリン・ギンズ「意味のメカニズム」完全版127点』という企画だったが、展示された作品は僕には理解できなかった。

そもそも、現代アートは難解だ。立ち止まってじっくり眺めたところで、やはりわからない。だが、わからないからと目を逸らすのではなく、むしろわからないことを楽しんでしまえばいい。そう、僕がここに来た理由は、「セゾン文化」の残り香を感じるためだったのだから。
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ひとやすみ

2010-11-14 09:36:51 | つれづれ
久しぶりに比較的長い距離を走る。アクセルを思い切り踏み込むこともなく順調なペースだ。

少し眠気を感じ、パーキングエリアに避難しコーヒーを買い求めた。ふと、「ナボナ」ののぼりに目が止まる。もう何年も「お菓子のホームラン王」のタイトルを守り続けているのだろうか。その道は孤独なのか。振り向けばその座を狙うライバルはいるのだろうか…なんて、やっぱり少し疲れているのかな。

族っぽい人たちのけたたましい爆音が響きわたる。これが過ぎ去ったらまた走り出そう。
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11月13日(土)のつぶやき

2010-11-14 02:17:43 | つぶやき
14:38 from Keitai Web
NHK出演中の柳沢慎吾さん、土曜の午後に飛ばしすぎです。
by Kozy2inMarchen on Twitter
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5Q10

2010-11-14 00:27:28 | ドラマにハマる

30を過ぎても立ち位置を見つけられず、40を過ぎても迷ってばかりの僕に今必要なのは「立ち位置」なのだというのはなんとなくわかっている。けれども、誰かの顔色を伺ったり、損得を計算したりしているうちにその場所が分からなくなっている。後ろを振り返っても風が吹いているだけならば、ただ前に進んでいくしかない。



『Q10』の5話を観た。Q10の正体を知ってしまった中尾君が、平太に対し秘密を守ることと引き換えにQ10をくれという。それを聞いた事情を知る大人たちは皆、それを受け入れろと平太に言う。宇宙の4%を抱きしめ続けようと思った彼だったが、その本心を小さく折りたたんで心の奥に押し込み、中尾君にQ10を渡す。けれども、本心は抑えられなかったんだね。栗子さんはそのことをわかっていて、自分と平太は立ち位置が違うんだから、自分の思う通りに行動するよう促す。「自分らしく生きる」とは、どういうことなのだろう。



影山くんと河合さん、久保くんと山本さん、栗子さんと小川先生、そして、校長先生とチロちゃん。お互いを繋ぎ止めているのが何なのかということも語られていた。そう、平太とQ10を繋ぎとめるものも。チロちゃんが逃げて行ったのはそのにおいが野獣のそれだったからでなくただ、校長先生ではなくなったと思ったからで、そのにおいが消え元の校長先生に戻ったら帰って来た。終盤、平太は自分の、そして友達たちの存在を立ち並ぶ鉄塔になぞらえた。映像は、空に向かって佇み、そして、細い電線で繋がっているそれらを、第1回の「助けて下さい」と叫ぶ彼らの姿に重ね合わせていた。



強い感情を心の奥深くに押し込んで生きてきた平太に対し、家族も気にかけているというのも、第1回での家族のシーンと繋がっていた。平太の持っていた、マンガで怒りを表現する記号のようなもののシールを見つけたお父さんは、それを平太の頬に貼り付け、「怒ってみろ」と言い、そして平太に足裏を踏ませながら、彼が入院していた時の思い出を語っていた。



平太が、中尾くんが、そして3年B組のみんながそこにいることを、彼らの心音で表現していたシーンで、瀬戸内国際芸術祭でのクリスチャン・ボルタンスキーさんの作品を思い出した。僕も豊島に心音を置いてきた。木皿さんも観に行ったのだろうか。


月子さんは、平太たちにとって観方なのか敵なのか。いや、そんなことを考えること自体がナンセンスなのかもしれない。そう思ったら、がんばって買い物を続けなくてもいいのだろう。彼女の存在が明らかになるとともに、物語は着実に最終回に向かっている。そう、「永遠」などない。


孔子の言葉は頭の中では納得できる。だが、現実の世界はそれとは異なっていて、それでいいのではないかって思う。画面に映る、自分の立ち位置に悩む高校生たちの姿に今の自分を重ねてもいいじゃない。諦めずに歩き続ければいいじゃない…って思いながら、明日も歩いていけばいい。

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